【意訳】トーマス・ハウシーゴ:彫刻は死につつある─まだ死んでいないなら
‘Sculpture Is Dying, If Not Dead’: Artist Thomas Houseago on the Struggle to Make Big, Edgy, Public Art
Javier Pes, June 18, 2019
Source: https://news.artnet.com/art-world/thomas-houseago-interview-royal-academy-1576396
※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
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LAを拠点に活動する彫刻家、トーマス・ハウシーゴは、パートナーであるセラピスト / 写真家のムナ・エル・フェイトリと共に、ヨーロッパ横断ツアーの真っ最中だ。
彼らはすでにヴェニスとパリに行き、今はロイヤル・アカデミーの中庭で開催されるハウシーゴの展示のためにロンドンに来ている。
ハウシーゴは1972年にイングランドで生まれ、2003年にLAに移るまでセントラル・セイント・マーティンスで学んだ。
ロイヤル・アカデミーの中庭で行われる夏季の展示は人気があるが、ハウシーゴはここに非アカデミー会員として初めて招待されたアーティストとなった。
この展示は2019年3月に名門・パリ市近代美術館で大規模な個展を開催した彼にとっても、力の入る名誉の凱旋である。
ハウシーゴは疲れが顔に出ていてもおかしくない状況だが、むしろ力がみなぎっているように見える。ハウシーゴは“不滅の北部魂”でできている、とムナは語る。
我々はロイヤル・アカデミーで彼らと会い、ドナルド・トランプに関する妄想や、友人であるブラッド・ピットがアート・ワールドをどのように見ているか、
そしてデヴィッド・ホックニーが父親だったら良かったのに、と思った話などについて語り合った。
君は、自分の作品のようにモニュメンタル(記念碑的に巨大)な彫刻をロイヤル・アカデミーの中庭は求めてない、と言ってたね。
カタールの人達は大きな作品を買うし、アート・バーゼル・アンリミテッドにもそんな作品がたくさん展示されてるけれど。
社交場をよく見ると、建築的な馬鹿げたものに乗っ取られているだろ。あれは彫刻的だけど彫刻じゃない。ギフトショップやトイレみたいなものまでついているし。
彫刻は無目的に象徴的な空間を生み出すもので、役に立つようなものじゃない。でも、そういう意図で作られた彫刻は無くなってきているように思う。
彫刻は死につつある──まだ死んでないんだとしたら。みんな、俺が巨大な彫刻をつくって金を稼いでいると思っているけど、むしろでかい作品のせいで金を失ってるよ。
それでも俺は彫刻と公共空間との相互作用に完全に取り憑かれているんだ。
パリの美術館での展示、“Almost Human”(ほぼ人間)と今回のロイヤル・アカデミーでのゲスト出展で、君は中堅アーティストとしての立場を確立したように見えるけど、違うかな?
違うよ!彫刻家たちは常に破滅の崖っぷちに立っているんだから。全ての金を制作に回してるからね。画家は利益を出せるし、アートマーケットも彼らのために動いている。
だけど彫刻は搬送、設置、制作がめちゃ大変なんだ。5~10年前には、 “ウオオオオ!!”って感じの彫刻なら売る機会があったかも知れない。でも俺達は今、違う方向に進んでいる。
作品制作の経済はとても残酷だ。この中庭から作品を持ち帰りたい人は誰もいない。動かすのも大変な怪物じみた彫刻を6体も作れば、みんなが “なんじゃこりゃ。。。!?”と言うけど、
ギャラリーが本気で欲しがるわけじゃない。俺達はそういう状況と戦わなくちゃいけないんだ。俺はポール・マッカーシーや、大型彫刻を制作してるほとんどの作家と親しいけど、信じてくれ。
俺達のようなアーティストは、常に破滅の崖っぷちに立っているってことを。
ロイヤル・アカデミーからの招待はどんな感じで届いたの?
俺はデヴィッド・ホックニーと仲良くなったんだ。ムナが、ハリウッドヒルズに行って彼に敬意を払え、って俺に強く後押ししたんだよ。俺と彼はイングランドの北部出身者として複雑な関係性を築いたんだ。
彼はブラッドフォード出身で、俺はその近くのリーズ出身なんだよ。俺は出会って2秒で彼を亡くなった父の様に感じて、俺が持つべきだったのはこの父親だったんだと思ったね。
俺は彼を通してイングランドを違った視点で見ることができた。そして彼は北部出身のロイヤルアカデミー会員として、LAからとても素晴らしい働きかけをしてくれたんだ。
心の中の20歳の俺が、“ロイヤル・アカデミーで展示?ありえねー!”と叫んだけれど、誰だって申請すれば作品を展示できるんじゃないかとも思ったな。
俺は奇妙なかたちで、LAの人間からイギリス人へと戻ろうとしている。この展示はいまだに不安の種だよ。2、3日は眠れなかった。
ロイヤル・アカデミーは素晴らしいアーティスト達が通う場所だけど、俺は自分を素晴らしいアーティストだと思ったことは一度もないから。俺はバッド・アーティストだったし、絵も描けなかった。
全てがとても感情的で、自分の中の悪魔を昇華させるためにアートを使ってたんだ。
ロンドンでの展示が挑戦だったのなら、パリでの大きな個展はどう感じた?フランス人は容赦しないとジェフ・クーンズとポール・マッカーシーが最近学んだばかりだけど。
なんてこった!それは残酷だね。パリでの個展では俺にとって大きな挑戦だったけど、フランスはいつも俺の彫刻に理解を示してくれていると感じるよ。
なぜならフランスにはブランクーシ、ロダン、カルポーといった彫刻の歴史があるから。俺はこういうYes or Noって感じの、ゴリゴリのハードコアが好きなんだ。
その作品たちはリアルで、ぎこちなくて、人間的で、ブルジョワ批判の要素がある。だけどガチに保守的な彫刻の伝統も含まれている。
パリの展示ではこの2つの要素を上手くコントロールできたと思うけれど、それでも恐ろしい仕事だったよ。
Striding Figure II (Ghost) (闊歩する人体Ⅱ(ゴースト))がパリでは展示されたけど、この作品にはイエローベスト・ムーブメント的な要素がある。この彫刻の背後には、
ブルジョワ階級に対する怒りが奇妙なかたちで組み込まれているんだ。パリの人たちは、この彫刻が語りかけてくる様に感じたらしい。これは自分へのご褒美としての贅沢品じゃあない。
ゾンビの彫刻だ。身体がバラバラに崩れ落ちている作品なんだ。ほとんど燃え尽きているかのようにも見える。
この作品はデカいけれど、スーパーアーティスト達みたいにデカく派手にすることで媚びている作品としては受け取られなかった。
俺は“ヘイ!全てが最高だよね!”とか言うためにパリに行ったわけじゃないしな。
君はマティスのThe back seriesや、オンタリオのギャラリーでのヘンリー・ムーアのキャスト、バレンシアでのエドゥアルド・チリーダの彫刻など、巨匠の作品をInstagramに楽しそうに投稿してるけど、そこから先祖殺しをする気概は感じなかった。君は自分が丸くなったと感じてる?
1番になろうとか、誰かを倒そうと思って彫刻はやってないからね。広大な政治的・感情的空間を生み出すため、そして知的財産と知的安全性のためにやっている。
人体の造形に取り組んだアーティストの作品すべてが俺の養分になってくれているから、彼らの作品には感謝しているよ。
俺は全てを破壊したいとは思わない。俺には社会が、ますますアートや創造性と繋がりを失っているように見える。ブレグジットやトランプを見ていてもそう感じるよ。
そういう狂った方向性に投票する人たちのグループが、創造的な人の公民権を奪っている。奇妙だが、これも創造性のあり方のひとつだ。
まるで欲求不満の創作エネルギーのように、“くそが!トランプに投票してやるぜ。エリート共をぶっ潰すんだ。”と言っている。
これは芸術的エネルギーであって、ヨーゼフ・ボイス的なものだ。
じゃあ、君のロイヤル・アカデミーでの展示がオープンするのと同じ日に、ドナルド・トランプがロンドンに来るって聞いてどう思った?
ロイヤル・アカデミーの王立という響きに乗せられてトランプがこの展示を観に来るんじゃないか、と妄想したよ。俺はLAから来ているけど、イングランド出身だと強調している。
彼にとっては悪夢だろうね。でも、トランプは文化的なイベントなんて気にしないだろうな。
彼がここに来たらお似合いだけどね。この彫刻達は悪魔みたいだろ。悪魔的なエネルギーを開放し、具現化しようとしているんだ。
自分が見つけた凄く危険で恐ろしいものを視覚芸術に落とし込むのが、アーティストとしての俺の仕事なんだよ。
LAのスタジオはどのくらい大事?格納庫級にでかいけど。
俺たちがLAでこの規模のスタジオを持てる最後のアーティストだよ。もうすでに無理だろうな。ジェントリフィケーションの影響は大きくて、
過去5年間でLAは劇的に変化したからね。でも俺はオバマの任期中に、SBA(中小企業庁)からお金を借りれたんだ。
最終的には君も、その砂漠の街から出ていくことになると思う?
俺たちはこの砂漠の街に展示空間を作ろうと話してる。この街の空間感覚は素晴らしいからね。
カリフォルニアで彫刻公園みたいな空間をつくったときもマジで興奮したけど、LAはすごく大きくて水平に拡がっている。
ここを完全に高級住宅地化するのはすごく難しいだろう。常に変な工場地帯があるし。
公共作品つくるとき、何が障害になる?
俺達は、単に建築家や土地開発業者に作品空間を渡すことはできない。俺はLACMAの仕事をやってるけど、ここは美術館を公共空間として捉え直そうとしていて、俺の作品にもよじ登ったり飛び乗ったりできるようにしようとしてる。俺は彫刻のそういう使い方が好きだね。ヘンリー・ムーアも、“みんな私の彫刻の上に座るべきだ”と言ってたし。
ブラッド・ピットに、彫刻制作は大変な仕事だと忠告した?
あぁ、もちろん。ブラッドが最高なのは、スポンジみたいに知覚的で、人の話をちゃんと聞けるところだ。俺たちには熱く堅い友情がある。
彼もその点はちゃんと理解しているさ。音楽産業、映画界など、様々な業界から多くの人がアート・ワールドにやってくるけど、彼らは自分たちの業界でビジネスがどう回っているのかよく理解してるから、アートのビジネスがイカれてることぐらいわかる。彼を甘く見ないことだね。
彫刻家はそういう奇人変人の集団だ。マイケル・ハイザーと会ったときに彼が最初に言ったのは、“この職に就いたのは間違いだった”ってことだ。
俺は、でもあなたはCity (ハイザーの史上最大規模の彫刻)をつくったじゃないか、他に何をつくりたいんだ?って言ったんだ。
そしたらヘイザーは、“もし俺がロックスターだったら、と思うよ。全てが彫刻家よりマシだろ。”と言った。
これはフィッツジェラルドがオペラハウスを建てようとしたのと似てるな。こういう狂った話なら彫刻家たちからいくらでも聞けるよ。
公共彫刻はとても民主的なものだ、大衆に作品を与えるんだから。そこでお金なんて稼げないよ、みんなチケットを買って観るわけでもないし。
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