見出し画像

【意訳】アナ・メンディエタ、あるいは名もなき物語の名もなき登場人物

ANA MENDIETA: OR THE ANONYMOUS CHARACTERS IN AN UNENDING STORY

Géraldine Gourbe

カタログ:Ana Mendieta - Search for Origin (ES/EN edition),2024より

※Chat GPTの翻訳に調整を加えた文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
もし間違いを発見された場合は、お手数ですが 山田はじめ のX(Twitter)アカウントへご指摘を頂けると助かります。

海に面した、崖の上にある花崗岩の壁。そこにある開いた手の跡は青黒く、夜の黒から生まれた海の青をしていた。海に面したこの洞窟に、男はひとりでやってきた。すべての手跡は同じ大きさだ。彼はひとりだった。[中略] ひとりの男は洞窟の中で、海の轟音と世界の広大さを見つめながら泣いた。“名付けられた者よ、自己を与えられた者よ、私はお前を愛している。”

マルグリット・デュラス、『ネガティブ・ハンズ』、1979年

アナ・メンディエタの変身、新たな身体におけるかたち

私の絵画が、自分の伝えたいイメージを充分なリアルさで表現できないと気づいたとき── ここで言うリアルとは、魔術的な力を持ったイメージであるという意味です── イメージに魔法的な特質を持たせるため、自然と直接向き合わなければと決意しました。生命の源、母なる大地に行く必要があったのです。

アナ・メンディエタ

1972年、24歳のアナ・メンディエタは、アイオワシティにあるアイオワ大学で絵画の修士号を取得したとき、衝撃の洞察を得た。“自分の絵画は十分にリアルではない。” そのため、生み出されたイメージには“魔術的な性質がない”、と。
この啓示(これはパフォーマンスアートが登場した当時において非常に一般的な感覚であったが、後に彼女の初期絵画作品への取り組みを否定するものではなくなった)に目覚めたとき、若きアーティストだった彼女は変身にまつわる一連のパフォーマンスを生み出した。

Untitled (Facial Cosmetic Variations/化粧による顔の差異), Untitled (Glass on Body Imprints/ガラスに押しつけた身体), Untitled (Facial Hair Transplants/ヒゲの植毛), Untitled (Grass on Woman/女の上の草), Bird Transformation/鳥への変身, Chicken Movie, Chicken Piece/鶏の映像,鶏の断片 といった作品は、すべてオウィディウスの『変身物語』第1巻の内容と関連している。出現しては新たな身体になって消えていくこれらのかたちは、すべては(再)接続されると考える宇宙生成論を構成していた。

Ana Mendieta, Untitled (Facial Hair Transplants), 1972/1997

Untitled (ヒゲの植毛)では、モーティ・スカラーのあごひげをアナ・メンディエタの滑らかな顔の表面に移植することで、性別の区別をシンプルに消し去った。Bird Transformationは、ある種族が別の種族に変異すること、つまり人間から鳥、女神、あるいはその両方に変化することを想起させる。Untitled(女性の上の草)では、メンディエタの仲間たちによって刈り取られた新鮮な草で儚い石碑のようなものを作り、彼女の裸体を覆い隠している。最後にUntitled(ガラスに押しつけた身体)では、女性的特徴──口、臀部、胸、髪の形状変化の可能性を記録し、そのかたちが多様でありうることを証明した。これらのかたちは、古典絵画の規範を超えた新たな身体性を生み出している。

Ana Mendieta, Bird Transformation, 1972

この年における重要なパフォーマンス作品の制作によって、人間の身体、植物、動物、四元素、精神性、それら全てを結びつけた宇宙論の指標が定義された。その作品群には、オウィディウスの叙事詩に基づいた関連性も見出すことができる。実際に、女神、船乗り、蟻、そしてドラァグ姿のティレシアスといった登場人物が物語の中に様々な姿で登場し、読者に親近感と驚きを与えている。

アナ・メンディエタの作品は、そのすべての表現形態──絵画、ドローイング、パフォーマンス、写真、映画、彫刻──において止まることがない。
彼女の作品はアーティストの私生活から独立しており、あらゆる時間と関与しうる。そのため条件を問わずに鑑賞が可能なのだ。それは、凡人には聞こえない秘密の通信さえ記述した宇宙の地図のようであった。

コンセプチュアル・アートとフェミニズム・アートの境界で
女性は性的対象と見なされるため、公の場で裸体を見せる女性は当然のように、自分が美しいと思っているからそうしているのだと思われます、彼女はナルシストであると。一方で、あまりロマンチックではない印象とニキビのある背中を持つアコンチはアーティストであると見なされます。

ルーシー・リパード

初期のパフォーマティブな活動を記録したフォトエッセイの中で印象的なのは、アナ・メンディエタの教育者であった男性アーティストたち(ヴィト・アコンチ、ブルース・ナウマン、クリス・バーデン、アラン・カプロウ)によるコンセプチュアルアート的実践と、フェミニズム的革命の推進が結び付く、前例のない実践である。

Ana Mendieta, Untitled, 1973

アナ・メンディエタが1972年に確立したドキュメンテーションの作法は、ヴィト・アコンチの初期作品 Soap & Eye(1970)と類似している。
アナ・メンディエタの顔をクローズアップしたポートレイトは、前述のアコンチ作品を想起させる。アコンチが行った動作はシンプルだ:ボウル一杯の石鹸水を頭から被り、目が染みるにもかかわらずカメラの前で無表情を貫いた。
あるいは他のアコンチ作品Trademarks(1970)では、自分の身体に跡が残るまで口で吸い付き、噛み付いている。この行為は自らの限界を探るものであり、内/外の二極的な循環を想像させる。そしてこのような実験に対する強力な推進力は、メンディエタのUntitled(ガラスに押しつけた身体)にも見て取れる。

Ana Mendieta. Untitled (Glass on Body Imprints). 1972

ここでは存在感が控えめな暴力性だが、アナ・メンディエタのRape Scene (1973)のシリーズでは数段強調されている。
若き学生の寝室で制作された最初のバージョンでは、強姦犯の手口を真正面から、一切の調整を行わずに提示した。支配され、放置され、モノとして扱われた被害者の血まみれの下半身が後ろから写されており、この作品を鑑賞するようにメンディエタから求められたクラスメイトたちは衝撃を受けた。

身近な事件の恐怖に迫るこの試みは、後に生活圏外の環境、森の中でも再現された。この作品は、アメリカ西海岸のもう1人の若いパフォーマー:クリス・バーデンが制作したアート作品の危険性にも触れている。(彼はフェミニストの反乱に敏感であった)
バーデンはShoot (1971)やDeadman (1972) においてアートと生命を結びつけ、暴力的であることを厭わずに現実を強調する、他に類を見ない体験を生み出した。
この作品における感覚の深化と動的な主体性が持つ力は、ヴィト・アコンチやブルース・ナウマンのように感覚交錯にまつわるメルロ=ポンティ的現象学の作法を体現し続けるものではなく、我々自身が生きる現実の枠組みの中における、計画された爆発と結びついていた。
バーデンとメンディエタにとって、パフォーマティブな行為や即興的パフォーマンスは、フェミニスト支援グループによって始められた革命的変化の延長であった。これらのフェミニスト・サークルは、『個人的なものは政治的なもの』というアプローチを実践し、親密な領域と公共の領域との境界を破壊しようとしていた。

ジュディ・シカゴとミリアム・シャピロによって設立されたWomanhouse(1972)は、実験とパフォーマンスを通じた感受性の高い形式を通じ、その実りある異議申し立てを増幅させ、エンパワメントした。
家庭内の作業を活性化させてパフォーマティブな作法へと変換するこの試みは、スザンヌ・レイシー、ミラ・ショーア、イヴォンヌ・レイナー、クリス・バーデン、ローリー・アンダーソン、そしてアラン・カプロウといった主要アーティストに深い影響を与えている。

A.I.R.ギャラリー:フェミニスト・コレクティブ、反人種差別、そして非同一化

歴史上のある時期において、人々が自分自身を意識し、自分が何者なのかを問うことがあります...アメリカ合衆国の白人社会は先住民の文明を根絶し、黒人だけでなく他の非白人の文化も脇に追いやり、内在する多様性の上に均質な男性支配の文化を作り上げました。

アナ・メンディエタ

このコンセプチュアル・アートとフェミニズムの課題との緊張関係は、アナ・メンディエタがニューヨークに拠点を置くフェミニストアーティストのコレクティブ『A.I.R.ギャラリー(アーティスト・イン・レジデンシー)』に関わった数年間にわたって続いた。アナ・メンディエタの作品は、カリスマ性を持つナンシー・スペロ、ドッティ・アティ、メアリー・ベス・エデルソンらを含むグループによって満場一致で評価されている。

メアリー・ベス・エデルソンはその2年前、ニューヨークの112グリーンストリートで開催されたアナ・メンディエタの展示で彼女と出会っていた。そこでメンディエタは、Ñañigo Burial(1976)と、進行中のSilueta(シルエタ)シリーズを記録した映像作品を展示していた。
Ñañigo Burial(ニャニゴの埋葬)は、床に配置された47本の黒いロウソクでメンディエタの身体の輪郭を形作った作品だった。このロウソクはメキシコの死者の日の祭りでよく使用されるものである。
その炎はうつろい揺らめく炎の輪郭を描き出している。ある意味では、その後の1977年に制作されることになる、火薬を用いた『シルエタ』作品よりも霊的であった。そのロウソクが尽きる頃には、シルエットの輪郭が分厚いロウの痕跡で塗り潰されていた。
タイトルのニャニゴはアフロ・キューバの秘密結社であるアバクアを指しており、アナ・メンディエタはその儀式を幼少期からよく知っていた。

Ana Mendieta. En búsqueda del origen, MUSAC, 2024. Náñigo Burial, 1976/2024
© The Estate of Ana Mendieta Collection, LLC. Cortesía The Estate of Ana Mendieta Collection, LLC y Galerie Lelong & CO./ Vegap, Madrid, 2024.

『ニャニゴの埋葬』は、メアリー・ベス・エデルソンがユーゴスラビアで自ら行ったパフォーマティブな儀式、Grapceva Neolithic Cave Series: See for Yourself (1977)にも一定の影響を与えた。この作品でエデルソンは新石器時代の洞窟に一人で立ち、裸のままロウソクの円に囲まれると、自分自身が肌の毛穴を通して宇宙を吸い込む女神であるかのような感覚を得た。
しかし、エデルソンが無垢な女神を通じておこなうフェミニスト的表現がポスト・ヒッピー世代の新自然主義的なシンボルによって飾られていたのとは異なり、アナ・メンディエタによる地母神の参照はますます非物質的なものとなっていった。
その知覚困難な形式は、パフォーマンスアーティスト的な身体性やアイデンティティから自分自身を更に分離させていくものであった。

Ana Mendieta, Sweating Blood, 1973
single channel, super-8mm film transferred to high-definition digital media, color, silent; 03:18 minutes

Untitled (Body Tracks) (1974)、Sweating Blood (1973)Untitled (Self-Portrait with Blood) (1973)といった作品で壁や顔に広がる血液を扱った後、アナ・メンディエタはこれらの濃い朱色が生み出す模様を儚いものへと変化させた。たとえば彼女はメキシコのラ・ベントーサの砂浜でシルエットを描いたが、それはあっという間に太平洋によって洗い流された。
彼女がそのカーマイン色の着想を得たのは、1976年のある日、赤い花の首飾りを付けられたメキシコの墓を見た時である。(アナ・メンディエタを魅了し、彼女が何度もメキシコに戻るきっかけとなった信仰である)それはオアハカにおいて、中南米式の墓の内部に宿る女神を表現したものだ。

Ana Mendieta, Untitled from Silueta series in Mexico, 1976
original slide; 1991 posthumous print. C-print on Kodak Professional paper.

『シルエタ』シリーズはオウィディウスの『変身物語』を表現するのにふさわしく、無限のバリエーションをもちながらも常に極めて分かりやすい特徴をもっていた。豊穣の象徴、女神、母なる大地の普遍的シンボルを意味するシルエタにおける両腕は、掲げられているか身体に沿って伸ばされていた。

彼女の批評的な発言は、キャロリー・シュニーマン、ジュディ・シカゴ、スザンヌ・レイシー、マーサ・ウィルソン、レベッカ・ホーン、ハンナ・ウィルケといったアーティストたちに関連する新興ムーブメントと最も密接に結びついていたが、その中ではややかすんでいく傾向にあった。
ここで彼女の身体は 、地、水、火、風という四大元素によって変身している。
彼女がA.I.R.ギャラリーのフェミニスト・グループによる反人種差別活動に深く関与するにつれ、その作品は1999年にキューバ系アメリカ人のクィア美術史家ホセ・エステバン・ムニョスによって概念化された、いわゆる非同一化(de-identification)の道を辿っていた、と言うこともできる。
メンディエタの作品はもはや、NYで彼女を取り巻いていたフェミニストの美学に真正面から応答するものではなくなっていたのだ。

展覧会:Dialectics of Isolation / 孤立の弁証法 のためのテキストで、彼女はおなじフェミニストアーティストたちに向けて“私たちは存在しているのだろうか?”と問いかけた。
彼女のこの発言は、フェミニストによる反乱が反人種差別と家父長制の廃止という概念をうまく言語化できなかったことを浮き彫りにした。人種的な側面とフェミニスト的な側面が二分されていた中でメンディエタが唯一できたのは、A.I.R.ギャラリーから距離を置きつつ、他者性を非物質的に表現することだった。

実際に彼女の扱うイメージはますます消失と蒸発を具現化したものになったが、かえってそれらを独特な地理的領域に定着させ、配置することも多くなった。(彼女の語彙において、定着/anchor とlocate/配置は重要な動詞である)
パフォーマンス、写真、映像、ドローイング、彫刻を中心に構築された、豊かな多様性を持つフェミニスト的プリミティヴィズムの想像力は、彼女をランドアート運動の著名なメンバーたらしめた。(だが、今なお周縁的とされてもいる)

ランドアートとエコフェミニズム

私のアース・ボディ彫刻の多くは、はその非永久性ゆえに誤解を生んできました。その美的意図は、人々が理解するのが難しいものであり続けています。なので私は本を作るつもりです……

アナ・メンディエタ

ルーシー・リパードによる画期的な研究書 Overlay(1983)では、アナ・メンディエタのSilueta (シルエタ)がランドアート運動の象徴であったロバート・スミッソンのスパイラル・ジェッティと並べて論じられている。
かつてコンセプチュアル・アート運動に関わり、その後フェミニズムに接近した美術評論家であるルーシー・リパードは、新しいプリミティビズムの熱心な解釈者となり、アートと神聖さ、あるいは魔術との新たな関係性を擁護した。

ルーシー・リパードによれば、この人類と多様な文化が紡ぐ極めて独創的な歴史において、美的オブジェクトの非物質化というアップデートが2つの領域で行われた:ミニマリズム(ロバート・スミッソン、ウォルター・デ・マリア、ナンシー・ホルト、リチャード・ロング、ジェームズ・タレル)とフェミニズム(アナ・メンディエタ、ジュディ・シカゴ、メアリー・ベス・エデルソン、アグネス・デネス)である。

1972年以降、アナ・メンディエタは絵画から離れ、物質の変容にまつわる、ほとんど錬金術的とも言えるアプローチの作品へと舵を切った。彼女が血液や火、泥、草、氷、水といった根源的な物質を特殊な方法で使用したことは、超自然的な対応関係を持つ複雑なシステムの構築を助けた。

メンディエタは旧石器時代から現代のサンテリアに至るまで、あらゆる儀式や祭礼の全体像を呼び起こす。これらの図像学はすべて、彼女の人類学、考古学、民族学の広範な研究によって可能になったものだ。
その濃密な研究と学問的知識が紡ぐ文脈の中で、アナ・メンディエタは地母神という普遍的な存在に魅了され、それは後に人類全般の象徴へと発展した。

メンディエタ作品に頻出する塑像、描画、彫刻、刻印された女神たちは、ほとんどウイルスのように何度も再登場することで、彼女の作品に独特かつ印象的な美的・政治的連続性を与えた。
アイオワ州のデッド・ツリー・エリアの泥の中に刻まれた『シルエタ』の痕跡は、家父長制文化における女性の不在、あるいは女性を否定的に扱う表象の埋め合わせをしたい、という無限の夢を象徴している。

Ana Mendieta Untitled (Silueta Series, Iowa) 1979

『シルエタ』シリーズの豊穣な制作数は、自然にはジェンダーや人種的不平等が当たり前に存在するという概念そのものに挑戦しており、その作品を構成主義的フェミニズム批評の鋭い道具へと変えるのと同時に、息の詰まる本質主義の炎から距離を置くことに成功している。
A.I.R.ギャラリーという自治空間に長年関わった結果、アナ・メンディエタはフェミニスト革命がどのように世界を想像・創造するための空間を構成していたのかを理解していたのである。

しかし、彼女の中での(エコ)フェミニズム的未来は、地球規模の生態系破壊を引き起こしたモダニズムや技術中心主義の大きな物語とは切り離されていた。彼女がランドアート運動に関与したのは、他のアーティスト(特に白人男性たち)がそうであったように資源採掘、記念碑性、永続性に基づいた動機があったからではなく、非物質的で、気まぐれな気候や時間の経過に晒され続ける作品によって関係性が確立されていったのだ。

アナ・メンディエタの作品は、ある種の包括的な御伽話に基づいており、それはまるで聖典のようであった。SF作家アーシュラ・K・ル=グウィンの言葉を借りて以下のように表現しよう。
“終わりのない始まり、イニシエーション、喪失、変身と変換に満ちている。人々は実際にどう行動し、どう感じるのか。そして他のあらゆるものたちと、どの様に関係するのか──この広大な袋、宇宙のお腹、産まれくるものの子宮、あるいはかつてそうであったものたちの墓、終わりのない物語の中で。”

いいなと思ったら応援しよう!