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【意訳】食えない男、マイク・ケリー

We Can’t Get Enough of Mike Kelley

Chris Fite-Wassilak Features 13 October 2023 ArtReview

※Chat GPTの翻訳に調整を加えた文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。もし間違いを発見された場合は、お手数ですが 山田はじめ のX(Twitter)アカウントへご指摘を頂けると助かります。

Mike Kelley, EAPR #9 (Farm Girl) (still), 2004–05, video, colour, sound, 4 min 22 sec. © Mike Kelley Foundation for the Arts, Los Angeles. All rights reserved. © AdAgp, Paris, 2023. Courtesy Electronic Arts Intermix (EAI), New York

マイク・ケリーは、死後10年以上が経過した今でも人々を不安にさせ、批判し、嘲笑し、そして失望させ続けている。

色褪せたぬいぐるみを結んでつくった四肢を持つ怪物のような虫たち。不揃いなポリエステルのふわふわしたパッチワークで覆われたその身体は天井まで伸びており、数十個の漫画調の大きな目がぼんやりとこちらを見つめている。
延々と続く映画の中でアマチュア役者たちが奇抜な衣装をまとい、魔女や悪魔、農夫を演じている。そのとりとめのない脚本と物語はあまりにも奇妙で、集中して観続けることは不可能だ。
不釣り合いで奇妙な四肢を持つキャラクターを粗雑な線で描いたドローイングは、その顔だけが他の体の部位に比べてはるかに精巧に描かれている。

(これらの作品を観た私の脳内には、何よりもまず落胆の冷笑、あるいはただ純粋な嫌悪感が浮かんでくる)

マイク・ケリー作品との出会いは常に部分的で、断片的で、不安定だ。彼の創造物たちは、あなたが作品を理解できるだろうか、作品に何かが欠けていると感じとれるだろうか、そして眼前にあるものの正体を判断できるだろうか、と試してくるように感じられる。
ケリーの自殺から10年以上が経過した今秋、彼の死後2度目の回顧展が始まり、ケリー作品との不規則で風変わりな出会いを生み出しながらヨーロッパの美術館をゆっくり巡回している。
(前回の回顧展は2012年にアムステルダムのステデリック美術館で始まり、その後ポンピドゥー・センター、MOCAロサンゼルス、ニューヨークのMoMA PS1を2年かけて巡回した。)

展示の紹介文には、この手の大型展ではお約束の誇大宣伝が添えられている。ケリーはアメリカで最も影響力のあるアーティストの一人であると謳い、彼の作品を記憶、社会階級、卑屈さなどの広いテーマの中に分類しているのであった。
だが、その宣伝を鵜呑みにしてはいけない。 私は不安を感じながらも、ケリーの作品に何度も立ち返る。 そうせざるを得ないのは、マイク・ケリーという人物が複数存在しているからなのかもしれない。

Ectoplasm Photograph 13 (detail), 1978/2009, set of 15 c-print photographs, 36 × 25 cm each. © Mike Kelley Foundation for the Arts, Los Angeles. All rights reserved. © AdAgP, Paris, 2023

最初は破裂前/プロトパンクのケリーだ。尖っていて警戒心が強く、僅かでも対立のニュアンスがあれば、それを敏感に感じ取って爆発する用意ができている。
彼は1991年に作品集の裏に個人史を書く機会を与えられたとき、自分自身を断片的かつ皮肉たっぷりに描写した。美学的に最高だった瞬間として、わざと下手くそに描いた絵で高校の美術賞を受賞したことや、サン・ラやイギー・ポップの人心掌握術について興奮気味に語っている。
「彼は観客を魚のように扱ったんだ」と、イギーが不機嫌なバイカーたちでいっぱいのバーで繰り返し『ルイ・ルイ』を演奏したことを大袈裟に説明するのである。

私は彼の文章を通じて初めてケリーに出会ったので、当然ながらその第一印象はパンクな人間性である。彼は激流のように絶え間なく続く議論の中で、自分の作品に対して反権威的かつ懐疑的な視点を向けていた。 その後も編集者から「好きな美術評論家は誰か?」と尋ねられたときに真っ先に思い浮かぶのはケリーの名前だった。
私はあまり文章を書くこともなく、放浪学生として漫画や断片的な映像を制作しながら暮らしていたときに、図書館でケリーの作品に関する本と偶然出会った。そして彼の言葉を読むうちに、初めて“アート”というもの(静かな美術館で展示され、重厚な本に書かれているもの)が、本当は現実生活や瑞々しい可能性と繋がっているのかもしれない、という感覚に包まれた。 アートは音楽や漫画、映画などを包括する一方で、それでも外に向かって爆発する可能性があるのだ。

Mike Kelley. Exploring from Plato's Cave, Rothko's Chapel, Lincoln's Profile. 1985 | MoMA

彼が文章や作品に詰め込んでいる全ての引用を理解できたわけではないが、ケリーが自分の鼻から蒸気が吹き上がる様子を描写した“Ectoplasm Photographs”シリーズ(1978/2009)からは、郊外生活における不安感や、正義感ゆえの気難しさが滲み出ていることを感じ取れた。
1985年の展示のタイトル、『Plato’s Cave, Rothko’s Chapel, Lincoln’s Profile』(プラトンの洞窟、ロスコ・チャペル、リンカーンの肖像)にどんな関連性があるのかは理解できなかったが、鍾乳石と石筍で満ちた洞窟を描いた大きなモノクロの絵画『Exploring from Plato's Cave, Rothko's Chapel, Lincoln's Profile』(1985年)の図像を見たとき、チャールズ・バーンズ作品を思わせる重々しい陰影で描かれたその絵画の中を、まるで遊戯場であるかの様に遊び回っているパンクの衝動を想像できた──平等主義の名のもとに、怒鳴り、唾を吐き、流行りに乗り、そして服従する矛盾した姿を。

この絵画が悪名高いのは、下部に隙間を設けたうえで設置されており、画面に描かれている「這え、虫め!」という命令に従わなければ来場者は別の展示室にアクセスできなかったからである。

Portrait of Mike Kelley as The Banana Man, c. 1983. © Jim McHugh

また別の機会では、私は身震いしながらもそれとは真逆なケリー、つまり破裂後/ポストパンクのケリーに目を向ける。彼はこの世界に疲れ切り、アートマーケットのスターシステムの座に腰掛けている自分の立場に満足しているように見えた。ガゴシアンのような一流ギャラリーで定期的に展示を行い、美術館からも称賛されていたのだ。

私がようやく見ることができた彼の個展は平坦かつ無味乾燥で、作品に添えられた文章が主張しているほどのエネルギーは全く感じられなかった。それらは過剰な光沢によって輝いており、演劇性が方向性も定まらぬままに強調され、過剰に広い部屋の中で静かに叫んでいた。まるで、ケリーがいつも展示していたガラスのベルジャーの真空の中に、彼自身が閉じ込められたかのようだった。

私は、ある展示の告知に添えられていた写真をはっきりと覚えている。紫のトレンチコートを着て大きなサングラスをかけたケリーは、年老いたヴァン・モリソンのように身体が丸くなり、よそよそしい流し目をしていた。
それは何かしらのジョークを意図していたのかもしれないが、美術界の大御所というベニア板の権威が、あらゆる皮肉を台無しにしていた。
長い間、私はそれを言動不一致にまつわる教訓として受け止めていた。制作したアーティスト本人による作品の過剰な解釈には警戒すべきだ、という教えである。
ケリーが自身の著作アンソロジー『Foul Perfection』(2003年)の序文で述べているように、コントロール・フリークである彼の言葉は“自作品への批評家の書きぶりに対する不満の解消”だった。

私は、失望にも2種類あると気付いた。個別のケリー作品との出会いは失望的な体験として記憶に残っている。
2013年にポンピドゥー・センターで開催された彼の死後はじめての回顧展に行き、『Exploring』を実際に目の当たりにしたとき、その下部には這うための隙間などなかった。その絵画は、ただ他の絵画と共にサロン風に飾られていたのだ。 その絵に描かれた命令は空虚で、可愛らしくさえ思えた。

しかしその展示はまた、二面性を持つ不誠実なケリーを適切に紹介していた。完全に幸せそうな顔で何かを提示しながら、その裏では悪意に駆られ、没入感のある大きな不安の網を編み上げているケリーである。
行き止まりの扉のすぐ側ではパフォーマンスが行われ、“簡単な道”と“困難な道”の2つの入口が付いている鳥の巣箱があり、腸のような滲んだ絵画が架けられ、音楽家や映画制作者とのインタビューの隣には素朴を装った漫画の一片が置かれているなど、万華鏡のように移り変わる様々な試みと実践が織り交ぜられていた。
彼は絵具からPAシステムに至るまで、手に入る全てのメディウムを使っていたのだろうが、それらが全てひとつの大きなインスタレーションの一部となっていた。
そのすべての要素、すべての作品は意図的な失敗だった。まるで、文化的影響力における階級構造を体現しつつも撹乱しようとするアートは不条理なものだと認めているかのように。ケリーをあざ笑うために現代のテック企業用語をあえて使って言うならば、その失望は“バグ”ではなく“仕様”だったのだ。

Feeling Bad, 1977–78, ink on paper, 105 × 79 cm. © Mike Kelley Foundation for the Arts, Los Angeles. All rights reserved. © adagp, Paris, 2023

また別の場面では、ケリーの揺るぎないフロイト主義者としての側面が私を惹きつける。隠された出会いや、長い抑圧の記憶といった重たいメタファーを扱い、精神医学用語を即座に持ち出すケリーである。
彼は学生演劇から捨てられたおもちゃに至るまで、アメリカ文化のあらゆる側面が“抑圧された記憶症候群”の証拠であり、我々の周囲には抑圧と拒絶の兆候に溢れていると考えていたようだ。 彼から見ると、都市の日常においてありふれたものにさえ重要な抑圧の象徴が隠されていた。

私は、ピーター・シュジェルダールが2012年にケリーの追悼記事で語ったことについて何度考えたか分からない。ケリーの初期の白い長方形の絵画には塗り潰されたグラフィティが引用されている、という話だ。
“ケリーにとってこれらは社会的抑圧を表す暗号であると同時に、美的様式に関する抑圧を表す暗号でもあった。抽象絵画が歴史的な規模で生々しい感情を否定している、と告発していたのだ。”

高速道路沿いのグラフィティや、思春期の地下室のベッドルーム、あるいは小学校の講堂のステージ、さらには破壊されたスーパーマンの故郷クリプトン星まで、すべてが我々の原風景だ。そこで我々は基礎的な抑圧やトラウマに耐え、青年期を形成していったのである。
これらの場所はケリーにとって発射台であった。彼はそこに過剰な表現や爆発を重ね、最終的にそれを作品にしていった。

Mobile Homestead, 2010, public sculpture, dimensions variable. Photo: MOCAD, Detroit

フロイト主義者としてのケリーを最も象徴しているのは、彼が子供自体を過ごしたデトロイトの家を再現した『Mobile Homestead』(2010年)である。
一見するとそれは一般開放されたコミュニティセンターのようだが、地下には招待されたアーティストだけがアクセスできる迷路のような部屋が隠された構造となっており、そこには地上にある郊外の空間設計が反映されていた。

(彼はこのプロジェクトについて批判的だった、少なくとも公には。“近隣コミュニティに何らかの肯定的な影響を与えることを目的としたパブリックアートとして、これは完全な失敗だ…この作品は、遺跡で溢れるこの都市の中で、また一つの遺跡となり得る”と2011年に書いている。)

『Day Is Done』(2005-06)はケリーの中で最も広範囲で、支離滅裂で、人々を当惑させる作品群だ。 そこでは、学校や教育機関は永続的な刑務所であると同時に記憶の宮殿でもある、という解釈が拡張されている。

その鋭い洞察から始まったこのプロジェクトは古い卒業アルバムの学生演劇やパフォーマンスの写真を脚本の出発点として使っているが、それでは物足りないかの様にケリーの個人的な記憶や大衆文化のワンシーンも絡み合い、365本という途方もない量のビデオ作品群になっている。
派手な衣装をまとったぎこちない俳優たちが、ぶつぶつとつぶやきながらシーンを演じていく。その背景には卒業アルバムのシーンを曖昧な形で再現する小道具やインスタレーションが配置されていた。
このプロジェクトはある意味で、郊外生活のモニュメントとしては適切だ。時間を潰すために作られたくだらない活動や、忘れようとしてきた過去への断片的な賛辞となっている。
つまり、この作品自体がひとつの博物館になり、また教育機関となっているのだ。

現在巡回中の回顧展の中心部分を形成する『Day Is Done』は、若者の閉塞感をあまりにも正確に描いた作品である。ぎこちなく、無気力で、見るに堪えない。
だがそれが、ケリーを“規範的アーティスト”というラベルの付いた棺に入れて釘止めしようとする、美術館の回顧展が生み出す権威的形骸化をすり抜け続けられるのかどうかは、今でも確信が持てない。

Janitorial Banner, 1984, wood, felt, 125 × 31 × 51 cm. © Mike Kelley Foundation for the Arts, Los Angeles. All rights reserved. © AdAgP, Paris, 2023

彼の作品と文章の間には何かがあり、今でも不満げに土煙を上げている。
こういった複数のケリー像をひとつにまとめる方法はない。彼の作品を体験した人、彼の知人、またはその他の迷える読者たちがそれぞれ別のケリー像を持ち、それを振り返っているのだ。まるでケリーが把握可能な一貫性を持った人間であるかのように主張する美術機関にはうんざりである。
おそらく私は、ケリーが意図的に生み出した、裏で全てを操るダンジョンマスターのような人物像に騙されているだけの間抜けなのだろう。だがそれでも、ケリーのあらゆる振舞いの中からこぼれ落ちてくるもの──掴みどころがないけれど真摯な何かに、私は安らぎを感じるのだ。

また、こういった回顧展が提供するのはおそらく、複数のケリーとの出会いではない。ましてや、彼の馬鹿げた作品との鮮烈な出会いでもない。

回顧展が提供するのはむしろ、ケリーが残したいくつかの問いであろう。そして彼の作品が今でも問い続けているものに立ち戻り、それを別角度から考える機会を提供するのだ:

サブカルチャーに関する、重大かつ“シリアスな”アートを作ることはできるのか?それとも、それはただの嫌味な撞着語法なのか?

郊外に、ケリーが讃歌を捧げるほどの価値が本当にあるのだろうか?

一方で我々は彼の問い掛けを、ケリーが描写することに執着していた教育機関の複合体、その一翼を担う美術館の広大な会場で受け止めている。
それでもなお、美術館が生み出す偽善的で大げさな固定観念に対してくだらないと言うことは可能なのだろうか?

結局、私がまた見たいと思っているのは何なのか。ケリー作品そのものを別の展示構成で見たいのか、それとも顔に唾を吐きかけられたかのように、死んだ魚の目をして展示会場を後にする人々の顔を見たいのだろうか。私には分からない。

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