【意訳】ジョセフ・コスース:アートを “どうやって” から “なぜ” に変えたアーティスト
クリップソース: Joseph Kosuth - Shifting Art from "
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Joseph Kosuth – Shifting Art from “How” to “Why”
ジョセフ・コスースは、196年代から70年代にかけて登場したムーブメント:インスタレーション・アートとコンセプチュアル・アートのパイオニアの一人であり、アートにおけるオブジェクトの概念を再定義したアーティストである。
コスースはオハイオ州のトレドに1945年に生まれ、1965年に美大に入学するためNYへ移住した。1967年に共同で始めた展示スペース、Museum of Normal Art(ふつうアート美術館)での最初の展示の時点で、彼はコンセプチュアルアートへの興味から、絵画をすぐに放棄している。その年、コスースは Nonanthropomorphic Art (非擬人化アート)とNormal Art(ふつうアート)という展示を企画し、そこで自分とクリスティーン・コズロフの作品を展示した。中でも重要なのは、この展示に寄せた文章の中でコスースが “アートにおける実際の作品とは、そのイデアである” と書いたことだ。同じ年に、彼は Titled (Art as Idea as Idea) [表題:イデアとしてのアイデアとしてのアート] というシリーズ作品を展示した。このシリーズは視覚的なイメージではなく、モダンアートの状況にまつわる議論に関連した、基礎的な言葉によって構成されていた。そこで展示された基礎的な言葉は、“meaning”(意味)、“object”(もの)、“representation”(表現)、“theory”(理論)などだ。1969年、コスースはNYのレオ・カステリ・ギャラリーで初個展をおこない、アート&ランゲージ誌のアメリカ版編集者となった。
哲学以後のアート
1969年、コスースは影響力のあるエッセイ“Art After Philosophy”(哲学以後のアート)を出版した。そこでは、伝統的な美術史的論文が終わりを迎えたと主張している。彼は作品が文化的重要性とアートとしての立場を獲得する方法について本質的な探求をすべきだと提案した。コスースはこのように宣言している。 “いまアーティストであるということは、アートの本質を問うことを意味する。絵画の本質を問う者はアートの本質を問えない。なぜなら“アート”という言葉は普遍的で、“絵画”は特定的だからだ。絵画はアートの1種である。絵画を制作するなら、既にアートの本質を(疑いもせず)受け入れているのだ。”
この重要な作品の形成期に、コスースはマルセル・デュシャンがレディメイドによって証明したことを踏襲した;アートは、アートの基準を満たした美的な実体の存在を前提としている。レディメイドの場合、デュシャンはこれはアートだと宣言し、実際にアートになった。コスースは言語学的アプローチで、このアートにおける表現と定義の問題を探求したのだ。
ジョセフ・コスースと言語の哲学
1971年から1972年にかけて、コスースは人類学と哲学をNYのニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチで学んだ。そこで彼は、特にルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインに影響を受けた。彼の言語の哲学に関する論考は、60~70年代のコスース作品に強い影響を与えている。
コスースは視覚的イメージの代わりに言葉を使った探求に専念し始め、同様に言葉とイメージの概念同士の関係性にも取り組んだ。
彼はその時期、ウィトゲンシュタインから“investigation”(インベスティゲーション:調査・研究・究明)という言葉を自分の作品に借用しており、哲学はアートになることでしか存続できないと考えていた。
“インベスティゲーション”はアート的実践の保護に近い。アートが装飾やファッションやアート市場の一部になってしまうこと(60年代にとても蔓延していた)からの保護である。コスースもデュシャンのように、アートは知的実践だと信じていたのだ。
象徴的な作品
One and Three Chairs (1965)(1つと3つの椅子)
最も知られているコスース作品のひとつが“One and Three Chairs ”(1965)(1つと3つの椅子)だ。本作はプラトンのイデア論を視覚的に表現しており、木製の椅子、その写真、辞書における椅子という言葉の定義の組み合わせで構成されている。
プラトンの理論によれば、非物質的な形相の抽象(あるいはイデア)は、物質的世界と対を成す現実性の最も基礎的な要素である。本作品においてコスースは3つの異なる方法で椅子を表現し、この理論を探究している。
Five Words in Blue Neon (1965)(青いネオンによる5つの言葉)
ジョセフ・コスースは言語の限界を証明して見せるために色を使っている。“言語の限界の証明に、色の定義の記述ほど有効なものがあるだろうか?これより簡潔にテキストを拷問する方法はなく、これ以上に言語の限界を体験できる場はない。”
彼の有名な“Five Words in Blue Neon”でその実践が見られる。シンプルに青いネオンでタイトルのフレーズが書かれた作品である。コスースがこの作品を制作した頃、彼はキャンバス以外の、印象的で興味を惹く何かに手を出そうとしていた。
Art as Idea as Idea (1966-1968) (イデアとしてのアイデアとしてのアート)
彼の“イデアとしてのアイデアとしてのアート”は、辞書に書かれた定義から全てのモノとイメージが取り除かれたものだ。こうすることでコスースは、言葉が持つ意味を純粋に伝達する能力を強調しようとする。彼はアーティストの手仕事の跡は芸術的創作物から全て取り除かれるべきだと考えており、故にこれらの概念は直接的、即物的、包括的に表現される。コスースにとってこのアート作品は、言葉に与えられた定義である。それを表現するため、コスースは展示の度にオリジナルの辞書の記載の切り抜きを撮影し、特定のサイズに拡大することを要求している。
Double Reading (1993)(ダブルリーディング)
1993年のLAのマーゴ・リーヴィン・ギャラリーでの展示で、コスースは漫画を使ったシリーズを提示した。彼はブロンディ、ウィザード・オブ・イド、カルビンとホッブス といった漫画を引用し、拡大してガラス板にシルクスクリーンで刷ったものをネオンで照らした。そして各作品にライプニッツやキェルケゴールなどの哲学者からの引用を、適切な組み合わせで付け加えている。
コスースがその展示のオープニングにやってきたとき、彼の作品のコレクターでもあるハリウッドの弁護士達が彼に詰め寄り、漫画の使用許可を取っているかと尋ねた。コスースはこう返している。“いえいえ、許可は取っていません、キェルケゴールからも。私は漫画を指差して「これは私の作品ではない」と言い、同じく引用を指差してこう言いました。「これも私の作品ではない。これらは小道具であり、私の作品はこの2つの間にあるギャップです。それは2つが合わさって生まれた余分な意味なのです。」”
ジョセフ・コスースのアートワールドへの強い影響は、彼自身の言葉に集約されている。
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