【意訳】隠遁する錬金術師:ジグマー・ポルケ
クリップソース: The Alchemist’s Moment: The Reclusive Mr. Polke - The New York Times
※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。もし間違いを発見された場合は、お手数ですが 山田はじめ のTwitterアカウントへご指摘を頂けると助かります。
The Alchemist’s Moment: The Reclusive Mr. Polke
By Carol Vogel
May 27, 2007 Cologne, Germany
ジグマー・ポルケにとって、使用する素材の中でもヒ素は特に重要だ。ラベンダーオイル、隕石の塵、金箔、辰砂などの画材がまとめて1つの絵画に組み合わされることもある。だが先日の雨模様の午後、結晶化した純度の高い紫の顔料がポルケ氏の心を奪っていた。
工場地帯にある倉庫のような家。その裏庭に張られた、彼がサマー・アトリエと呼ぶオイルクロス製のテントに入ると、ポルケは3つの巨大な絵画の上にまたがっていた。
6月10日からオープンするヴェニス・ビエンナーレで、世界中から来た遊牧民的鑑賞者に向けて発表する作品だ。65歳(2007年当時)のポルケ氏は、ラッカー塗料に浸した色とりどりの生地を何枚も重ねてキャンバスの上に乗せ、そこへ更にラッカー塗料を重ねた。次に、僅かな日光しか通さないこのテントの中で霊的に発光する、黒い透明の生地の作品に取り掛かる。
“筆で塗った紫の顔料、その表面が金色になります。” 木挽台に置かれた10×16フィート(3×4.9m)の絵画を熱心に見つめながら彼は言う。 “光の反射によって色が変わるのです。”
マイケル・ワーナーと共にポルケ作品を扱うディーラー、ゴードン・ヴェネクラセンは不意にこう言った。“ルネッサンスの頃から存在する紫の神秘的な性質は、ジグマーをいつも魅了するんだ。”
魔術師、道化師、賢人、預言者──ポルケ氏は現在活動する多くのアーティストにとってのヒーローだ。キュレーターやコレクターもまた磁石の様に彼に惹きつけられる。その魅力の1つが、慣習的なキャンバスに意義を唱え続ける絶え間ない探求心である。液体や塊状の古代物質や安価な大量生産の生地などを、人物のスケッチと組み合わせるのだ。
明確な芸術的ムーブメントが存在せず、大衆受けするテイストが支配的な現在、ポルケは意外性を扱う達人だと認識されている。また、古代の神話、哲学、化学に根ざしている一方で、彼の作品は常に新しく見える。
75歳(2007年当時)のジョン・バルデッサリは、ポルケ氏をアーティストの中のアーティストだと評する。“全ての作風が、それぞれ独立したアーティストのキャリアとして成立しうるほどだ。”
ここ最近でポルケ氏が制作した作品のほとんど全てに対し、コレクターや美術館長が購入しようと列を作っている。2月のアートショー・イン・マンハッタンのカクテルパーティーで白黒のドローイング群が披露されたときも10分以内で完売してしまった。
その入手困難さも魅力の一部なのだ。映画スターのような魅力を維持しようと懸命に働くジェフ・クーンズ、ダミアン・ハースト、村上隆らとは違い、ポルケ氏は脚光を浴びるのを避け、自分のプライバシーを守っている。彼は数ヶ月間も電話に出ず、手紙も見ず、スタジオの訪問もさせないことで知られている。
ヴェネクラセンの勧めがあってのことだが、彼はヴェニス・ビエンナーレを控えた状況を観るためにリポーターがスタジオと裏庭のアトリエに入るのを許可した。“この作品群は転機となるものですから、説明が必要だと感じたんです。”とヴェネクラセンは語った。
ポルケ氏曰く、ビエンナーレの為の絵画も普段の作品と同じく、彼が実験してきた神秘的な手法を進化させた特殊なアイデアによって制作されている。ドイツ語訛りの英語でポルケ氏はこう説明する。“作品はアイデアと素材が出会う場所なのです。作りたいものが見えていても、絵画に取り組むとその結果はいつも違ったものになります。”
ビエンナーレのために制作してきた7枚の抽象画も、その表面にラッカーを染み込ませ、乾燥させるために述べ2年間を要している。まとめて “The Axis of Time”(時間軸)と名付けられたこの作品群は、ビエンナーレの目玉企画としてイタリア・パビリオンの “Think With the Senses — Feel With the Mind. Art in the Present Tense.” (感覚と共に考え、心と共に感じる。現在形のアート)の中で展示される。
この展示はビエンナーレの芸術監督でNYのMoMAでキュレーターを務めていたロバート・ストーによって企画された。彼はこの展示風景を、“コンセプチュアル・アート(概念芸術)とパーセプチュアル・アート(感覚芸術)が出会う場所”として構成している。そこにポルケ氏の作品を選ぶのは極めてまっとうだ。
“長い間、ポルケは画家の中で最も興味深く、かつ予想不能な存在であり続けています。彼を一言で表すのは無理ですし、作品を観てもすぐには言葉が出てこない。そこには一種の知的な深みがあるのです。”ストーはヴェニスからの電話でそう語った。
ロンドンのテートで館長を務めるニコラス・セロタは、1995年からポルケ氏の作品を展示してきた。彼いわく、その不可解さが作品の魅力に繋がっている。“彼は卑金属を金に変えるように、普通の生地を素晴らしい絵画に変えます。ですが彼は理解するのがとても難しいアーティストです。ポルケと比べれば、難解なゲルハルト・リヒター作品もシンプルに見えます。”(ポルケ氏とゲルハルト・リヒターはよくつるんでいた。2人とも西ドイツで1960年代を過ごした経験を持つからだ。)
絵画自体がそうであるように、ポルケ氏の説明が理解できるとは限らない。セロタは、意図的に埃をかぶせたフィルムの向こうに指紋が見える絵画について指摘する。
“このタイプの絵画は多くのことを物語ります。まるで犯罪者の指紋に見えるので恐怖を感じますが、同時に触りたいと思うのです。私にとってはそのイメージよりも、これを触ってみたいと感じる人間の習性の方が重要なのです。”
彼は何時間ものあいだ情熱的な鑑賞と、ほとんど科学的とも言える素材と技法に関する詳細な説明を交互に行った。巧みにメタファーを使い、慣用句と哲学的概念をジャグリングするのだ。
紫を足そうとする際に彼は、その表面が“太陽によって乾かされたように金色に変わる” と言った。 “あるいは月の破片ですね。この手の絵画では、とても多くの現象が起きる。”
彼が情報を摂取する対象は美術史から神聖な物質を生み出す化学にまで及ぶ。それらは本棚に格納されたり、アトリエのテーブルに積まれた大量の本や雑誌からも分かる。
“ルーベンス名作集”から“現代占星術”、顔料や鉱物の技術マニュアルまである。そこには古代中国の銅鑼、電子キーボード、巻かれた古い生地、模型なども置かれている。テーブルは本で覆われてはいないが、クリスタルや琥珀の塊といった興味深いもので飾られている。
建築家の息子であるポルケ氏は1941年にシレジアのエールスで生まれた。そこは第二次大戦末期に東ドイツに統合されていた場所だ。彼とその家族は(ポルケは8人兄弟の1人だった)、トロッコを使ってひっそりと西ドイツへ移住する。彼が12歳のときである。
東の共産主義と豊かになり始めた西ドイツの対照的な様子を見る中で、彼は消費主義を初期作品の中で頻繁に引用した。彼は自分の受けた教育を“ブルジョア的”と表現し、小さい頃はヴィオラの演奏を強要されたと回想する。“私の父は僕らみんなにそれぞれ違う楽器を習わせました。家族でオーケストラを作ろうとしていたんです。”
ポルケ氏は昔の巨匠に強い影響を受けている。“若い頃はルネサンス芸術に関心がありました。” 彼はケルンにある木目調の優美なレストランで昼食休憩を取りながらそう語った。“子供のころはアルブレヒト・デューラーのドローイングやピーテル・ブリューゲルを模写していました。これらは私にとって非常に親しみやすかった。” 現在の彼は、アイデアを定着させるためにドローイングを利用している。
“殆どのドローイングは自分のためにスケッチブックに描いたものです。これらは心理実験──何が出てくるかわからない、個人的な内面の思考を描いているのです。”
彼は後年にガラス絵画を学んだが、それは彼が透明性に魅惑されていることを良く表している。(彼は頻繁にキャンバスにレジンを流し込んでその上にイメージを描いたり、ラッカー塗料を生地を染み込ませてからその上に模様を描く。)彼は絵画をデュッセルドルフ美術アカデミーで学んだ。そこはヨーゼフ・ボイスが教鞭を執っていた場所でもある。
彼のキャリアは実験の連続だ。1960年代、デュッセルドルフで学生をしていた頃に、彼はゲルハルト・リヒターやコンラート・フィッシャーと組んでポップアートへのドイツ的な回答の道を探り、その皮肉なスタイルを資本主義リアリズムと呼んだ。彼はマッチ棒、板チョコ、ソーセージ、ビスケットといった日常的なモチーフをまるで広告の様に描き、懐疑的な眼を常に光らせていた。
彼はこう回想する。“我々にとってアメリカのポップは新世界でした。大きな変化の時代だったのです。” それでもポルケ氏の制作した作品は、アンディ・ウォーホルやロイ・リヒテンシュタインらの滑らかなイメージとは全く異なるものだった。ポップアーティストの多くがシルクスクリーンの技術を頼ったのに反し、ポルケ氏は常に手描きで絵画を制作した。新聞紙のような、機械的に生み出されたイメージの拡大版のドットを手描きで再現したのだ。(子供のころから彼はドットに夢中だった。ずっと近眼なのはきっとそのせいだよ、と彼は皮肉を言っている。)完成品における描写のブレも、何が描かれているのかと同様に重要な要素だ。
彼の絵画における白黒のドットは時に小さく、まるで点描主義かベンダイ工程を使った新聞紙印刷に見える。またあるときは大きなドットによる水たまりのような背景が、肖像画や普通の机と花瓶を描いた静物画に使われている。
いくつかの絵画では更に大きいドットがイメージと共に点在している。1971年のミックスド・メディア作品などでは、彼は花柄ストライプの生地の上に、ミルクのように半透明な白でキャラクターと共にドットを描いた。これはドラッグを使った経験に強く関連した“不思議の国のアリス”シリーズの中のひとつである。
彼は70年代に一時的に絵画制作をやめて、写真の化学現象の探求へと方向転換した。また、フィルムやビデオについても掘り下げて研究し始め、今でもカメラやハンディカム持って旅行しては絵を描くのと同じ様に探求している。
ポルケ氏は1980年代に熱意とともに絵画へと回帰すると、新しい素材や顔料を貪欲に探求しはじめ、彼のスタジオは錬金術師の遊び場に変わっていった。有毒物質の実験も行うようになる。店で買った顔料のほとんどは、彼が望む鮮やかさな発色を欠いていたからだ。彼はヒ素や翡翠からアジュライト、ターコイズ、マラカイト、辰砂、蜜蝋まで何でも使った。また、カタツムリの粘液を蒸留したものを光と酸素に晒し、鮮やかな紫を生み出した。これは古代のミケーネ人、ギリシャ人、ローマ人が統治者のローブを紫に染めるために使っていた技法に近い。
“Lump of Gold” (1982)という作品において、ポルケ氏はヒ素を直接キャンバスに塗っている。暗黙の内に示されているのは、これらの物質的な素材そのものがイメージにもなりうる、ということだ。
“ポルケ氏は、絵画が視覚的興奮以上のものを与えうる、というアイデアを好んでいます。大量のヒ素は人を殺しますが、少量ならば治療に使えるのです。” ヴェネクラセン氏はそう語る。
様々な点で、彼は“高次の力:神”が自分の作品をコントロールしているとほのめかしている。1960年代初頭にポルケ氏は、ヤシの木と女性レスラーを主題にした16枚の写真と4点のドローイングを箱の中に収め、いわゆる視覚と形而上の日記であるこの箱を、アイデアに共感してくれる誰かに売ろうとした。
“私はコンセプトのアイデアとして、超心理学:パラサイコロジーに興味があります。” 1968年のエディション作品は、『神の思し召し』によって全ての箱に一点物のドローイングと7つの写真が入れられた。その写真の中には“ヤシの木としてのポルケ”というタイトルの、羽を身に着けてヤシの木に扮した下着姿のポルケの自撮りも含まれている。
ポルケ作品では美術史も重要な役割を担っている。 Ruminating on Rembrandt(レンブラントについて考えたこと)は、1972年にドイツのミュンスターにあるクンストフェライン(芸術協会)から盗まれたレンブラント作品に関する応答として制作された連作だ。 その中の“Original and Forgery”(真作と贋作)というタイトルの作品は著作権の概念について探求したもので、コラージュと鏡の破片を組み合わせた巨大なアッセンブラージュ絵画だ。
ポルケ氏によると、彼はレンブラントとデューラー以上にゴヤ、特にその印象的な黒い絵シリーズに強く影響を受けており、そこから着想を得た写真とガラス絵画の連作を1990年に制作している。
ポルケ氏はウィリアム・ブレイクの不気味なポエムとイメージも引用し、より近代ではシュルレアリストのフランシス・ピカビアが1920年代初頭に制作した透明な絵画が明らかに彼の作品に影響を与えている。
また、彼はヨーゼフ・ボイス氏を自分のヒーローと呼ぶ。ボイスは多くのドイツ人アーティストの歩む道を舗装してくれた人物だからだ。彼は多種多様な素材を使って作品制作し、“アートとは何か?”という問題への再注目を促した。
ポルケ氏は現在、ガラス絵画の特訓を活かしてステンドグラスの窓をチューリッヒのグロスミュンスター大聖堂のために制作している。彼のスタジオの床には実験用のマケットがあり、様々な構成の窓のデザインと同様に石や鉱石も並んでいる。“アラバスター(大理石の一種)には神秘的な歴史があり、人々はそれを理解していますが、トルマリンはもっと洗練されています。” トルマリンのサンプルときらめくクリスタルを持ちながらポルケ氏は語る。“トルマリンは並外れて良い模様を生み出します。それだけでも、これが最も神聖な物質だと言えるでしょう。”
作品テーマに関して、ポルケ氏は旧約聖書と新約聖書の物語を考慮するだけでなく、わかりやすい表現を避ける可能性についても考えている。“具象的なステンドグラスで聖書のイメージを要約するよりも、近代的な視覚言語に翻訳するべきです。”と彼は語る。
だがこの春を通してポルケ氏は、裏庭のアトリエでヴェニスにむけた絵画を完成させることに時間を費やしている。
最近は光がどの様に質感と色を変えるのかについて着目しているようだ。“光は隠喩的です。” 様々な感情的な意味を持っている、とリビングでお茶のカップを持ちながら彼は説明する。
“ここには緑のライトと赤のライトがあります。そしてブラックライト、大抵は危険です。”
“私は他にも反射を利用したライトをつくろうとしています。” 彼はキャンバスのレイヤーから発せられる光について語った。“神聖な光のように、これは新しい超自然的なものを示唆しています。”
作品の幾つかは、金色の風景や夜明けに見える。その薄暗いテクスチャは、鑑賞者を一種のまどろみに誘う。
一点だけ人物を描いた絵画もある。 抽象的なイメージを見下ろす子供達の列だ。そのイメージは、ポルケ氏が墓場で見つけた朽ちた写真をキャンバスに拡大投影し、その上から絵具を塗って制作された。
ヴェニスの鑑賞者たちも今までと同様に、自分の絵画を理解しようと試みるだろう、とポルケ氏は予想する。だが彼は、どの作品も1つの意味へと蒸留することはできない、と付け加えた。
“完成された絵画は、数百万の印象のうちの1つにすぎません。”
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