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【意訳】シアスター・ゲイツ:変化を促すアートの力

Artist Theaster Gates on the Transformative Power of Art | Time

Updated: December 12, 2019 6:21 AM ET | Originally published: December 5, 2019 7:01 AM EST 
          
※英語の勉強のためにざっくりと翻訳された文章であり、誤訳や誤解が含まれている可能性が高い旨をご留意ください。
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クリップソース: Artist Theaster Gates on the Transformative Power of Art | Time

シアスター・ゲイツが、縄張りの周囲を低空飛行する鷲のように鑑賞者の間を滑り抜けていく。ゲイツはローラースケートがとても上手く、自分で施工した床の滑らかさも信頼しているようだ。ここは暗いが、バンドがグレイス・ジョーンズのカバーを演奏している。彼は時折ふと立ち上がって叫ぶ。“これは会議じゃないんだぞ!” “これはクソみたいな会議じゃあないんだ!”
これが第6回目のブラック・アーティスツ・リトリート(黒人アーティスト達の隠れ家)の初日の夜だ。ゲイツによるこのイベントは、週末に議論、パフォーマンス、映画上映をおこなうもので、2019年は“音の想像力”の探求がテーマだった。それでも話者がいてプレゼンをすれば会議っぽい雰囲気になることもある。だからローラースケートで走っているわけだ。

ゲイツは陶芸家・彫刻家で、都市計画家でもある。アクティビストでもあり、工場のオーナーでもあり、バンドのリーダーもやっていて、不動産開発業者でもある。他にも多くの顔を持つ彼だが、大学教授としても働いている。
“アート業界では、制作手法をひとつに狭める選択と集中の思想が浸透していますが、私は視野の広い人生感を持ってアートに参入し、それを改善しようと取り組んできました。”軍用施設を転用して作られたアートスペース、パークアベニュー・アーモリーにある男くさい雰囲気の退役軍人ルームに座り、46歳のゲイツは語る。

彼は意図的に複数の顔を持っているが、これは分類に対する不信感と、ラベリングされることへの不安の現れである。
“「私は絵描きです」と言ってしまえる人なら、単純に絵画に没頭するでしょう。でも私は絵を制作するだけじゃない。とにかく生活していて、その中に様々な芸術的実践の形式を取り入れている感じです。”
とはいえゲイツは機会があれば、空間に関する作品を制作する。ただしその空間は陶器に包まれていることもあれば、近所の壁に囲まれていることもある。
“土地が遊んでいる、とは何を意味するのでしょう?政治的な問題を回避しつつ放置された廃墟を活性化していく過程に、アートはどう関与できるでしょうか?”

このような活動を、一部の人はソーシャル・プラクティス・アート(社会実践芸術)と呼ぶ。インスタレーションやパフォーマンスもまたミュニティ開拓のためのプロジェクトであり、ゲイツはそれらをリサーチと呼んでいる。
アート・ワールドにおいて無視できない話題となっているのが、2019年にパリ、ミラン、ロンドン、LAと巡回したゲイツの個展だ。2020年の1月には、ミュンヘン、ミネアポリス、リバプール、アトランタでも彼の作品を観ることができる。あるいはシカゴのサウスサイドに行ってみるといい。
2007年に美術授業のコーディネーターとしてシカゴ大学に雇われたとき、ゲイツはグレーターグランド交差点にあるキャンディストアだった物件を購入して引っ越した。そこは学校から数ブロック離れた位置にある貧しい地域だった。
グレートリセッション(世界金融危機やリーマンショックとも言う)の打撃を受けた後、ゲイツはその隣の家を購入し、アーカイブハウスという名の小さな図書館の一部として所有した。また別の廃墟はブラックシネマハウス(後に移転)やリスニングハウスになった。その当時、彼はかなりの数の不動産を所有しており、80戸に及ぶ物件の所有権に加え、営業中・リノベーション中を問わず、様々な状態にある数十万フィートの商用産業施設を保有していた。
アートが地域をどうやって良くするのか?シカゴ市が放棄した古い銀行をゲイツに1ドルで売却したとき、彼と数人のコラボレーターはそこにある大理石製の小便器の仕切り板を取り外すと、切り分けて小さな美術証券に変えた。彼はそれを各5千ドル(約52.3万円)で販売し、その建物をストーニーアイランド・アーツ・バンクへ改装開始するのに十分な資本を獲得した。その施設は、ハウスミュージックのパイオニアであるフランキー・ナックルズのレコードコレクションやジェット誌のアーカイブなど、さまざまなモノの保管場所だ。

ゲイツは自分のスタジオ、NPOのリビルド・ファウンデーション、自分の会社であるドーチェスター・インダストリーズ、シカゴ大学、市、なにかクールなことを一緒にやりたい人々の援助団体などを通して、シカゴのサウスサイドに数百万ドル(約数億円)をもたらした。
だが、アートは単なるお金以上のものだ。ゲイツはアジャセンシー(ご近所さん)を信じている。“もしも貧しい人々が、世界で最も美しく、重要で、有意義な作品へ真に触れる機会を持っていたら何が起きるでしょう?”

このアイデアを実現に近づけるため、ゲイツは歴史的に重要で有意義なのに無視されてきた作品を、地域の放棄されている施設に所蔵する実験をした。現在、彼が住んでいる区域はアートストリートになっている。
“ここは、ご近所さん関係を築くことで中流階級の自分と貧しい人々の人生が好転したことを証明する場所でもありますね。” 
ゲイツが初めてアートの力を浴びたのは、毎週末、8歳年上の姉と一緒に母に連れられてシカゴ西部のバプティスト協会に通っていたときだ。彼はそこでのゴスペル歌唱を、協会の扉の向こうにある厳しい現実に対する“防護障壁”だと表現する。その週に何が起きたとしても、そこでは毎週日曜の朝に、気分を変えてくれる美が創られていたのだ。
彼は大学で都市計画、陶芸、宗教を学んだが、ファウンド・アートに力を入れ始めた。廃棄された木材は靴磨きのブースになり、使用されていない消化ホースはタペストリーになった。

ゲイツの多面性は、彼のアプローチ全てに染み渡っている。彼は派手なスタントマンだが(トイレ証券を思い出して欲しい)、同時に真面目な美術史家、美術理論家でもある。彼の話し方は、詩的にも、無礼にも、博識にも、完全なストリート調にも変化する。
アーモリーが彼にアーティスト・イン・レジデンスの年に何をしたいか聞いたとき、ゲイツ教授はローラースケートパーティーをやりたいと語った。キュレーターは会場の床の状況を見て本気なのかと疑ったが、ゲイツのドーチェスター・インダストリーズは見習いに仕事を教えており、その一つが研磨加工だったので、床を改装すると決めた。“「私はフロア・アーティストです」って感じの仕事ではなかったですよ、普通の床でした。だけど部屋を掃除して床だけになったとき、これはとても素晴らしいアート作品だと感じました。ほとんど贈り物のような仕事でしたね。”アーティスト・リノベーターであるゲイツは、寄付者でもあったのだ。
アーモリーでのブラック・アーティスツ・リトリートは過去最大の規模で、最初に部分公開されたのは音に関するものだった。イベント参加者としてのゲーツは語る。“私達の中にはハミング(鼻歌)の歴史の専門家がいます。防御装置としてのハミング、癒やしとしての慟哭、一種の抵抗としての沈黙です。”これは彼が追求してきたアートからズレているように見えるかも知れないが、ノイズは彼の作品において強調され続けている要素だ。
2007年、彼はブラック・モンクス・オブ・ミシシッピを共同設立した。この音楽グループは宗教ではなく、南部の伝統的黒人音楽の探求を熱心におこなっている。ゲイツにとって音楽は、収集し復興される価値があるのに見落とされている、もうひとつの黒人民藝品だ。それにその音が、今回のイベントの閉幕も盛り上げてくれた。

このごろ、ゲイツには陶芸をやる時間があまりない。都市行政、慈善事業団体、アートギャラリーからの依頼が尽きないからだ。彼がずっと心配そうな表情なのも、それが原因かもしれない。
“私はとても複雑であることで成功していますが、単純にやろうとしてもあまり上手くいかないんです。”
彼は次に、不動産を贈与して“新しく複雑なことを始めるための単純化”をやるつもりだ。
変えたくないものといえば、信仰する心の余裕だ。彼の母が神を信じていたように、ゲイツはアートを信じている。地元、音楽、商売、建物の残骸、ろくろに乗せる前の粘土、、、、
ゲイツにとってこれらは、変容と救済をもたらす創造力の容れ物なのだ。
This appears in the December 16, 2019 issue of TIME.

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