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ググらないことが大切だ

と、かつて私は言っておられます。

私はやってはいけないことをやっちゃうタイプなので、自分で「ググらない」とか決めるとますますググりたくなる。
そんなわけで「やらない」ということを「やる」という方向転換をしたこともあったが長続きはしなかった。

だからいろんな方法で「やらない」をかつて試みた。

例えば視覚的に訴えるため、ここから先には行ってはいけない、の印に赤いテープでラインを記す。
これも効果は3週間くらい?
大体禁煙と同じで、3の数字で、あ、やばい、やるかも、というのが来ます。

一番効果的面なのは、もう実質無理、という状況を作ること。
私は2014年〜2015年にかけて、SNSを見ないようにするために
友人にipadとスマホを梱包して送りつけた。
当時私は兵庫県の実家にいて、友人は広島に住んでいた。
実家はインターネット環境がないため、PCだけは手元にあったがネットには繋がらない。
もう完全にSNSを遮断することに成功した。
が、

世の中にはインターネットカフェという場所が存在する。悪しき場所。何度ここで寝泊まりしたか。
しかし、ネットカフェの誘惑に打ち勝つ術もある。お金を持たない、という術。
お金が無ければネカフェに行くことはできない。
そんなわけで、というわけでなく、メンタルやられて何もしなくなって実家で屍になっていたのでお金もなくなり、ネカフェにも行かなくなった。

そうしてな〜〜〜んにもしない日々が続き、見かねた家族が習い事を始めさせてくれた。タウンページを渡されて、好きな習い事調べて電話かけて見なさいと。
私は家から一番近いところにある茶道教室に通い始める。

茶道教室に通っていたのは2年半ほどで、そのうち1年は本当にバイトもせず、実家で屍状態の中、週に一回お稽古に通っていた。
通い始めて1年後には近くの喫茶店でバイトを始めることができるようになり、その頃は「もうこのまま死ぬまでバイトだけして、特に夢中になることも悲しいこともなく平坦な人生を送るのだろう。そしてそれでいい」と思っていた。
ものすごく無感情で、悲しいが消え去ったけど、楽しいも消え去った時期。

しかしこの2015年から、おのくんが現れ始めるのです。人生とは奇なり。

ちなみに、
クリープハイプには2015年1月、ネット環境を遮断していた時期に映画館で出会った。
母と映画館で見た「百八円の恋」確かシネリーブル梅田で見たと思う。
あの日、その映画を私はどうしても見なければならなかった。

遡ること3,4ヶ月前、私は高知県にいて、Kの参加する芸術祭にテニスプレーヤーの彼女的立場で同伴していた。私が滞在していたのは10月初旬、そして確か10月下旬から城西公園に特設された劇場で「0.5ミリ」という映画が始まるという頃だった。
私は2005年、一角座のお手伝いをしていた時期がある。一角座とは「ゲルマニウムの夜」を上映するために上野の東博敷地内に建てられたプレハブの映画館で、その時の鑑賞体験を忘れることができず、ついにはボランティアスタッフとして通うようになった。「ゲルマニウムの夜」で大森立嗣監督の映画のファンになり、次作「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」にも度肝を抜かれた。その映画に出ていたのが安藤サクラさん。以来安藤サクラさんの映画は必ずチェックするようになっていた。
その、安藤サクラさんが主演、監督脚本は姉安藤桃子さん、しかも、公園に特設された劇場。私は一角座を思い出していた。その映画を上映するために整えられた、特設された劇場。しかも丁度高知に滞在している。Kと一緒に観に行こうと約束していた。

しかし、私が城西公園で0.5ミリを観ることはとうとうなかった。
1週間滞在し、帰る夜行バスに乗り込む時、Kとキスをしてお別れして、それが最後になった。それ以来今に至るまで一度も会っていない。会ったら多分殺すけど。
わたしが帰った翌日、Kのマネージャー(美術家を名乗る人間の女マネージャー制度をわたしは一つも信用していない)が高知県入りし、わたしが寝泊まりした部屋でKと寝泊まりし、SNSに次々とKとの様子をご親切にもアップしてくれた。
そんな中、Kはマネージャーの女と城西公園で「0.5ミリ」を観ていた。これまでもKとマネージャーの女にまつわるエピソードは死ぬほどあるけど、この出来事がわたしにとどめを刺したと思う。
こういうことはこの先もよくある。考えてみれば小さい頃からそうだったかもしれない。ものすごく楽しみにしていたことが叶わない、ということがよくあるのだ。
おのくんと一緒にいた頃も、楽しみにしていた明礬温泉に行く約束をしていた日に小さなすれ違いがあって、結局それが大きなすれ違いになってしまうきっかけだったと思っているのだけれど、行くことはなかったし、当時二人が住んでいたアパートから徒歩3分ほどのパン屋さん、ある日おのくんの制作をアパートのみんなで手伝って、おのくんは終わった後全員にパンを買ってくれると言って連れ立っていったのだけれど、わたしはアルバイトがあって、手伝うだけでパン屋さんには行けなかった。だから、今度一緒に行こうねって言ってくれていたのも結局叶わなかった。冬の花火も一緒に見ようねって言って、9月に別れて全然間に合わなかった。
そういう、叶わなかったことほど記憶に残る。
わたしはマネージャーの女のSNSでKがのうのうと、わたしとの約束なんてすっかり無視して「0.5ミリ」をマネージャーの女と見に行っていることを知って、大阪でも上映しているけれど、一角座の件の通り、城西公園の特設劇場でKと一緒に観たかったわたしは謎の頑固さを発揮して絶対見ない、と決めた。
代わりに、同時期に上映されていた安藤サクラさんの主演映画「百円の恋」を母と観に行った。実家に帰ってから三ヶ月ほど経っていたがその間家から全く出ないでただこたつでゴロゴロしているだけの日々、母に連れて行って欲しいと願い出て梅田に出かけた。
車で梅田に行く時は、母はいつも茶屋町の雑居ビルにあるパーキングに停めるのだけど、円盤の上で車がゆっくりと回転する様子を何故かよく思い出す。母と梅田に二人で行くことは小さい頃から何度もあるけれど、なぜか一番思い出す光景がそれだ。

そうして、「0.5ミリ」は観ないで「百円の恋」は観る、と決めたが、なんの予備知識もなく、新聞で上映時間だけは確認したものの、まさか相手役が新井浩史だったとも知らなかった。(わたしがお手伝いしていた一角座「ゲルマニウムの夜」で初主演をしたのが新井浩史で、当時毎週末一角座でトークショーをしていたので数回お会いしたことがあった)

そしてようやく、ちなみに、のところに戻るのだけれど、映画の最後の場面で突然
「もうすぐこの映画も終わる」という歌い出しで始まる、クリープハイプの「百八円の恋」
わたしは観ながら、何が始まった?と思っていると歌詞は続く。
「こんなわたしのことは忘れてね これから始まる毎日は 映画になんかならなくても 普通の毎日でいいから」
とにかく歌詞に掴まれて、一気にスクリーンに引き込まれていると暗転、そして胸を打つ2発のバスドラム、ドン、ドン、
そこからはもう引きづり込まれるようにギターリフがかき鳴らされ、尾崎世界観の高い声が「いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたい」と叫んでいる。
わたしは本当に鳥肌が立っていた。エンドロールを眺めながら、いかん、悠長にしていてはいけない、わたしには今インターネットを接続できるもの、つまりググれるものが何もないのだから、このエンドロールを歌っている歌手が誰なのか、エンドロールから見つけ出さなければ、そう思って必死で追っていた。
主題歌、クリープハイプ、メモ帳に書き留めた。それがクリープハイプを最初に知った日の出来事で、そこから6年半ほどが経過、その後交友関係が始まった人たちは誰一人として今傍に居やしないけど、クリープハイプだけは長続きしている。

クリープハイプはググれなかったことが良かったのかもしれない。
エンドロールに釘付けになって、翌日家の近所のレンタルショップでCDを探しに行き借りた「一つになれないならせめて二つだけでいよう」というアルバム、タイトルに胸をまた掴まれた。ジャケットに並ぶ二つの顔が中性的で、印象的な高い歌声からそのころはボーカルは女性だと思っていたし、お金がなかったので一気にCDを買うこともできず、母とレンタルショップに行くたびに1枚ずつCDを借りては家でコピーして何度も何度も聞いていた。
多分2枚目に借りたアルバムが「吹き零れる程のI、哀、愛」で、アー写からやっとメンバー全員の顔と名前が一致して、尾崎世界観が男性だと知った。
その後、実家に帰って三ヶ月何もしなかったわたしが取り憑かれたかのように永遠CDを聴き、歌っている様子を見て母がほぼ毎日カラオケに連れて行ってくれるようになった。わたしが実家を離れている間にいつの間にかパチンコ屋の駐車場だった場所にカラオケ屋ができていて、母は友達とよくそこに行っていたようだった。確か午前中に行くとドリンク代だけで3時間くらい居られるカラオケ屋だった。
わたしは毎日クリープハイプをひたすら歌い、母は合間にLOVEマシーンとか氣志團のワンナイトカーニバルとか歌っていて謎だった。
それが2月3月とかの話で、CDに入っていたライブのお知らせを見てチケットを取り、4月には母と一緒にオリックスホールでクリープハイプのライブを見た。母が物販でトートバッグとTシャツを買ってくれて、今でも大事に使っている。

あの頃はわたしが壊れていた分、母は正常だった。初めてクリープハイプのライブを見たオリックスホールで今年の6月に尾崎世界観の弾き語りライブがあり、チケットが取れて見に行った際に帰省したけど、母は、どう表現したらいいのだろう、まず外形が当時とはまるで違う。
下唇が常に垂れ下がっていて、頭は禿げている。厚く塗りたくった白塗りの化粧、眼差しはもう光がなく、何を見ているのかよくわからない。扱いなれていない手つきで、スマホの画面を触っていて、なんなのかよくわからないアプリが常に立ち上がっている。どうやったら終了できるのかわからないらしくて人差し指で画面をあちこち突いていた。基本的に常に横になっている。あの頃はクリープハイプのライブに行けたんだなーと思うと、月日を感じる。わたしも変わったし母も変わったし、おのくんはいないし借金はできたし、このまま、
このまま流れに身をまかれて時が経つと、母は認知症が進んで父は介護に追われ、そうこうしているうちにじいちゃんが死んで葬儀に出して、父が過労で倒れたりするのかなーとかいう未来しか想像できない。わたしはというと、今いるレジデンスは最大5年しか居られないからまず2年後にはどこかに移動しなくてはいけなくて、その間に借金を返し終えている見込みもなく、というわけできっと実家に収まる気がしていて、うわ、母の介護か、死ぬほど嫌だな、そうなるともうまず恋愛とかはどうでもよくなるだろうな、制作はどうだろうか。今のような形式、展示をしたりパフォーマンスをしたりはしなくなるだろうな、代わりに何かを書いているかもしれないし、そういうこともやめているかもしれない。実家で表現活動ができる気がしない。
そんな未来しか思い描けない。現実味を帯びたことしかもう想像できなくなってきている。現実はあるものとして、そこにちょっとだけ希望を乗せることができるかできないか。大きい野望はもう抱かなくなった、抱けなくなった。百回願っても百回叶わない。なぜなら現実があるから。今ある材料でうまいこと工夫して楽しく余生を暮らすべしわたし。並べ方次第では楽しくやれる、並べ方を発見しなさいわたし。
2年後、というと39歳とかで、今でさえ37歳フリーター末路、とかググってしまうのに、39歳ですか。未来のわたしヤバそうだな。

現実を加味して、実家には帰りたくないけど金銭的なことプラス家族の老い、犬のチェリーちゃんとうさぎのルンタ、ルンタは特にその頃寿命を迎えるだろうし帰るだろう、もう帰ることはほぼ確定じゃないだろうか。帰ったら一瞬で住み込みの仕事とか見つけてまた出るかもしれないし出ないかもしれないし、とにかく考えても仕方ないけど今から考えてここを出た後どうするか、ある程度希望的な想像をしておく必要がありそう(全く不吉な想像しかしてないけど)

さて
長々となんの話なんですかこれという文章を書いていたのは5000文字くらい何か書いてみよう、と思ったからというだけで、「文字数が内容を規定する」とはどういうことなのか体感したくて何も考えずに書き始めたのです。
次回は1万字どうでもいい内容の文章を書いてみようと思います。

(5203文字)

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