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中国古典を七つ紹介する文章(無料で最後まで読めます)

今回は中国古典に関する書物7冊を。
名前は聞いたことある本もあると思いますが、何故その書物が重要なのか、どういったことが書かれているのかを簡単にですが、紹介します。(と言いつつ、めっちゃ長くなりました。。。ヤムナシ)
なお、興味を持たれた場合は、無理して原書にあたるのではなく超訳や入門と題されているものをお手に取ることをオススメします。

①論語
②老子
③墨子
④荀子
⑤史記
⑥中庸
⑦諸橋轍次 中国古典名言事典

①の論語は、多くの方が耳にされていると思いますし漢文の授業でも取り上げられてフレーズが残っている方も多いでしょう。儒教の聖典、最重要書物としてその地位をゆるぎないものとしています。そして、40歳を「不惑」と言ったり、「巧言令色鮮し仁」「日に三省す」などの聞き覚えのある慣用句のオンパレードの書物です。
論語は、孔子の言行や孔子とその弟子たちの問答をまとめた書物です。孔子が生きた紀元前5・6世紀の時代は、中国に孔子、ギリシャにソクラテス、インドのブッダなど世界同時多発的に思想家が活躍した時代です。
人間社会が集住するようになり、様々な社会問題が出てきてしまい、その解決策の模索が洋の東西を問わず課題になった時期でもあったのです。
その難題に対する孔子の答えは、僕の解釈では以下の部分が大きいと思っています。

「だから君子(立派な人)は名をつけたらきっとことばとして言えるし、ことばで言ったらきっとそれを実行できるようにする。君子は自分のことばについて決していいかげんにしないものだよ。」

僕はここに、1960年代から1970年代にかけて世界的に流行したフランス構造主義思想の原型であるソシュールの言語学に通じるものを感じます。
ことばの構造をしっかりと把握すること、そしてそれを実行に移すことが社会を成り立たせるうえで最も重要であり、まっさきに手を付けるべきことであると孔子は逸る弟子を諭すように語っています。孔子は生前不遇でありましたが、困難があったからこそ、人間的に深く強く太くなったのだと思います。ちなみに日本に論語が伝来したのは西暦285年のこととされており、仏教伝来より前なのは確実です。論語は日本列島に住む人にとって初めての書物だったと推定されています。


②の老子は、儒教の真逆に位置する思想です。こちらはどの時期に成立したかは不確かではあるものの、その思想の根幹は孔子が生きた時代には既に存在したと考えられています。老子の思想の根幹は「無為自然」です。一種のアナーキー思想でもあり、無政府主義です。

「聖人は無為の事におり、不言の教えを行なう」
「無為を為せば、すなわち治まらざること無し」

というフレーズが、象徴しています。また、

「功遂げ身退くは、天の道なり」
「自ら大と為さざるを以て、故によく其の大を成す」

といった偉ぶらない、引き際を綺麗にするなど、さりげなさに価値を見出していき、仙人思想に繋がっていきます。老子のファンは多く、他にも「上善如水」といったフレーズも多くの場面で多用されています。字数としては漢文にして5000字程度とシュッとしているのも特徴です。無為自然を唱えながら多弁を弄していては矛盾が生じてしまいますもんね。


③の墨子は、消えてしまった思想です。こちらも孔子とほぼ同時期に存在していたのですが、歴史の中に埋もれていってしまいました。その理由はあまりにも強烈な理想主義にあったと思っています。孔子は論語の中でも唱えていますが、「孝」というものを大切にしています。ちなみに教育の教の左側は「孝」ですね。いかにその後の漢字世界において儒教が重んじられたかがよく分かります。一方で墨子は「孝」こそが争いをうむと指弾します。すなわち、そこに区別・差別が生まれて争いが起きてしまう原因になってしまうからです。優秀な他人よりも出来の悪い自分の子どもが可愛いと能力にそぐわぬ地位を与えてしまうことなどですね。ではどうしたらいいのか?墨子は「兼愛」を提唱します。

「世界中が、自己と他者とを区別せずに愛し合えば安定し、互いに憎み合えば混乱する。だから墨子が、他者を愛することを勧めないわけにはいかないと言われた」

Love is Allの思想です。そこには誰彼となく区別をしてはいけないと。泥棒がモノを盗むのは自分のものと他人のものを区別しているからであって、その区分けがなくなれば誰がものを盗むというのだという、一種の共産思想も垣間見せています。また、兼愛思想からは当然、非攻といった相手を攻めないという行動が導き出されます。結果として戦乱の中国では受容されず、その後、長い間歴史に埋もれてしまいます。再評価のきっかけはアヘン戦争の敗北です。西欧列強と中国が接するようになり、墨子の兼愛にキリスト教的博愛主義が見出されていき、墨子が唱えた社会形態にルソーの社会契約論、そして墨子の思想展開方法にアリストテレス的な論理学が見出されていったのです。個人的にはもっと日本においても再評価が進んで欲しいと思っています。


④は荀子です。性悪説を唱えたことで有名です。儒教の聖典として四書五経というものがあり、四書とは「論語・孟子・大学・中庸」です。孟子は性善説を唱えています。この7冊において孟子ではなく荀子を選んだのは、儒教のメインストリームから外れた性悪説について取り上げたかった意図があります。荀子では、敢然と孟子の性善説を名指しで批判していきます。
荀子の本文中で

「孟子は「人間が学問するのはその本性が善いものだからである。」といっているが、それは正しくない、そうした説は、人の本性をよく理解しておらず、人の生まれつきの性質と後天的に作為(矯正)された性質との区別をわきまえないものだ、といいたい。」

と痛烈にダメ出しをします。僕は手塚治虫の『火の鳥 望郷編』を思い出します。この中では一組の夫婦がある無人惑星に移住するのですが、悪徳業者に騙されてしまいます。夫は事故でなくなりますが妻(ロミ)は子どもを宿しておりその子を出産すると男の子でした。ロミは息子とさらに子どもをつくるといったハナシですが、世代を経ても女の子が生まれないんです。ロミはやがて倫理的な苦悩に陥ります。しかし、ロミの息子たちはロミと交わること自体に苦悩は感じません。倫理観というものが教育によるものだということを示唆するお話になっています。社会を構成する要素というものは「無為自然」には生まれず、だからこそ「礼儀作法」を整えていくことが重要であり、やってはいけないことには罰を与えるといった法家思想に荀子は繋がっていきます。中国は表向きは儒教、性善説を採用していきますが、その一方で巨大な国家を運営するためには荀子の考えをベースにしていくことになります。


⑤は史記です。この本は中国最初の正史に位置付けられています。よく勘違いされるのですが、中国最初の歴史書ではありません。史記よりも前には歴史書はありました。しかし、その歴史書は出来事を時系列に叙述していくやりかたでした。一方の史記は「紀伝体」という体裁を採用し、以降の中国の各王朝の歴史がこれを「正式なスタイルの歴史書」としたため、史記が最初の正史となったのです。紀伝体とは、人物に焦点をあて、各人物を描くことによって多面的に歴史を叙述するやり方です。始皇帝を書けば、その中に関係した人物が出てきます。その関係した人物についてもまた書くことによって、同じ出来事であっても始皇帝目線と別の人目線が重なるようになっているのです。

史記が中国において重要な書物と位置付けたのは、歴史を動かす「天の意志」が人に乗り移って実行に移されるという思想を歴史叙述の分野において体現したからです。

それまでは孔子ですら歴史叙述を出来事ベースにしていました。でも、それでは孔子が行動が大事だと言っていることとマッチしないのです。また、孟子がいう性善説にも依拠すると人の行動をみないと何を参考にしたらいいかが分からなくなります。

史記の著者である司馬遷が生きた時代はちょうど儒教がメインの国家思想、社会統治倫理として採用されその理論化が発展した時期です。そこで司馬遷は人物に焦点をあてることを思い立ったのではないでしょうか。彼自身の不遇への反発もあったでしょうし。

この紀伝体形式で歴史を叙述することは、その結果として、人間というものには天から賦与された理があらかじめ内側に備えられているのだという朱子学に繋がっていくと僕は考えています。


⑥は中庸です。これはもともと儒教の聖典の五経の一部だったものを独立した書物として格上げしたものです。誰が格上げをしたかというと、朱子学の提唱者である朱子です。彼は孟子の性善説をさらに進めて、本来性である善の発現が妨げられていることがなぜなのかを突き詰めて考えていきます。

「偉大な徳があれば、必ずそれにふさわしい地位が得られ、必ずそれにふさわしい俸禄が得られ、必ずそれにふさわしい名声が得られ、必ずそれにふさわしい長寿が得られるものである。」

と唱えています。この文章は中庸から出てきていますが、この書物を大事だとしたのはあくまでも朱子なので、彼の考えであると言ってしまって問題ないと思っています。この彼の提唱した朱子学はやがて中国思想のメインとなり、科挙の回答においても朱子学にそった解釈でなければダメということになりました。一方で、正しいものは正しいといった教条主義で、自己撞着的で、理念先行型な面も強くあります。大義名分を重んじるのは大事ですが、度が過ぎると名分のために実態を隠したり、誤魔化したりする行動を誘発しかねません。司馬遼太郎は旧日本軍が朱子学を重んじたことによって「朱子学が国を滅ぼした」と喝破しています。


⑦諸橋轍次先生による中国古典名言事典は、中国の古典を集めた事典です。講談社学術文庫から出ています。論語・孟子・大学などから韓非子・孫子・唐詩選など40冊を超える中国古典から約4800項目を取り上げています。書物の簡単な説明書きが各書の冒頭につけられており、その後にその書物の代表的な内容を引用している形式になてちます。また、後ろには自然、人間、家と社会などの主題ごとの件名索引がついており、手許に置いておくと非常に便利です。お値段もそんなに高くないですし。

はからずも、めちゃくちゃ長文になりました。最後まで読んで頂けたなら嬉しいですし、感想などをコメント欄に記載頂けたら感動ものです。

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