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高校受験、不登校、転校、そして大学受験

このnoteに残っている高校受験時代に書いた私の下書きを見たらこれまでを振り返りたくなったので、この3年を文字に起こしておこうと思います。

1.高校受験を振り返る

高校受験は単刀直入に言うと失敗だった。高校受験の時期はコロナの影響もあり、zoomで学校も塾も授業することがほとんどだったので、怠けやすいといえば怠けやすい環境ではあった。しかし、そこで怠けずに自分を律せる人間が合格する人間であるということはみなさんもわかるだろう。だがわたしはそれができなかった。毎日寝坊し、学校や塾の授業もろくに聞かず、ゲームをしたり昼寝をしたり、韓ドラを見たり、勉強を一切せずに本当に怠けた生活をしていた。そりゃ、落ちるわな、と。受験当日も良い調子が出ることもなく、解きながら、「あぁ、わたし落ちるんだろうなぁ」というのがわかった。そんなやりきれずに失敗したという、いわば不戦敗のような経験が初めてだった私は、第二志望で受かった私立高校に通うことになる。

2.不戦敗で迎えた高校生活

高校の入学式は本当に衝撃だった。わたしがこれまで通っていた中学校がかなり厳しめの教育をする学校でもあり、人数もかなり少ない学校だったので(実は中学受験をしてます)、高校の人数の多さと私立らしい緩い教育が私にはかなり衝撃だった。それと同時に、「本当に落ちてしまったんだ」という不甲斐なさを感じました。最初はかなり人間関係に苦労し、ようやく6月の体育祭が終わった頃に学校にも慣れ始めたのだが、そのあたりから人数が多い高校であるが故に学校行事には自らが積極的に参加しなければ一切楽しめない、ということを体育祭で痛感したため(体育祭は正直あまり楽しめなかった)、学校行事に積極的に参加していこうと思ったのである。この辺りでようやくこの高校の一員として高校生活を送っていこうという気持ちの整理がついた気がする。体育祭がおわると文化祭の準備が始まる。文化祭では、クラスメイトと協力してジェットコースターを作りながらクラスをまとめたりして、クラスの仲も深まり、クラスの中で私の存在感もようやく出てきた。しかし、そこで満足しないのがわたしであって……。もっと大きなことを成し遂げたいと思うようになったのだ。そこで私が参加しようと思ったのが生徒会だ。文化祭が終わった9月頃から生徒会に関するお知らせも増え、体育祭や文化祭で生徒会の先輩が活躍している姿も見ていたので、高校生活を充実させたい、この学校に少しでもわたしの存在価値を見出したい、という気持ちから生徒会に応募した。

3.生徒会としての高校生活が始まる

生徒会に無事合格することができ、生徒会の一員としてわたしの新たな高校生活が始まった。生徒会の一員としての初めての行事がクラスマッチであった。先輩にいろんなことを教わりながらクラスマッチを成功に収めることができ、行事以外の生徒会としての通常業務にも慣れてきた。と同時に、わたしは生徒会の先輩に惚れてしまうのである!体育祭や文化祭で生徒会の先輩を見ていたと先述していたが、実は体育祭でイケメンの生徒会の先輩を見つけたので、その人に近づきたいという気持ちもあって生徒会に応募したのだ笑。その先輩と一緒に過ごせる時間が増えていき、私としても充実した時間だったとは思うのだが、それも束の間、私の他の人間関係の影響もあってその先輩との関係が拗れていく。正直失恋とも言えないこの苦しさと体育祭の後からアクセル全開でここまで来た疲れがどっと押し寄せた。ついに学校に行けなくなってしまうのである。

4.不登校生活が始まる

1ヶ月ほど学校に行くのがきつい、という状態でも登校を続けたが、12月に入ると学校に行けないという日も多くなり、本格的に不登校が加速したように感じる。学校に行けない、という状態は私自身一度もなく、「学校に行けないって何?」、「そんなの人間として劣ってる」ぐらいにかなり不登校に対して厳しい見解をしていたわたしがまさか不登校になるなんて。ご飯も風呂もまともにできない中、昼夜逆転しながらもただただたくさん寝た、とにかく寝た。普段からたくさん寝れるタイプなのだが、そんな私でも信じられないぐらいたくさん寝た。「本当に体が疲れていたんだ」と、「無理していたんだ」と。生徒会はまだ辞めてなかったが、正直続けられるような状態ではなく、他の生徒会の人にも迷惑をかけてしまうし、正直その先輩の影響で生徒会に行きたくなかったので、生徒会は1月に辞めた。
生徒会を辞めてからが実は一番ヘビーだった。1月は本当に冬眠なのか?というぐらいにわたしは寝まくり、あの年の1月の記憶はほとんどない。本当に何もしなかった1ヶ月だった。病院での治療を始めた、ぐらいだ。ちなみに病名は起立性調節障害。朝起きる時に低血圧や吐き気がするなどの症状がこの病気の特徴だが、私は夜眠ることもなかなかできなかった。一回寝てしまえば平気で14時間は寝てしまうので軽く睡眠障害もあると思います。
2月から本格的に転校というのを視野に入れ始めた。私立高校は通信に転校するという選択肢以外がなかったので、私も転校するなら通信以外なかったのだが、やはり通信となると普通の学校生活も送ることができない。だから抵抗感は強かった。ここで初めて自分が「転校したくない」、「まだ諦めたくない」という気持ちがあるということを自覚した。しかし、思ったように回復はせず、そのまま高校1年生を終えてしまった。

5.高校2年生

高校2年生、4月、新学期。そういう響きがわたしの新たな1年への期待が高まらせた。そして新学期、わたしは席に恵まれた。まわりはほとんど知人で囲まれ、そして左隣にはなんとものすごいイケメンが座っていたのである。これは学校に行きたくなる!なんとしてでも仲良くなろうと思った。頑張ろうと思った。行けない日がちょくちょくありながらも割と回復して学校に行けていた。しかし仲良くなる前に席替えが、、、。この時すごく担任を恨んだのを覚えている。Twitterにたくさん愚痴を書いたのも覚えている(ゴメンナサイ)。
そこから学校に行く気力もなくなり(おい)、そして体育祭で私のベンチの席がなんとないこともあり、ここで初めて学校に行くのがイヤだと思った。この感情は「学校に行けない」のではなく、「学校に行きたくない」であった。そこから少し学校に行かない期間があり、出席日数が危ないということで7月ぐらいから学校に復活した。そこで少しわたしも恋沙汰があって気分もルンルンだったので登校することもでき、そのまま1学期が終わった。
9月、文化祭だ。クラスで不登校のわたしがなぜかまた文化祭を仕切ることになり(ENTJすぎる)、クラスの人とも仲良くなった。そしてイケメンとも席が近くなり少し仲良くなった。しかしこの頃また私は体調を崩すようになる(ちょうどこの頃別れた)。
10月末、修学旅行。体調も少し良くなり修学旅行前に修学旅行に関する話し合いをする時間も、実際の修学旅行もすごく楽しかった。今振り返ると黒歴史とも言える恋沙汰があったのは本当にクソみたいだけど笑。
11月に入るとすこし学校に行くのもだるくなり(汗)、学校に行かない日も増えたが前に比べるとだいぶ回復しているように感じる。
そして12月、事件が起こる。私がTwitterで「今日もイケメンと話せた、イェーイ」的な内容を4月の新学期から日々ツイートしていたのだが、それがイケメンの友達とTwitterが繋がったことがきっかけで本人にバレてしまうのである。一応バレないように最新のツイートは削除していたのだか、思っていたよりも過去のツイートを覗かれてしまいバレてしまったのだ。

「やばい!!!!!!!!!!!!()

普通に考えたらもう話せないし、無視されるのではないかと不安だったが、なぜかこれきっかけでイケメンとさらに仲良くなってしまう(今考えても謎である(ありがとう))。
冬休みが終わり、1月、ちょっと学校行くのだるいなーとかで学校に行かなかったら、そう、出席日数が本当に危うくなってきたのである!正直学校に毎日行かなければならないという危機感と留年したくないという緊張感から生きたような心地がしなかったが、3学期ということもあり、学校の授業内容もほぼ終わり始めていたので自由な時間が増えて雑談できる時間が増えたのが本当に助かった。3学期は運良くイケメンとずっと席が近かったのですごく仲良くなれたし、その友達ともたくさん仲良くなれた。きつかったが頑張ってよかったと今でも思う。無事に出席日数がギリギリではありながらも2年生を終えることができた。

6.高校3年生

新たな一年の始まり。イケメンとはクラスが別なので行きたい欲はあまりなかったが、新しいクラスは人数が少なく、みんないい人達ばかりなので家族のような温かいクラスであった。体育祭で踊ったり看板を作ったりなどをしたかったが、それの面接に落ちてしまい、ちょっと気分も落ちて体育祭前は学校に行くのが辛かったので行けない日もあったが、そんな自分にももう慣れたのであまり重く受け止めることはなく、体育祭も今までで一番楽しめたし、いい思い出にはなったと思う。しかし、体育祭後に体調をまた崩してしまい、そのままあまり行かない期間もあったのだが、高校ラスト文化祭ということもあり、文化祭に向けてダンス企画やクラスでの食品企画、バンド企画のために夏休み前、そして夏休みはたくさん学校のことを考えた。夏休み、受験の天王山と言われるような期間だが、それに一杯一杯で勉強は思うようにいかなかった。
9月、2学期、ついに文化祭。ダンス企画もバンド企画も食品企画も成功し、今までで一番楽しい学校行事・文化祭になり、クラスの団結もダンス企画で一緒に踊った友達との絆も一層深まった。しかし、その後、また疲れが来たのか、すこしバテてしまう。そして10月末にラスト行事である球技大会の日に高熱を出してしまう。なんとかの気持ちで学校に行ったがその翌日もその次の登校日も学校に行けず、そこでついに私は出席日数が足りなくなってしまう。3年生は登校日数がそもそも少ないので出席日数が足りなくなるのは例年より早いのを忘れていた、、、。足りないという連絡を受けた時は正直実感はなく、次の日になってようやく悲しさが出てきた。留年を防ぐべく、嫌だった通信への転校も決まり、荷物を取りに学校に登校したのだが、その日は本当に酷くみんなの前で大泣きした。高校2年の時に仲良くなったイケメンともその友達ともちゃんとお別れをし、クラスメイトとも、友達とも涙ながらにお別れをした。色紙も書いてくれた。すごく悲しい一日だったがみんなにたくさん慰めて、励ましてもらった。今でもちょくちょく友達が連絡してくれるのが日々の幸せである。

7.ついに転校

転校の手続きが時間がかかるので本格的な通信に通う高校生の生活というのはまだ始まっていないのだが、人と会えない寂しさをとりあえず韓国旅行で紛らわせた。このnoteを書いている今日は、通信の高校に登校してカフェで勉強した一日である。通信の高校では、再来週にスクーリングに行かなければならないのでその説明や今後の学習について説明を受けた。わたしは週に1回学校に登校する日が設けてあり、その日に登校してもしなくても単位には響かないので基本的に1週間自由である。あまり規模が大きい学校ではなく融通が利く点や、近所にある点、登校のために朝起きなければならないという辛さから解放されるという点を気に入ってるので、まだ本格的に始まったわけではないが通信制の高校も悪くないように感じている。通信制の高校がどうなのかはまた改めてnoteにできたらと思う。

8.大学受験に向けて

韓国旅行に行ったと先述したが、韓国旅行では美味しいご飯や美しい秋の景色が癒しとなり、少し心も明るくなったように感じる。そして英語の勉強を頑張らなくては!という焦りが前からずっとあったが、その焦りがやる気にようやく変わった。前は焦るあまり行動にすることができず、そしてそれがストレスになってまた病んでしまうという悪循環だったが、今はもうそれがなくなり、やる気がみなぎっている状態である。とはいえ、安心して合格できる状態ではなく、むしろギリギリ、合格したら逆転合格だよ、というような状態です。でもだからと言って何もしないのはまた不戦敗だし、その結果自分がどんな心理状態になるのかもわかっているので、どうせ落ちるならやり切って落ちたいと。受験までの80日、結果がどうあれせっかく時間もたくさんあるのなら自分の最大を出したい。がんばろう、私。

【追記】不登校あるある

・毎日同じような日が続くのが辛い
毎日同じような日が続くことが本当に苦手です。毎日同じような日が続くと、「明日も同じか」という悲しさが今日頑張ろうというやる気を無くします。

・少しでもイヤなことがあると動けなくなる
少しでもイヤなことがあるとストレスになり、なにもしたくなくなり、動けなくなります。ドタキャンするようなことも多少ありました。本当に申し訳ないです。

・元気だった時に予定を入れた自分を恨む
元気だった時に調子に乗って予定を詰めすぎて疲れてしまい、休みたいのに休めない、無理してしまうのが結局ストレスに繋がって病んでしまい、回復に時間がかかります。そして予定を入れないようにしようとすると、すごく暇な日、先述したように同じような毎日が続いてしまうのでこれがまたストレスになるのです。予定はなるべく2日に1回にして忙しさは敵だと学びました。

・明日のことを考えて今日何もできなくなる
明日何か予定があると、今日は省エネでいこうと、明日は早く起きなきゃなどの義務感に駆られ、それで焦るあまり今日何もできなくなります。

・フッ軽大好き
基本的に⬆️の事情から予定を入れたくないので、今日誰かと会いたいと寂しいときに会ってくれる友達は本当に大好きです、一生大切にしたいです。

・視野が狭い
焦ったり、緊張したり、不安だったり、常にマイナスな感情しか抱けなくなってしまっているのですごく視野が狭いです。後々、あの時もっとこうしていればよかった、というのがたくさん思い浮かびます。

思いつくのは以上です。また思いついたらまた追記します。長文読んでくださり、ありがとうございました。

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