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【集団と権力が苦手です。多分大の苦手。】

集団と権力が苦手です。多分大の苦手。
おおかた克服しているけど、相変わらず下手くそ。

こんなこと書いてさ~誰のなんのためになるのさぁ~・・・




♥ あの誰かと比較する


集団の中に入ると、自然と誰かを見定めて自分の立場と比較してしまう。


ー 発言力のある人や、見た目で「できる人」(それっぽく立ち振る舞っている人含む)に対して、なんだか劣位や引け目を感じる。


ー 誰かが自分より上に立っているように感じると、無意識に「自分はどう見えているんだろう?」って気にする。


・・・これ、書いててあんまり気持ちのいいものじゃないんだよね~。


集団や権力がキライな理由を表面的な原因から説明するんだけど、結局はそういうふうに感じる自分の深層に触れていかないといけないわけで。


「どう見せようとしているのか?」よりも「どう見られているのか?」と自問することのほうが多い。自然に癖づいているものって言った方が適切かも。


「できる人」と同じフィールドにいたいのに、いたくないとも思う。"力無き者" が首をもたげてくる。不安が陰る。


でも、そんな時、果たして自分は本当に "力" がないのか?それとも、"力" を持っているけど、それを隠しているだけなのか?隠してどうしたいのか?って自分の中で変な裁判が起こっている。


♥ 自分の力を奪うことば


『力がない』と言われると、頭の奥で深く響く。


なぜなら、幼少期から自分の『力』に対する不安や疑問はずっとついて回っていたから。仲間との関係や家族・両親との関係に感じた無力感が今でも影響している(ってことにしてる)。


だから痛いほどわかる。「どうしようもない」「しょうがない」って思ってしまう感覚。その無力感にただ身を委ねるわけにもいかず、なんとかして仲間に入りたくて(勝手に感じてる疎外感ですけど)。見てもらいたくて。


アピールをしてみたり、気配を消してみたり、突発的に行動を起こしてみたり。それで何とか集団に加われたこともあったけど、結局何が正解かもわからんまま、心のどこかでは「どうせまたここでもダメなのかもしれない」という恐れは拭えなかった。


♥ 影響力を警戒する


自分より影響力のある人が近くに現れると、警戒モードに入る。これは結構強い。見下されることを恐れて、その人にどう見られるかを気にし始める。


そして、始めのうちはできる限り「よく見せよう」と努力するか、または様子見のため 息を潜める。


その努力が実らないと、自分の存在が薄れていくような感覚に襲われるし、息を潜めたまんま何もアクションせずに "ひとり裁判" が行われ結審している。心の中で赤信号が点灯する。「めんどくさいからもう終わり。」


そんなやつから見下される(見下されているかもしれないと思う)と、自分の価値がないように感じる。だから、影響力のある人が怖いし、そんな人に対してはいつも警戒を発動している。


それがエスカレートすると、自分がその人のことを見下します。僕が永年親に対してしていたように。親を見下すのは、無力な子供ができるささやかな犯行です。それが長い間自分に根付いていたなんて。あ~嫌だ。


♥ 力を持つことへの抵抗


「力でぶつかり合うこと」ができないんです。


誰かと真正面からぶつかると、その後のことが全然わからなくて対処方法がわからないし、ぶつかったってどうせ分かってもらえないと思ってるし、そんな経験が積み重なると、集団の中で居場所を見つけるのがますます難しくなる。


いちいち原因特定しなくていいんだけど、これほんと思い込んじゃってるんだよね。凄いわ。


"遠因" のほうがいいかね。そこには、子どもの頃家の中で見てきた両親の関係が大きな影響を与えている。


父親はパワーで母親をコントロールしようとする人だった(多分)。母親はそれに服従(屈服)するときもあれば、暴れて喚き散らしたり家出しようとしたりしたこともある。


定期的に勃発するそれは幼い自分にとって地獄だった。その記憶は今でも心に残り、「あんな大人にはなりたくない」という強い嫌悪感を抱かせ続けた。


♥ 権威と対立する恐れ


自分よりも権威がある人に対して、つい反発心を抱くのは、その人に力を認められたい、その人に自分を見てほしい、という無意識の願望があるから。


一方で「力を使うこと」自体に対する嫌悪感も強い。父親のような絶対的な権威が許せない反面、時折そのポジションに自分が立たざるを得ないとき、居心地が悪くて仕方がない。


フラットな組織が好きだけど、権威を完全に無視するわけにもいかない。だから時には、無理に役職を捨ててもいい、辞めてもいいと思うこともある。


♥ 分かり合いたいけど言葉にできない


根底には、「本当は分かり合いたいんだ」という願いがある。でも自分は、言葉でそれを表現するのが難しい。


誰かと衝突しそうになると、自分の意見をすぐに引っ込めてしまう。妻との喧嘩もそうだった。そんな自分が嫌でたまらないけど、過去の経験がそうさせているのかもしれない(ってことにしたい)。


何度も言うけど思い込みだから。
いつでも自分は選択することができる。


「自分が力を使って人と分かり合う」ことが怖い。でも、本当は "自分のありのまま" を使って自分をわかってもらいたいし、他人を理解したいとも思っている。


♥ 最後に


結局ですね、あるがままの自分を認めてあげない限り、そこにいることを認めてあげない限り、誰かを認めることも、誰かに認められることも、安心して自分の居場所を作ることも難しい。


力を使って誰かと真正面から向き合うことを恐れているのは、過去の経験を自分なりの誤った解釈(ときにその方が都合がいい)で観念として持っているから。


家族との関係、家族の中で感じた無力感、それらすべてが今の自分に影響を与えている、と。


だからこそ、そうじゃなくて、あるがままの自分を認めて、自分の本音をもっと表に出していけよってこと。


偉そうにしている人たちだって、実は「偉そうにしないと自分の威厳を表せないんだ」って不安に思っているかもしれないよね。意外と裏返しなもんだよ。


ありのまま、あるがままの自分本来の持つ力を出すことを恐れる必要はない。誰もあんたを傷つけない。


俺はね、自分の力を使って、他人と価値を分かち合おうとすることが、これからの人生のミッションだと思ってるよ。


そして、あなたも同じように、ありのままの自分をさらけ出して、力を使っていける世界を目指しているのではないですか?


それが自分のための、
自分に対するリーダーシップ。


♥ ご相談はこちら


私はコーチングという対話の仕事をしています。


継続的な対話を通して、あなたの現状を紐解き、未来を一緒に創造します。一人で内省するよりも、思考のスピードが段違いに速いです。


行き詰まりや思い込みに気付いて行動を起こせる人って少ない。不安や恐れや葛藤があっても構わない。今からやるんだ、変えていくんだ、って決めたなら、あとは一つずつやっていくだけ。


ネガティブな感情はその対処を一緒にやっていきましょう。一緒にやるほうが何倍も安心感があるし、自分を客観的にみることができます。


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ichibunsasaki@gmail.com

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