何も知らない者は何も愛せない。何もできない者は何も理解できない。何も理解できない者は生きている価値がない。だが、理解できる者は愛し、気づき、見る。
(中略)ある物に、より多くの知がそなわっていれば、それだけ愛は大きくなる。

パラケルスス


最愛の天使ちゃんがいなくなった後、常に目をかけるべき対象がなくなり、家の中は途端に静かになったーーー


しかし、その静けさが逆に私たちにとっては新しい挑戦を意味していた。


ワンコがいた頃は、僕たちの手は彼女たちのために常に何かをしていたけど、今はこの手で何をすればいいのかわからないという感覚に陥ることがある。


手持ち無沙汰でいじるスマホ。
ネットフリックスの再生ボタン。
頭に入っているのかいまいちよくわからない積読。


そういえばぽてちを虹の橋へお見送りした後、何年振りかという夫婦水入らずでの「普通の」居酒屋へ歩く道すがら、久しぶりに手をつなぐと、その手の感触がなんだかぎこちなくも新鮮に感じたんだ。


ちょっと脱線するとね、普段地元で外食をするときは、ペット可の居酒屋3件をローテーションしてて、もうメニュー見なくても注文できるほど行き慣れてしまってた。


うち2つは店先なんだけどね。
冬場の熱燗はアツアツでもらってたし、やきとんは一瞬で冷めてかたくなるのもいい思い出よ。


「普通の」居酒屋がデートでエンタメな件。
ワンコの思い出に涙したり、これからのイベントや旅行計画を想像したり。何より、メニューがいつもと違うだけでこんなにワクワクすんの?

(脱線ここまで)


妻と一緒になって8年間、常にわが子犬たちを思いやり、支えることに慣れていた手が、再び以前のように当たり前に自然に手を取り合う。


妻の小さな手を握り胸に去来した思いは、


これからも手を取り合いともに協力して歩いていくんだっていう決意。
二人の人生の充実と、愛を願う気持ち。


愛は形を変えて、もっぴーとぽてちが深めてくれた信頼と絆で大きく膨らんでいるようだよ。
本当に2匹は偉大だった。ありがとうね。


夫婦二人、これからも大きな愛を携えて、仲良く手を取り合ってわちゃわちゃやっていこうと思うよ。


~編集後記~
余計な言葉を削ってシンプルに伝えたいことだけにしたら随分とあっさりしたもんだ。語彙力が欲しいw

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