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読書ノート 「能動的想像法 内なる魂との対話」 J.M.シュピーゲルマン/河合隼雄 町沢静夫・森文彦 訳
河合隼雄は深遠な人である。日本神話の精神分析、日本の中空構造の提示、明恵の夢の仏教的取り組みなど、画期的な東洋の哲学的・思想的命題を提示したかと思えば、「嘘つきクラブ」では軽妙な洞話を吹く。かと思うと、深刻な患者には長期にわたり一心不乱にコミットし、文化庁長官などという官職をこなし、高松塚古墳のいざこざに巻き込まれ、その疲れもあってか急逝してしまう。人懐っこさから来るその普遍的な大衆の敬愛が意味するものとは正反対の遠面に位置するテーマとして、「共時性」や「集合的無意識」があるのだが、そうしたものの一つにこの「能動的想像法・active imagination」がある。
この本は、河合隼雄の初期の指導教官・分析官であったシュピーゲルマンが書いている。その中の第一章を河合が執筆している。本文にもあるように、河合はこの著作に関与することについて消極的であった。というのも、この能動的想像法がいわゆる「玄人の技」であり、しっかりと準備・訓練した者でないと大きな事故・間違いが起こると予感していたからだ。書くべき環境が整い、書くべき時期が来たので書いた、というのがいかにも河合隼雄らしい。河合の用意周到さが垣間見えるエピソードである。
ここでは、河合が執筆した第一章をまるまる書き写す。私も準備ができるまで素人使いはしないつもりだが、いつか生きているうちに、この技を習得してみたいものである。
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第一章 能動的想像法について 河合隼雄
1.はじめに
一九九四年五月の中旬に、私はロサンゼルス郊外にある、本書の共著者マーヴィン・シュピーゲルマン博士の宅を訪ね、一泊させていただき、ながながと話し合った。他に多くのことが話題になったが、この訪問の主な目的は、本書の出版について、およびそれに関連して、能動的想像(active imagination) について話し合うことであった。
実は、本書の出版が企画されたのは数年前のことである。そのときに、私はこれから述べるような、能動的想像法についての入門的なエッセイを書くように、訳者およびシュピーゲルマンから要請を受けたのであった。それから実に長い年月が経ってしまったが、私はずっとそのことを心にかけながら、どうしても筆をとる気になれなかった。博士は私の最初の分析家であり、私にユング心理学の手ほどきをしてくれた人である。その上、ユング派の分析における能動的想像法の重要性について私もよく知っているので、本書を日本で出版する意義については、重々承知していたのだが、どうしても書けなかった。
それは、私が生来怠け者であることが大きい要因とも言えるが──と言えば、私の最初の能動的想像法の相手は、私の心のなかの「怠け者」だった──、何と言っても、このようなときに心に生じる抵抗については、私はまず従うことにしている、ということも大きいだろう。「よし、やろう」と思うのに大分時間がかかる。昔話が好きで、それについて本を書こうと思っていたが、筆をとるのに一〇年待たねばならなかった。日本神話について書物を書くことは、ユング研究所に一九六五年に論文を提出して以来の懸案であるが、一冊の書物にはまだなし得ていない。ものごとにはタイミングがある。同じことをしても、タイミングが狂うと、まったく異なる結果を得ることになる。
そんな点で、私は自分の直感的判断に相当に信頼をもっている。依頼を受けてからのあまりにも長い延引に、訳者も共著者も愛想をつかされたのではないかと思う。と言っても、これによって我われわれの信頼関係が危うくなったりはしなかったが。それにしても、申し訳ないことをした、という気持ちと、ちょうどいい「とき」が廻ってきた、という気持ちの両方がある、というのが実感である。今なら、日本の多くの読者が本書をよく理解し、能動的想像法を試みようとする人も、相当に出てくるのではないかと思われる。
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