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読書ノート 「ロシア的人間 井筒俊彦著作集3」 井筒俊彦
慶應義塾大学出版局ではなく、中央公論社の著作集。
付録に付いている江藤淳のエッセイが興味深い。大学における井筒の言語学概論授業の様子を鮮やかに描き出している。
「井筒先生は、ベルが鳴ると同時に白墨を鷲掴みにして教壇に現れた。ノートを持っているわけでもなければ、本を抱えているわけでもない。いつも太いストライプのワイシャツを着て、ネクタイピンで襟元をとめ、突然即興的に話し出すというスタイルの授業である。したがって、雑談もなければ脱線もない。仮に脱線があったとしても、それはどこかで必ず本論につながり、話が元に戻っていくふうであった。
井筒先生には学生に迎合するなどという気配は皆無であった。それどころか、先生はときどき眼の前に学生がいるという事実を、全く忘れているように見えることさえあった。ただ先生の頭脳があり、思考が回転し、それがそのまま講義になったり黒板の上の文字になったりする。その思考の回転ぶりを、眺めているのが愉しいのであった。ここに頭脳を際限なく駆使して、言語という現象に挑んている人がいるという事実を、毎回確認できるというのが頼もしいのであった」
「序」の巻頭で、井筒はこのように書く。
「ロシアは今日、世界のトピック(話題)である。誰一人ロシアに無関心ではいられない。人類の未来とか、世界の運命とか、人間的幸福の建設とかいう大きな問題を、人はロシアをぬきにしては考えることができない」
著作を記した1953年当時、ロシアは東ヨーロッパの国々を自国の衛星国家とし、共産圏の拡大を進めていた。その時のロシア(ソビエト)の思想と、現在ウクライナ侵攻で起こっている事象には、相似性がある。それは、「ロシア帝国」の復活と構築を、どのような手段を使っても成し遂げたいという、帝国の思想だ。それを検討するためにも、井筒の書は示唆を与えてくれる。
「簡単に言ってしまえば、ロシア人なるものがあまりにも甚だしい自己矛盾に充満し、四分五裂していて、それを既成の人間像のひとつにはめ込むことができない」のがロシアの本質であり、それは理想的な抽象化から具体的な暴力に移行する。なにか得体のしれない、恐ろしいものがそこではエネルギーを持って生き続けているのである。
読む。
「その昔、古代のギリシア人が「カオス」と呼んで恐れたもの、太古の混沌、一切の存在が自己の一番深い奥底に抱いている原初的な根源、人間を動物や植物に、大自然そのものに、母なる大地の直接しっかりと結びつけている自然の靭帯。西ヨーロッパの文化的知性的人間にあっては無残に圧し潰されてほとんど死滅しきっているこの原初的自然性を、ロシア人は常に生き生きと保持しているのだ」
ロシア的人間の性格をディオニソス的という形容詞で表現してもいいかもしれない。
ロシア人の楽天主義「オブローモフ主義」
「ニチェボー」はロシア語で《ничего》と書き「どうでも構わない」とか「たいしたことじゃない」といったことを意味する言葉。
ロシア文学全体の中心軸は人間である。
ハイデガー「人間のあり方・被投性」
プーシキン、ゴーゴリ、ドフトエフスキー、実存主義的。
一切はプーシキンから始まるのである。
韃靼人の三世紀に渡る支配。「韃靼人の侵入は悲痛な、しかし偉大な、光景」(プーシキン)
ロシア精神は「虐げられた人びと」となったときから始まる。
「韃靼の苦しみの間、蛮族の圧政化に喘ぎつつ、ロシア人たちが渇望したものは「ロシア人のロシア」ということだった。皇室も教会も、人民も全ロシアあげてプーシキンのいわゆる「ロシア統一」を目指しつつ不屈の努力を続けてきた。遂に念願成就の時が来た。1480年、イヴァン三世の武力は韃靼人を撃破して、民族を屈辱から救出し解放した。「ロシア人のロシア」は実現し、ロシア史上最初の強力な中央集権的統一国家が、典型的な神権政治の形態をとって成立した。この国家を世にモスコウ公国と呼び、その支配の統いた200年間を歴史家はモスコウ時代と呼ぶ。
しかし支配される人民にとっては、モスコウ時代もまた一種の奴隷時代の継続で、替ったのはいわば主人だけだった。韃靼人の羈絆からは自由になったが、結局人民はそれに代わって、教会と緊密に結託した(というよりは教会完全に呑み込んだ)ツァーリ絶対専制の独裁政治によって圧服されることになった。ツァーリ及び教会は民衆を欺瞞するために、ロシアの世界救済という夢をこれに与えた。民衆は欺瞞に気づかなかった」
第三のローマ…「これほどまでに獰悪な、神を無視した、冒涜的な国はいまだかつて世界のどこにもなかったような」(メレシュコフスキー)恐るべき専制君主国が出現した。
ドストエフスキーはロシア民族メシア主義精神の恐るべき誘惑とその誤謬とを剔抉し暴露してみせる。
モスコウ・ロシアは200年にして滅んだが、その精神は滅びなかった。
このメシア主義的使命感は、20世紀初頭の大革命によって一時挫折したかのごとく見えたが、たちまちその衣装をかえて再登場してきた。いや、実はこの使命感こそロシア革命の根本精神なのだ。ソヴィエト・ロシアは外形を変えたモスコウ主義に他ならない。「第三インターナショナル」が「第三のローマ」の現代的再現であったように、ロシア共産主義はロシアを中心軸とする人類救済のメシア主義である。
ペテルブルグは悲劇の都
「ピュートル一世はロベスピエールとナポレオンとを一つにしたもの(つまり受肉した革命)だ」(プーシキン)
(冷血漢の道をゆく)ピュートル大帝はレーニンの先駆者、18世紀のレーニンであり、彼の決行した暴力的な国政改革は、コミュニズムの暴力革命の原型であった。
特筆すべき作家たち。トルストイ、ドストエフスキーだけではない。
プーシキン…一九世紀ロシア文学はプーシキンから始まる。ロシアの国民的詩人。「漂白の民」「オネーギン」上流階級からの耐え難い侮蔑と揶揄を浴びせかけられた後、妻の浮気が元で行った決闘により38歳で凶弾に斃れる。
レールモントフ…プーシキンを熱烈に支持。「白帆」超現実的なものへの憧憬・焦燥に駆られた詩人。
ゴーゴリ…作家。プーシキンにネタをもらわないと書けなかった。「検察官」
ベリンスキー…批評家。ロシア的人間の総決算。「真理」に対する燃えるような熱情。よく憎み、よく愛した。無神論者。ひどい肺病で見にくくやせ細り、荒涼たる生活を送り37歳で悲惨な死を遂げる。
チュチェフ…「夜の子供」詩人。詩は形而上的認識の手段。「昼と夜」「沈黙」
ゴンチャロフ…「オブローモフ」しまりのない性格。「無用人」
ツルゲーネフ…プーシキン的な美と調和の詩の直系継承者。社会思想家になれなかった純粋な芸術家。虚無主義者。類稀な詩的感覚。
トルストイ…ロシア文学の峰。「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」人生の後半で転向。過去の自分の作品を批判。鬱蒼たる太古の原始林。82歳で家を飛び出し、10日後、路上の小さな田舎駅で生涯を閉じる。
ドストエフスキー…ロシア文学の峰。「悪霊」「白痴」「カラマーゾフの兄弟」癲癇による「永遠調和」の体験。人間実存の孤独。
チェーホフ…19世紀ロシア文学の掉尾。「三人姉妹」一見すると女性的な印象を与える「やさしさ」の裏に、強靭で執拗な魂がある。
あとがきで井筒はこう述べる。
「今から思えば、ロシア文学にたいするこの激しい主体的関わりも、結局、私にとって、自己形成上に通過した一時期に過ぎなかった。…だがあの頃は、本当にロシア文学に夢中になっていた。そしてそれが、たしかに私の魂を根底から震撼させ、人生にたいする私の見方を変えさせ、実存の深層にひそむ未知の次元を開示して見せた。この意味で、19世紀のロシア文学の諸作品は、どんな専門的哲学書にもできないような形で、私に生きた哲学を、というより哲学を生きるとはどんなことであるかを教えた。今となってみれば、ただそれだけのことだった。だが、それだけでいいのだ」
「ロシア独特の、大地に根ざした巨大な「哲学的人間学」は、危機的様相を急速に進める現在の、そして今後の、世界文化的状況の中で、重大な役割を果たすことになるのではなかろうか」
井筒のいう「重大な役割」を、今現在ロシアは確かに果たそうとしている。それは井筒の意図とは全く逆の、18世紀帝政ロシア、帝国主義への退行回帰として。
渦巻ばねは、巻かれようとしている。
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