読書ノート 「ぼくはスピーチをするために来たのではありません」 G・ガルシア・マルケス
『百年の孤独』『族長の秋』『エレンディラ』の作者であり、
1980年代のラテンアメリカ文学ブームを牽引したマルケスの講演・スピーチ集。
発端はやっぱり筒井康隆。筒井は当時「虚人たち」に向かう超虚構作品を生み出すなか、「マジックリアリズム」として土着の風習や伝説を魔術的かつ精緻に表現するラテンアメリカの作品群に注目していた。その書評(『乱れ打ち読書ノート』)のなかで幾度も取り上げられ、絶賛されている作家に、ボルヘス、コルタサル、フェンテス、そしてその中心にマルケスがいた。
そうこうするうちに、集英社から「ラテンアメリカ文学全集」が発刊開始され、多感な中学生(!)は毎月刊行されるその全集をすべて買うことを心に誓う。その第一巻がマルケスの『族長の秋』であった。確か1,500円ではなかったか。
『百年の孤独』はどちらかと言うと民間伝承の異化(大江健三郎の『同時代ゲーム』は確実に影響を受けている)が中心であるが、『族長の秋』は加えて非現実的な独裁者を描くことに重きをおいている。異文化の奇妙さにわくわくしながら読み終えたことを記憶している。
この講演集を読むと、マルケスの苦難な人生がかいま見えてくる。そしてそれは、ラテンアメリカという征服された者たちの苦しみ、怒り、悲しみもまとめて背負っている。経済学でいう外部性、南部問題(欧米諸国はその外部を南半球のラテンアメリカやアジア、アフリカに求め、その収奪による利益を前提に繁栄を手にしてきた)の当事者からの異議申し立てであり、世界の根本課題の中心に実はマルケスは座っていたのだ。
訳者解説にはマルケスの伝記が記されており、少年時代における祖父との交流が、その後の権力に対するテーマ・問題意識を生み出している様子が書かれている。キューバに対する見解は、欧米視点からしか理解していない我々日本人とは大きく異なると言った印象である。
コルタサルの弔問スピーチは愛情に溢れ、『百年の孤独』の原稿を送るときのエピソードはなんとも慎ましやかで親しみを感じる。普通の人なんだ。でも強いな。