読書ノート 「アーレント 政治思想集成1」ハンナ・アーレント 齋藤純一他訳
副題は「組織的な罪と普遍的な責任」。
「禍福は自ら求むもの」とシニカルに呟くアーレント。
フラグメントを置く。
アウグスティヌスの『告白』には「わたしだけの神」を希求する欲望が見える。
「公共領域への冒険の意味するところは、私にははっきりしています。一つの人格を持った存在者として、公共的な領域の光に自分の姿を晒すことです」
カール・マンハイム『イデオロギーとユートピア』
セーレン・キルケゴールは、「ロマン主義が当たり障りのない奔放さによってため込んだ負債を、彼自らの生をもって請け戻した」。
「自由主義に対して」フリードリヒ・フォン・ゲンツが出した「切り札」は、「凡庸ではあるが秩序を持つ封建制」だった。
1924年夏、フランツ・カフカは四〇歳で死んだ。
この百年において、ヘーゲルから派生した哲学の学派のうちで最も新しくそして最も興味深いのは、プラグマティズムと現象学である。
現代の哲学は、ものの何であるかはものがあることを決して説明しえないという自覚をもって始まる。
そもそも存在があるかどうかという問いは、「われ思うゆえにわれあり」という答えが的外れなくらいすぐれて現代的な問いだった。というのも、ニーチェが述べたように、この答えは「思考するわれ」の実存を決して証明しないからである。それが証明できるのは、せいぜいところ「思考作用」の存在だけである。言いかえれば、真に生けるわれは「われ思う」からは生じえない。生じうるのは、ただ思考が創造するものとしてのわれでしかない。まさにそのことを、私たちはカント以後知るようになった。
ニーチェ以来、英雄的な身振りが哲学に特有のポーズになったのも偶然ではない。というのも、カントが後に残した世界を生きるためには、実際ヒロイズムが欠かせないからである。
サルトルにとっては、不条理は人間の本質であるとともに事物の本質である。
ガス室の前では、最悪の犯罪者でさえ生まれたばかりの赤子同様に無垢であった。
現代のテロルの最も恐ろしい側面は、その動機や最終目的がなんであろうと、それがいつもイデオロギーや理論にもとづいた不可避的な論理的結論の装いで現れるということである。
「あたかも恥辱が彼の後に生き残っていたかのようだった」(『審判』)
カフカの物語は設計図であり、思考の所産なのである。彼は控えめだったのではなく、謙虚だったのだ。
「あなたは収容所でひとを殺しましたね」「ええ」
「毒ガスを使って殺したのですか」「ええ」
「生き埋めにしたことはありますか」「ええ、そうしたこともあります」
「犠牲者はヨーロッパ全土から連れてこられたのですか」「そう思います」
「あなたは個人的に殺戮に手を貸したことがありますか」「まったくありません、私は収容所の一主計官にすぎないのです」
「あなたは収容所で行われていたことについてどう思っていましたか」「最初はよくないと思いましたが、私たちは慣れてしまったのです」
「ロシア人があなたを絞首刑にしようとしているのをご存知ですか」(突然涙が溢れ出し)「いったいどういうことでしょう。私が何をしたというのでしょう」(強調はアーレント)※
事実彼は何もしなかった。彼はただ命令を遂行したまでのことである。命令の遂行が犯罪の行使になったのはいつからなのか。いつから命令への反抗が徳になったのか。死を覚悟しなければまともでありえなくなったのは、いつからなのか。では、いったい彼は何をしたのか。
※R・A・デイヴィーズ(ユダヤ電信局の特派員でカナダ放送局の局員)、マイダネクの死の収容所についての最初の証言記事。