野菜ソムリエコミュニティ・ポンコツ役員物語①
イラストについて
わたし、実は・・・ポンコツ役員なんです。
来期の役職は「マスコット」です。という笑いを取れるほどになりました。
企画担当になっては一生懸命が空回りして、一人で悩み倒して倒れたり、やり切って何もできなくなったりしました。神様の気遣いなのか、企画がそもそもなくなることもありました。
今では助け合うサイクルの中に入れていて、ポンコツでも元気な歯車のひとつになれています。(ダメな所は、ほんとごめん)
役員って何なの?について
この物語の一喜一憂を見て、誰かの一歩を応援できれば幸いです。
はじめに
私は食品業界で勤めていた時に、野菜ソムリエの資格に興味を持ちました。畑をしたことのない私が、どうやって野菜について人に伝える為の勉強ができるだろうか?そう思っていた時に出会った資格です。農産物の商品のパンフレットを作ったり、商品紹介を深めている頃でしたので、とても役に立ちました。
野菜が好きな人と出会ってさらに楽しくなりました。野菜ソムリエコミュニティにも入会。当時は札幌にも協会事務所があり、講座にも多く足を運び、尊敬する先輩の講座補佐を体験することもありました。
資格取得後年数の浅いうちに、結婚退職。引っ越して都会を離れ子育てを始めてからは、すっかり通えなくなりました。赤ちゃんを連れて参加できないからです。そして、子どもが大きくなるほどさらに参加できなくなりました。
会費だけでも応援になればと、コミュニティは退会せずにいました。およそ7年間、更新時期だけ連絡の取れる幽霊会員でした。
いまは
幽霊会員を脱すると同時にはじめたコミュニティの役員を15、16、17期と過ごしました。私でも良ければ、来期も一緒に活動したいです。
野菜ソムリエの劣等感
自信がない
野菜ソムリエには段階があります。初級・中級・上級、現在では中級がプロ、上級がシニアという名称がついておりチーフの色が違います。
独身時代に初級を取得、中級の受講もしましたが、妊婦の体調都合もあり試験はのぞめませんでした。当時交流のあったの仲間たちは、中級資格を取得したり、教室や講座を開いていたりと懸命で華やかでした。料理教室などで出会った方たちも重ねて、SNS投稿のキラキラさが眩しくて見ていられなくなりました。赤ちゃん生活の中でも、野菜を楽しめた日はいい写真を残して投稿しました。精一杯のテンション保持だったと思います。
無理でしかない
赤ちゃんを連れて、車を走らせ1時間半。札幌の都会で車を停めて、騒がしい赤ちゃんとお世話を荷物に講座に参加なんて、無理でしかない。たしか「マルシェ」のメンバーを募るメールタイトルを見たのを最後に、幽霊化しました。だって、知識もあれだし、経験も、時間的にも、私には無理でしかないもの。
野菜ソムリエとオンライン
遠方で子育てをする中、2人目の産後からは特にオンラインをよく使っていました。次男8歳、、今から8年前です。ZOOMというのは当時は珍しいほうでした。
それから3年後娘を出産。子育て層にはZOOMによる講座などが普及し、ママ起業の界隈では人気が上がっていました。
私はというと、起業塾で学んだり、離乳食教室を開催するなど少しずつ気持ちが上向きになっていて、劣等感から抜け出せていたと思います。
5年前娘の産後、上の子2人ともが保育所に通っていたので、札幌開催の勉強会に参加しました。娘はおとなしい方だったので、ベビーカーに乗せて同伴しました。驚いてくれた人が沢山でした。
コミュニティの行事にオンラインの使用があれば参加できる、参加希望者もいるのではと話しましたが、理解の声はありませんでした。
コロナとこども
小学4年の長男が1年の時にやってきたコロナ、4年前にやってきたのかな?
コロナ時代の初期は警戒態勢がとても強かったですね。入学と同時に休校になりましたが、家庭内では時間割ごっこをしたりオンライン学習をしたり、とても楽しみました。時代はパソコンだと思い、すでに子供用にパソコンも購入していました。
コロナとおとな
大人たちの世界では、あちこちがイベント休止が続きました。
コミュニティも同じく、イベントが立てれない年となっていました。
「任期満了に伴う代表および役員について」
2月のこと。当時代表より時期の案内が届きました。コロナウィルス感染症のおかげで活動が中止になり、何もできずに任期が終わろうとしています、、、というような内容でした。
「へぇ、そんな時期か。」幽霊会員の私はつぶやきました。オンラインを使ったら、また違ったかもと思いながら。
会の存続ができない
「・・会の存続ができない!!(赤文字)状況となってしまいます。・・」
当時代表から推薦を受けた女性が、会員へメールをしたそれが目に留まりました。送り主の名前と、この一文だけが何度も目に飛び込みます。それ以外はほとんど読んでいないことは内緒です。笑
どうやら、一年間コロナで意気消沈して、次年度に繋がっていない様子。
私、力になれるんじゃないかしらと、腹の奥に湧くものを感じました。
彼女を助けなければ!
・代表 1名
・役員 若干名
締切は2月28日です
誰もいなければ、役員になりますと、メールをしました。
もちろん、何をするかもわかっていない上、何ができるわけでもなく。
しかも、札幌から離れてた場所に住んでおりますが。
幽霊会員が、たまたま目についたメールを開けたら起こった出来事でした。
はじめての役員体験
少ない人数でしたが役員分担をし、引き継ぎにはいりました。資料を共有し、マニュアルを読み、実際にはじめるだけです。
ZOOMの願いが叶った
代表も役員も距離のある人同士でしたので、オンラインZOOMを使って、会議やイベントをこなしていきました。リアルとオンライン両方を立ててのハイブリットにもチャレンジしましたし、畑からオンライン中継の参加ができる講座もこなしました。すごいでしょ!
はじめの一歩の時は、本当に大変だったのよ、、、自分たちが使えるようになっても、会員が使えないかもしれない懸念もあったし。心温かな代表は、誰も一人も置いてけぼりにはしないんだ!って一生懸命でかっこよかったです。
ずーっと言っていた願いがここで叶いました。どうやら代表もオンラインのこと考えていた様子。私はそのために参加したのかもしれない!
役員のポジティブとネガティブ
15期はメンバーが役員数が少なくて、しかもオンラインのチャレンジ!持ち回りの企画もとりあえず分担して、一人が全部担うみたいなスタイルが15期でした。これは大変だった〜!
幸いだったことが、人数が少ない分動きが早く取りやすくて、色んな冒険が叶いました。頼り合う感覚、自分に課す責任感、緊張しながら泣き笑いしました。
集客についても、起業で習ってきた手法を存分に!!!!!と思ったら、やりすぎてエンストしました。頑張りすぎて疲労しました。なので、できないことはできないと言えるのが大事と学びました。
助けあうということ
助けてって、言えなかった。言えない人生でした。
仕事も頑張っていたし、できたし。
子育ても乗り切ってきた。むしろママなんだからのシーンが多くて、きっと日常的に自分に課すものが大きいのは癖になっていたのだと思う。
企画を立てることも、予算も参加費も、集客も、どれも苦手だった。開催が終わった後のブログも「参加してない人に有料内容が届かないようにしながら書く」なんて、自分が講師だった時には何をどう書いたらいいのか本当にわからなくて、気が狂いそうになった。あっという間に期日も過ぎていくし。。
助けてスタンプ
私が困っているのをわかっていて、声をかけてもらいました。それでも自分が「助けて」というほど困っているのだ、という実感が湧かないほど頑張っていたんです。それがママとして子育てでは当たり前だったから。何を「助けて」もらいたいのかもわからなかったんです。
そして遂に告白できました。苦手なことがあって、進まないこと。少し考えても答えに辿り着かなかったり、時間に間に合わなかったりすること。
「自分がこんなに頑張ってるのに、他の人もそれ以上に頑張ってるところになんて、とてもじゃないけど言えない」という、実際にどう比較したかもわからないイメージで他の役員と自分を比べて、勝手に遠慮していただけでした。
そんなこんなで、できないことを助けてと言えない私は、その後「たすけてスタンプ」を作りました。これはグループラインで使います。助けてって、言えるようになったんですよ!笑
助けては迷惑じゃなかった
簡単にいうと、私が不慣れだっただけでした。数をこなして、感覚が身につくまでは苦手を助けてもらいながら、その中で得意なことがあったり、気づいたことがあればそれを助ければ良いんです。
「助けて」ということは、役員仲間を信頼できているか、でした。
自分だって、不慣れな人がいれば助けるじゃないですか。不慣れは恥ずかしいことじゃないんです。
(いや、私自身はチョー恥ずかしい気持ちですよ笑)
まとめのメモ
#結婚退職後に自信とキラキラを失う
#一緒にステップアップできなかった劣等感は思い込み
#子供がいるとできないは幻想
#願いは叶う
#理事長の名言
#役員のハードルは日本文化における幻想
#本当のハードルは自分の心の中にある
#助けては迷惑じゃない
#助けを求めない方が迷惑
#不慣れは成功そのもの
#頼ってもいいのが信頼
続きます
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