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役員補佐A(27)は、その朝、痔になった

いきなり、全社の製品部門の役員補佐を3ヶ月やってこいといわれ、大学キャンパスみたいなのんびりした郊外の開発部門を泣く泣く離れ、はるばる東京本社へ出社する前日、わたしは痔になった。27歳、肛門科初体験。

便器に広がる真っ赤な血。何事か。慌てて、近所の肛門科にいった。そういや数日熱っぽかったけど、あたしのお尻に違和感はなかったよ?

このお尻はどうしちゃったのか。何やら入れられて診察される時の何とも言えない気持ち。気持ち悪いと断言できない。ああ、癖になったらどうしよう。果たして治るんだろうか。明日本社に行けるんだろうか。生理用ナプキンで大丈夫だろうか。これは、今までの悪行の罰だろうか・・・

本社で自己紹介の時に(実は今回の補佐の件で痔になりました)って言いたくても言えないのが決定した。これまで今まで誰にも言ったことがない、ハハハ。

なぜ痔になったのか

それはストレスである。一世一代の緊張だった。

その時のアホなわたしにとって、役員という生き物は、雲の上の人だった。サラリーマン人生の頂点に立つ強者達である。

佇まいは余裕で、その目は鋭く、初めて会う人を一瞥し、日経新聞なんて3秒で把握する。しなやかな身体つき、その身体を包むスーツは高級な艶があり柔らかい(ダメ、触っちゃダメ、絶対)、この人たちは階段でつまづいたりしない。人生でつまづいたことなどないはずだ。スクールカーストのトップなんだから。表情はもちろんクール、何を考えているか悟らせたりしない、言っていることも分からない。

もちろん痔にはならない。


痔になるほど、何も持ち合わせのないわたしだった

なぜか開発部門に拾ってもらって、一から製品テストを教えてもらって、何とかかじりついてきたわたしが、(日本語とかフランス語とかの変換がたぶんおかしいです、ここのせいで、たぶん)と、控えめで直接的な英語でしか指摘できないわたしが、製品の営業部門でいったい何の役に立つのか。

そもそもうちの会社の製品のこと、知らないからねっ。本社に行くまでに、ホームページで製品を検索する。何で売り物がこんなにあるんだよっ。製品リリースレターが、カタカナのオンパレードなため、社内のホームページを延々検索する。

あー、なんか記憶に蘇ってきた、英語のわからん文章を読んで遅々として進まないのと同じじゃないか。これ日本語だけど。

いったい、これ何のための製品なんだよっ。

あー、あたしは知ってることなんて何もない。これなら、極寒の冬に、海外に飛ばされて、徹夜でリリース前のテストしている方がましだ、徹夜してるのアジア系だけだし、偉い人はいない。偉い人は朝早く来るんだけど、夜はファミリーディナーだとよ。で、メールの返信だけが鬼のように早いけど。たぶん、あれ自分に関する話題のストーカーだわ。

あー、こんなんで、3ヶ月、生きていけるんだろうか。こんなわたしじゃ、補佐が、役員に助けてもらうという事態になるんじゃないだろうか。


わたしは間違っていた

役員補佐になるなんて、間違いだと思っていた。

そしてさらに間違っていた。

役員補佐は、「役員を補佐」する役じゃなくて、「役員が補佐をする」役だったのだ。

助詞と動詞が色々省かれて、意味を取り違えていた。最初に言ってくれ。

はっきり言って別に絶対必要なわけじゃない。多少は若者だから役に立つけど、他の人にも頼めるし。ただ、若者に経験させているだけなんだ。

ただ、わたしはそんな経験願い下げだったんだけど。


一人目の役員で間違ったこと

今なら、役員なんて別に、色のついたキャップにすぎないってわかるんだが、その頃わたしは分かっていなかった。

確かにその役員の人は、ステキだったのだ。下世話だが、経歴もMBAとか取っちゃってた。おうちもでかい平屋だった。わたしは高級というのはこういうことかと初めて知った。平屋で広大っていうのが最高峰なんだね。団地出身のわたしで、そもそも、ヒトのうちのサイズに興味がなかった。親が全くお金とか持ち物に興味がなかったからだ。食卓でお金のことが話題になったことが全くなかった。モノが気持ちを奪う話はしたけど、人の持ち物がどうのという話は皆無だった。それは親がくれたプレゼントだな、って今は思う。

で、彼は、時々、部下をたくさん連れて、ホームパーティをしたので、当然補佐も色々お手伝いする。どうやって手伝えばいいのか、規模がわからん。当日もどうやって寛いでいいのかわからないが、みんな話が尽きないようだった。話す話がない。はー、この食材だけでも、すごい額なんじゃないか。皿の数よ、奥さん、誰が洗うんだよ。といっても、その奥さんなんて、蝶が舞うようにたおやかで、エンジョイしていた。何かの個人事業をしてるらしかった。想像では、素敵なファブリックの事務所で、紅茶を飲んでるイメージ。あたしの「普通」っていう物差しにはなかった世界だった。

それにしても、役員と言う名前があるだけで、媚びてくる人の多いこと。何と、役員補佐にも媚びてくるのだ。奴らは、役員補佐という帽子に媚びてくるんだ。あたしが痔主で名乗りをあげようと、見ちゃいない。見てるのは帽子。で、わたしも、役員補佐の帽子に合わせて、笑顔が張り付き、毎日素敵なスーツも着なくちゃいけないし、ヒールも高いし、ストッキングも高いやつ。

着なくてよかったのに。

そんなのしなくてよかったのに。

だから最初の役員補佐は、しょっぱなから間違った。

媚びてくる人も間違ってるが、媚びてくるのに応える虚飾の帽子を自ら被ったわたしも間違ってた。

痔になったのは、間違ってるよ、という赤信号だったんだ。


そんな間違いの中でも、心の支えになったこと

でも、その人に、言われたことを一つ覚えている。自分が何に向いているか分からない時に言われたからだと思う。

「キミは営業に向いているよ、ヒトの気持ちを察することができるからね。」って。

青山パラシオンタワーの喫茶店の角っこに座って、講演会の前に言われた。肩掛けのバッグには熱くなったノートPCと資料がバサバサと突っ込んであって、それを足元において、わたしは紅茶とサンドイッチをほうばっていた。もう一度資料を確認しておきたい。自分が講演するわけじゃないが、心配なのだ。もちろん、全然優雅じゃなかった。

でも、わたしを初めて褒めてくれた役員の人は、優雅だった。喫茶店のガラスの向こうは、晴れてキラキラしていた。

自分が何ができるかなんて一つも分からなかった。でも、その時、そう言われたことを、これまでもずっと覚えていて、時々思い出したりする。その人は何の気なしに言ったことだろう。そもそも、彼の補佐をした人たちは、歴代できる人が多く、今執行役員の人もいれば、別の会社の社長もいたりして、褒められる人たちばかり。何者にもならなかったのはわたしぐらいである。

何者でもないわたしだけど、ヒトの気持ちがわかる、なんて言われて嬉しくないわけないよね。そして、今なら、ヒトの気持ちを踏みにじる自分のこともわかるから、また絶望だけど。


また役員補佐をするうちに、間違いが減ってきた

何が悲しいのか、30すぎてから、もう一度役員補佐をやる羽目になる。何でこうも、電柱のように補佐業務が突っ立っていて、ぶつからなくちゃいけないんだろう。「わかりました」、って言ったことを後悔した。

その時は鬼のように忙しかった。たぶんちょっと仕事ができるようになったのかもしれない。というか、年のせいで、できると思われただけだ。全社的な仕事をする役員だったので、いろんな問題が落ちてきて、いちいち、それのPMOをやる。Project Management Officeとかいうけど、単なる便利屋である。だったら、便利屋と言え。しかも問題が微妙じゃね?ってやつもある。期限つきだと思って我慢した。

講演資料作りは楽しいから全然いいのだが、やたらご機嫌伺いをする顔を見るとやっぱり吐き気がする。役員室の前を徘徊し、暇かよ。秘書さんに顔を売って帰る、暇だな。一方役員秘書は、役員以上にできて、そんな輩には柔らかい笑顔であしらい、断固としてずっと上手である。

こういうところにいて、腐敗せずに生きていくのは相当だな、と、いつまでも綺麗なかおで平然とする2番目の役員の顔を見つめた。

でもさ、あの人はもしかしたら、何も見てなかったのかもしれない。汚いところとか、嫌なところとか、流れる川の水でしかなかったのかもしれない。そういうこと、聞いてみればよかったな。今のわたしなら、素で聞けるんだけど。

そして、40過ぎてから、わたしの運命のマネージャーと思っている人が、ある会社に入ったところに、のこのこ遊びに行ってその気になり、会社を辞めて、わたしもそこの社員になり、その人が今度は役員になったもので、補佐的なことをやった。40すぎたら、帽子なんて、何個もあることも分かった。帽子は誰かを守るために被らなくちゃいけない時もある。

そもそも、自分のことが分かってきたので、着のみ着のまま、ノーメイクでやれるようになった。媚びてくる人にも、帽子集めですか?そりゃ、モノ好きですね!今度はアオですか?って平然と笑って言えるようになった。

帽子集めてるのなんて、かわいいもんだわ。平然と引き摺り下ろす怖い人とか、真実と嘘をすり替えていつの間にか真実に仕立てちゃう人だとかより、ずっとマシ。


痔になって、役員補佐から学んだこと

当たり前なんだけど、やっぱり、自分を大きく見せようとしないほうがいい。自分が見ているものが、自分が作り上げている虚構の場合もある。妄想癖だとそれが強い。自分の妄想に合わせて、自分を大きくするなんて全く馬鹿げてた。

あと、自分の言葉で話すのがいいけど、言葉が出ないなら、ペラペラ喋るよりは、じっと聞いているほうがいいくらいってのも学んだ。そん時は損してる気がするかもしれないけど、ペラペラ喋る自分のことを自分自身が信用できない方がまずい。それに、喋らないぐらいの方が、人から信用されるから不思議。確かに、おしゃべりな男より、喋らない男の方がグッとくる。話せなくて全然いい。話すことがあれば、話すべき時に、言葉は出る。

で、嫌だと思う仕事も3回もすると、今度はこうしようと自分を考え直してやってみることができる。嫌だなって思うことも、だから、誘われたら全て断らないほうがいいってのも学んだ。とりあえず飛び込んでみるほうが面白い。いっぱい間違うんだけど、でも何度だってやり直せばいいんだし。


と、嫌だった役員補佐から、学んだこともあった。今のわたしの何になってるかは、全くわからないけど。


わたしの痔

で、その痔だが、数週もかからずに、治ってしまった。

短い運命だったけど、運命の出会いだった。


それにしても、あれは、何痔だったんだろう。

身を挺して、間違いを教えてくれるぐらい、いい奴だったんだから、名前ぐらい覚えておけばよかったな。