変だねって言われることって
どうも。搭上あかめです。
写真つけてみてねーとアプリから言われて
写真つけてみたんですけど
どんな写真つけたらいいんでしょう。
写真っていっても著作権とか色々あるしね
やっぱりみんなに平等に与えられたものが写ってるものがいいのかなと思って
無難な空にしました。
しかも全然綺麗な空とかではなく、
バリバリ電線写り込んでます。
すみません。
私が楊貴妃並みに美人で
顔形とかスタイルとか良かったら
自分と空を載っけたかったです
来世に期待します
さてさて、
ふと思い出したことがあります。
小学生の頃、大好きな英語の先生の塾に通っていた時の話。
その先生は少し歳をとられた女の先生で、私の第二の母親のような存在でした。
常に笑顔で、どんな悩みに対しても真摯に向き合ってくれました。当時からやりたいことや好きなこと、夢がたくさんあったので、先生にたくさん夢語りをして、たくさんアドバイスを頂きました。もうここでお分かりかと思いますが、ここは英語の塾です。学校の休み時間ではありません。
そんなある日。
先生と他愛のない話をしてる時のこと。
「あかめちゃんは変わってるよ」
と言われたことがありました。
変わっている。その言葉は小学生の私にとって
ずいぶん重たく聞こえました。
変という字に、当時の私は負のイメージしか抱いていなかったのです。
なんだが今まで信用していた人が、急に貴方の話は全く聞いていませんよと言われたような、そんな裏切られたような、変な気持ちになりました。
モヤモヤが募って募って募りました。
変わってるってなんだろう。
それから、中学、高校とその変わっているに散々悩まされて今まで生きていくことになります。
ある時は、変だということに誇りを持って、更に変人であるように見せたり
またある時は変に思われるからという理由で、多くの人と交わることを避けたり
もう、変人だとか常識人だとかそういう分別が面倒で思ったまま生きていこうと決めたり
面白いことに、周りの反応というのも、歳を重ねるごとに変わっていきました。
前は、わたしから離れて有る事無い事言っていた人達が寄ってきて、笑顔で話しかけてきたこともありました。
めっきり、わたしをみて笑う人間もいなくなりました。
あ、そっか、みんな自分の人生に必死なんだ
もう、自分がどんな人間であれ、周りには関係ないのです。
それぞれの人生に精一杯なんですから、私が変人でも宇宙人でも人間でも関係ないんですよね。
なんだかそう思うと、変に囚われなくてもいいんじゃないかなと思えてきます。
あ、でも長年付き合ってる友達には
まじで変わってるから注意してと忠告受けることもたまにあります。
ありがとう、みんな。
でも、
変だからなんだよ
だってそう思ってるんだもん。
そうしたいんだもん。
そう行動したいんだもん。
当たり前というバイト前に見せてもらえるマニュアル本みたいなのに沿って、歩くことも走ることも制限されなきゃいけないなんてなんだか嫌だなあ。
場合によっては、マニュアルのように行動しなくてはいけない場面もあるんですが。
まぁそれは経験値なんですかね。
そんなことを思いました。
久しぶりに先生に会いたいです。
変わらないねーと言ってくれるでしょうか。
搭上あかめ
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