「当たり前」の幸せを愛おしむ。
毎日が楽しくて幸せな人なんていない。
母にそう言われた時、生きる意味が分からなくなった。
辛さに耐えるばかりの人生なら死んでしまった方が楽なんじゃないかと思った。
会社を休職して自信がなくなった。
自分は頑張れない人間なんだと突きつけられて、
人生をやっていく自信がなくなった。
これから先、楽しいことなんてないんだ。
努力もできない私が幸せになれるわけ無い。
そう思って本気で落ち込んだ。
でも、ふと振り返ると、
実は私の1日は幸せに満ち溢れていた。
朝すっきりと目覚めた。
外に出たら雲ひとつない青空だった。
大学時代の友人の家で一緒に映画を観た。
母が用意してくれた美味しい夕食を食べた。
家族でお笑い番組を見て一緒に笑った。
夕食後、母とスーパーにアイスを買いに行った。
恋人とLINEをして大好きと言ってもらった。
当たり前に思っていたことが、
本当は全く当たり前ではなくて、
凄く幸せなことだったんだと気づいた。
周りの人から与えてもらうことに慣れすぎて、
幸せを感知するセンサーが鈍ってしまっていた。
幸せを社会的な成功と捉えるなら、
幸せな人は一握りだし、
毎日が幸せなんてもちろんありえない。
でも、幸せを日常の些細な出来事の中に見出すことができれば、自分なりに幸せに人生を歩んでいけると思った。
当たり前だと見過ごしてしまうような、ほんの小さな幸せを、見落とさないように、大切に大切に生きていきたい。
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