踏み出せない。踏み出したい。
最近、これいいかも!と思っては、
何かと理由をつけて、やっぱりやめる。
その繰り返しで日々を過ごしている。
どこか新しい場所に行きたい。
誰も私を知らない場所に行きたい。
全くやったことのないことをやってみたい。
でも「安定」という固定観念が邪魔をして、
何事にも勇気を持って踏み出せない。
憧れはするけれど…
最近友人の紹介で、離島に移住して、1年間料理の修行ができるプロジェクトの存在を知った。
私は自然や農作業が好きだ。
料理は全然やったことがないけれど、
もし出来るようになれば、農産物との新たな関わり方が生まれるかもしれないと憧れた。
思い切って参加してみようかと思い、
その事前準備とばかりに、張り切って今日の晩御飯を作ってみた。
全然上手くできなかった。油こわっ。
それで、現実の厳しさを感じて、やっぱり自分には無理だ。と振り出しに戻ってしまった。
挑戦できない理由
学生時代までは、新しいことに挑戦するのが大好きで、「興味のあることはなんでもやってみる」がモットーだった。
海外留学、ビジネスコンテスト、農村留学。
とにかくなんでもやってみた。
でも、社会人になった途端、急にその勇気を失ってしまった。
学生でなくなった今、私の選択には必ず「この先の長い人生」が付き纏う。
さっきの料理人の例で言えば、
1年間教室に通って、その後数年は提携のレストランで働いて……その先は?
料理人は体力がいる職業だと聞く。
30代、40代、50代…今後歳を重ねていった時、私は働き続けることができるの?
そもそも、今私が感じている、
「自然に触れ、農作物に触れている時は、
生きている実感があってワクワクする。」
そんな気持ちをいつまで持ち続けられるのか。
もし飽きてしまったら?
もし嫌になってしまったら?
その先のキャリアは?生活は?
そんなことを考えて、
どんどんがんじがらめになっていく。
自分のやりたいことをやる人生に憧れるが、
せっかくその種を見つけても、
それをやらない理由ばかりを探してしまう。
私は何に囚われているのか
それはズバリ、「安定」だ。
「安定」した会社に入って、「安定」した収入を得て、「安定」した人生を送って欲しい。
これまで、家族から、先生から、
耳にタコができるほど言われてきた言葉だ。
でも、そもそも「安定」ってなんなんだろう。
大きい会社に入ること?
お金持ちと結婚すること?
少なくとも前者は違う。
私はそのことを身をもって知っている。
私は、世間的には「安定」と評される、いわゆる大企業に新卒で入社したが、結果的に精神を病んで、たった半年で休職に追い込まれた。
私はこの経験から、「安定」というのは、
とても曖昧な概念なのだと学んだ。
「安定」とは一律のものではなく、人によって異なるものなのだ。
でも、社会には何となく、「安定」という人生の正規ルートがある様な雰囲気が蔓延している気がする。
そして私は、懲りもせずまだそれに縛られている。
モヤの様に形の無い「安定」という幻想に、いつまでも囚われて生きている。
自由になりたい
私は自由になりたい。
そのためにはどうすればいい?
誰か教えてほしい。
学生時代は誰かがレールを示してくれていた。
でも今はそれが無くなった。
その意味では、私は前よりも自由になったのかもしれない。
でも、急に与えられた自由な世界で、
どうやって自由に生きたらいいのか分からない。
私はどうしてこんなにも不器用なんだろう。
皆が普通に出来ることがどうしてできないのか。
私は自分の人生に満足したい。
ただそれだけなのに。
それだけのことがどうしてこんなに難しいのか。
「安定」という漠然とした人生ではなく、
自分が納得できる人生を歩みたい。
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