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四言目:〜だけが嫌い。

4180円のお会計になります。

ごめん、2000円だけ貰ってもいい?

あー、うん。

私はカフェでアルバイトをしている。
今日、お会計を担当した初対面の男女と思しき二人の会話で上記のような掛け合いがあった。

ここで思う。
「だけ」ってなんやねん。

「だけ」には、人それぞれの尺度があると私は思うのだ。

ひと口だけちょうだいという言葉がどうも信用できないように、「だけ」という言葉は明確な質量がない。

各々が勝手に決めた規格の「〜だけ」を他人に押し付けるのはどうかと思わないでしょうか?



彼が放った「2000円だけ貰ってもいい?」という言葉は、俺が180円分も多く払っているんだぜ、haha。という彼の心を示している。端数を払っているという認識では決してない。

でも彼女にとってその2000円は、果たして「〜だけ」なのか。

結果的にほとんど割り勘であることに彼は気づいていないのだろうか。

彼はお酒を飲んでいて、彼女はソフトドリンクだった。
果たしてこれは本当に「〜だけ」なのか。
結論、むしろ彼女の方が多く払ってない?なのだ。

アルコールはソフトドリンクよりも確実に180円以上は値段の差がある。

にも関わらず、「俺が奢ってやったぜ」という顔しているのがなんともムカつくし、「〜だけ」を使うことによって、その「奢った」感がより粘着質になって、私の体に張りついて、コンビニ寄ってコーヒーでも奢らなきゃいけない気持ちになるのが私はいやなのだ。

「2000円頂いていいですか?」でいいの。
余計な助詞は要らない。何事も簡潔でいい。

たまたま、今日見ていた映画でこんな台詞があった。

「2分だけ時間貰える?」

結果的に全く2分では済んでなくて10分も20分も話しこんでいるという皮肉を利かせた場面なのだが、本当に皮肉なことに現実よくある。
タイマー常に胸ポケットに入れておきたいくらい、人は具体的な数字の後ろに「〜だけ」を付けたがる。
アメリカの映画だったから厳密に言えば「only」だったのだけど。

放った貴方にとっては「〜だけ」なのかもしれないけど言葉を受け取った私にとって全くその事象が「〜だけ」じゃなかったらどうするつもりだろうといつも思う。

あっ2分すぎました!終わり!なんて言ったら絶対人は嫌な顔する。だってそんなこと言われた経験ないだろうし、そんなツッコミしたら「嫌味な人」というステッカーが貼られてしまう。
2分という分数は、広告の「飲むだけで痩せる!」「初回無料!」という売り文句にしか過ぎない。

「少し時間貰える?」
これでいい。本当に何事もこのくらい簡潔でいいの。余計な保険は要らないの。

私も使っちゃうんだけどね。少しだけ。
なんでこうも日本人は余分な助詞を付けたがるんだろう。

だから私は「〜だけ」が嫌いだ。

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