意識高い系の自慰行為なんて辞めよう
「就活なんて想像したこともなかったから、ある意味、興味深い(笑)
そんな彼女たちを横目に、買ってきた”思想を渡り歩く”を読み進める。
ゼロ年代文化の転換期(変革期といってもいい)についてのコラム集。
とっても興味深い。」
僕の好きな作家の一人、朝井リョウさんの小説「何者」に出てくる、隆良がTwitterで呟いた言葉である。
彼は、いわゆる意識高い系だ。
人々を達観し、自分は人と違う個性を持っており、”世界を変えるのは僕”だと信じている類の人間だ。
かくいう僕も、昔はこれに近かった。
「25歳で年収1000万稼ぐ男になる」と公言し、
「社会で必要なのは経営スキルだ!」なんて、地に足がついていない、何の裏付けもない机上の空論ばかり口にしていた。ダサすぎる。
無情にも現実は、25歳年収500万の、ただ文章を書くのとビールが好きなおっさんになった。
多分、これで良かったんだと思う。
なぜなら、自分の身の丈を知り、人生はそんなもんだと気づけたのだから。
ただ勘違いしてほしくないのは、これは別に敗北でもなんでもない。
ただ、”自分の身の丈を知る”だけの話である。
意識高い系の脱却には、”自分の身の丈を知る”ことが必要なのだ。
なぜ彼らは身の丈を知れないのか、考えてみた。
おそらく、意識が高いという行為そのものが自慰なのだ。
気持ちいいのだ。
意識が高いと自分で思い込むことで、
・人を見下し優越感を味わえる
・成長しているように錯覚できる
・意識が高い自分には、将来は無限の可能性があると妄想できる
など、気持ちよさがある。
よく、素人と性行為をしたことがない人を「素人童貞」と呼ぶ。
おそらく、意識高い系は、自分の身の丈を知らないだけの「身の丈童貞」なのだろう。
僕もそうだった。
社会に出て働けば、様々な問題やトラブルに直面する。
現実の不合理・不条理を知る。
そこで人の価値は試される。
それを知らずに意識が高いだけでは、本当の自分の実力を知らずに満足している「身の丈童貞」なのだ。
小説「何者」の終盤、瑞月という女性が意識高い系の隆良に向けて、こんな言葉を投げかける。
「ギンジくんとの企画の話がなくなった、っていうさっきの言い方ひとつとってもそう。
まるで自分とは全く関係のないところで話が消え失せたみたいな言い方したよね。
何それ、そんなの、地球温暖化で南極の氷がなくなった、っていうニュースと同じじゃない。
自分は何もしてないけど、何かの現象がきっかけでなくなった、って、そう言いたいの?
したこともないくせに、自分に会社勤めは合ってない、なんて、自分を何だと思ってるの?
会社勤めをしている世の中の人々全員よりも、自分のほうが感覚が鋭くて、繊細で、感受性が豊かで、こんな現代では生きていき辛いなんて、どうせそんなふうに思ってるんでしょ?」
フルボッコ。意識高い系はノックダウン寸前である。
「ただのバイトのくせに『仕事行ってくる』って言ってみたり、
あなたの努力が足りなくて実現しなかった企画を『なくなった』とか言ってみたり、
本当はなりたくてなりたくて仕方がないはずなのに『周りからアーティストや編集者に向いている』とか言ってみたり、
そんな小さなひとつひとつの言い方で自分のプライドを守り続けたって、そんな姿、誰も知らないの。誰も追ってくれていないの
10点でも20点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。
これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ。」
カンカンカーン。試合終了。意識高い系のKO負けです。
だが今日でもなお、意識高い系の自慰行為がはびこっている。
それに対する意識はおそろしく低い。
要するに、意識高い系の自慰行為なんて辞めませんか?
僕は辞めましたよ。
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