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タクシー配車アプリの使い方から気づく、社会でのマナーとは・・・
夫は帰宅直後、興奮気味に話し始めた。
「さっき駅で非常識な人いてさー!!」
話を聞いていると、
どうやらタクシー乗り場で人が待っている隣で、
迎車のタクシーが停車しているという。
ここまで聞いて、何の違和感もない私。
ここから先は夫の想像も入っていると思うが、
再び矢継ぎ早に話し出す。
「その迎車で止まっているタクシーは、
配車アプリで呼ばれて、駅のタクシー乗り場を指定された。だから、そこに止まっている。」
「うん、そうだね」
「それってあり得なくない?!」
・・・・・
「え?あり得ないとは?!」
私(ポカーン)夫(怒り中)
「だって並んで待っている人がいる横で、
タクシー止まらせておくって非常識でしょ?!」
「え、そうなの?!
車が止まって待てる場所がないから、
その場所を指定したんじゃないの?」
と、お互いの意見が平行線。
この時点でも、私の頭の中は
???
夫の怒りの矛先は、タクシーを呼んだ人、
タクシー運転手の二人に向けられているようだ。
▼タクシーを呼んだ人
タクシー乗り場で、
迎車タクシーを待たせるのが非常識。
並んでいる人は、中々来ないタクシーを待っているかもしれないのに、アプリを使える人が、配車アプリで呼んだタクシーにスムーズに乗車していくなんて滑稽だ。
▼タクシー運転手
並んでいるお客さんがいる中で、
そこで待ち続けるタクシー運転手も如何なものか。
呼ばれたから指定の場所で待っているのだろうが、少し離れた場所で待つとか、配慮はないのか。
ここまで聞いて、
何となく夫の言い分が分かってきた。
状況はさまざま考えられる。
若者がアプリでタクシーを呼び、
もしかしたら隣にはタクシーに乗りたいご老人が並んで待っているかもしれない。
車椅子同行の方がアプリでタクシーを呼び、
電車を降りてそのままタクシーに乗る想定で、駅のタクシー乗り場の指定したのかもしれない。
同じ場所に並んでいる人は若者ひとり、
アプリでタクシーを呼んだのはデジタル慣れしたご年配の方かもしれない。
実際に夫が目にしたシチュエーションは
詳しく分からないものの、
夫の意見に中々納得のいかない私。
“サービス料金を払っているから、
便利なサービスを受ける権利があるのでは?”
タクシーアプリを使う人は迎車代、アプリ手数代等のサービス料を払っているわけで、その恩恵を受ける権利がある。
だから並んでいる人がいる中で、迎車タクシーに乗ることはおかしい事ではないと思う。
(ただ、並んでいる人の前で闊歩してタクシーに乗り込むのは人としてどうなのかと思うし、
もし並んでいる人がいるのであれば、少し申し訳なさそうにして乗り込むべきだ、とは思う)
予約した人が優先という考え方は、
飲食店や、テーマパークでは当然の考え方で
その予約サービスを使えない(または知らない)人にも配慮するというのは、利用者としてそこまで考えを巡らせる必要があるのか?
夫はどちらかと言うとアナログ派で、
どんどんデジタル化していく世の中に批判的なタイプ。
しかし、何故か『GO』アプリは使いこなし、
何なら自慢げに利用している。
もしかしたら、アナログ派の目線も持ち合わせているからこその意見なのかもしれない。
そういった意味では、
弱者(ここではアナログ派が弱者に当たるが、デジタル・アナログの良否は事象に依るのは承知の上で)に対する“配慮の不足”が、私の考えの根底にあるのかもしれない。
こんな考えに至ったのです。
社会で生きていく上での
“人としての配慮”
私自身、どちらかというと気が利くタイプで、
最低限のマナーは持ちあわせていると
自分では思っていたけれども、
実は気づかないうちに、
社会の中で“図々しく、傲慢に”なっていたのかもしれないな、と思ったのです。
若い時は、街中で
“おばさんは図々しいよな”とか、
思うこともあったけれども、
自分が片足突っ込もうとしていたなんて、、、
なんて、おそろしい。
傲慢になりかけている、
そんな自分に気づかされるエピソードでした。
それと同時に、夫は私より歳上だけれども、
人としてちゃんとしてるな、と見直したのでした。
***
社会で生きていく上での、
“人としての配慮”
忘れないで、生活していこう。
読んでいただき、ありがとうございました。
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kona