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読書ノートの効用

 考えたことの最終的な形が言葉だといいます。言葉にして残しておかねば消えてしまうと。こういうときにメモ術みたいなもんの出番になってくるのか。術とまでいわずとも手帳に書いておくくらいのことは、クリエイター諸氏、はなからやっておるでしょう。

 考えて言葉にする。ではそもそも何を考えるのか、というと、まっさらな状態でぼんやり考えていくのもやり方としてあるし、あたくしなども眠ろうとしたその枕上で考えがどわーっと出てくることはある。そういうときはサラから考えているのですな。

 何を考えるかを決めていなければ、たぶんその方向や中身は本が導いてくれる。およそ読書して何も考えないことなどない。本が考えさせてくれる。刺激のないサラの状態からやるよりはやや受動的な方法になるけど、これは手軽であります。好きな本を読むだけなんだから。

 読んで考えた。おもしろかった。いい本であった。そうしてそっと本棚に入れる前に、読書ノートをとっておくといいんではないか。おすすめは引用を書きまくること。そうしておけばどんなことが本に書いてあったのか、ノートを開くだけで即座に引っぱり出せる。読書の思い出にひたれる。いいものですぞ。

 あたくしは去年まるごと読書ノートをサボったので、いまそのツケを払っている形であり、だがそれもあと五冊の本をまとめればいいところまでこぎつけた。がんばった。もう少しだ。キューピーコーワとか飲みながらの、ヘロヘロになりながらの作業だった。何十冊分になるとやはり三日四日かかるらしい。これは年のせいもある。もう若くねえ。無理がきかぬ。目、肩、腰になんとやらというCMがありますが、もうあんな感じですよ。体ガタガタ脳デロデロ。

 そんな思いをしてまで読書ノートをとるのはなぜか、というとこれは簡単な理由。のちのち便利だから。それとおもしろいから。本そのものを取り出さずして内容のまとめを読んだり思い出したりできる。超いいじゃん。ガチヤベェんだけどこのやり方。あとは「読んできたなあ」の自己満足的な振り返りが心地よい。自分を褒めてやれるじゃろがい。ちゃうんかい。ノガミまでテクるぞコラァ!

 記事の後ろのほうになってくると言葉が乱れる。なぜだろうか。この謎が解かれることはないでしょう。

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金井枢鳴 (カナイスウメイ)
チップありがとうございます!助かります。