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将棋やチェスの楽しさはどう説明すればいいのだろうか?

 昨日は敬愛する方に会ってきて、というか妹の用件にくっついていった形なのだが、用件は無事に済み、のちしばしコーヒー片手に三人でダベリ倒していた。普段話せぬ裏話からウケたりウケなかったりの冗談からと大変な騒ぎで、ツクダオリジナルのバトルドーム並みに超エキサイティングだった、といっても何をいってるかわからねーと思うが、つまりとても楽しかったんですね。

 その中で確か将棋とかチェスとかの話題になったはずで、あたくしこの両方をザコながらたしなむ身、おもしろいっすよー、とかいってた。そのときにいわれたのは、それらがどうおもしろいかがわからないということ。難問である。とっさには何もいえないものだ。だから「いや、おもしろんですよ」とかしかいえんかったかな。「この、あの、こうきたかとか。こうやると相手がどう出るかとかね、そのー、おもしろいんですね」とかいった。日本語だいじょうぶかよ。

 苦し紛れに「インドのチャトランガというゲームが始まりで、それが西に行ってチェスに、東に行って将棋になったんですね」とか語り出して、あ、俺いまめんどくせえやつになってる、と気づいてそこで黙った。放っておくと「チャトランガ自体のルールはダマスカス鋼とかアンティキテラみたいな感じで損なわれている一種のロストテクノロジーであって現代においてそれで遊ぶことはできないんですねロマンはありますけどねドゥフフコポォw」とかいい出しかねないので、黙る。あたくしには熱いオタクの血が流れているのです。好きなものについては饒舌よ。近所迷惑なほどに。

 でまあチャトランガがどうだろうが、そもそもの問題、将棋やチェスがなぜ楽しいのかについてですけど。とあるアニメの名台詞に「何がどうして楽しいかなんて、誰にもわからないさ」というのがある。これはこれで回答になるんだろうか。回答不可能という回答なんですが。それ以外にあるか。

 いや本当に考え込んでるのだ。だが何もいえないのだ。せいぜいいえるだろうことは、誰かが趣味に興じているときに得るおもしろさと、他の誰かが別の趣味に興じているときに得るおもしろさは、心理学や脳科学を引かずとも、おそらく気持ちの上では似ているんじゃないの、程度のものになるか。

 あたくしもたとえばゴルフの楽しさはわからんわけよ。中学校ではゴルフ部だったけど、つまらんかった。でも、ごらん、あんなにもあのスポーツを愛している人々が大勢いるじゃないですか。彼らにとっては本当に楽しいんでしょう。

 私とあなたは違うんですとか言い出すと宗教戦争の火種みたいになっていくので、「ああ、楽しいんだろうなあ(どうでもいいけど)」と、生暖かい目で見ててねってことになるか。それは隣人愛にも通じる何かのような気がするが、そういう結論でもないんでしょうか。

 本日も何もわかりませんでした。金井枢鳴をどうぞよろしく。

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金井枢鳴 (カナイスウメイ)
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