雑記 世界を意味で色づける
目には目を、歯には歯を。なんて嘘プー☆
ああいや、金井はイカれてはいません。だいじょうぶです。正気です。「春だからなあ」とか思わんでください。
タイトルの言葉は枕元に置いてあるブラックボードに書いてあった。いやこのブラックボード便利なんですよ、電子式で何度書いても消して使える逸品、とっさのメモにメチャ愛用してます。枕上でのひらめきを逃さないのがあたくし流。
話が逸れたんで軌道修正。世界を意味で色づける、とはなんの話がしたいのか。まず一般的な話をしますね。もの(モノ)とこと(コト)は言葉によってそのなんたるかが示されています。名前といってもいい。コップはコップという名前であるし、ホームランはホームランという名前である。そうしてそれらの名前、少し広めにいえば言葉ですけど、言葉には意味があるとよくいうでしょう。言葉と意味の違いはあなたがたならわかるとして(ここで金井が解釈している限りでは言葉=象徴、意味=内容です)、モノやコトを示す名前または言葉には意味がある、と一文でいえます。では意味で色づけるとはどういうことか。
意味の改造、拡張、あるいは掘り起こすということがひとついえます。またたとえですが、赤色という色には何十だか何百だかという種類の赤色があること。赤色といえばそのままですが、細分化されたたくさんの赤色の総称が「赤色」となっている。それならばいま目の前のその赤色は、紅色なのか茜色なのか朱色なのか。
話が長くなってきたところでまとめます。赤色という言葉の意味には、さらに一歩先の意味(紅色や茜色など)があるように、この世のモノやコトには詳しい意味があると仮定する。言葉の意味を改造、拡張、掘り起こすことによって、「まだ気づかれていないそのものの詳しい意味、奥の意味」が立ち現れるとする。この「奥の意味」を引き出してそれを表現できたときには、芸術作品はまったく新しいものとして受け入れられるのではないのか。それが世界を意味で色づけるというタイトルの話です。
限られた時間でずいぶん推敲したんですけど、通じますかこの話。あたくしは言語学を修めてないのでこの程度さ。