空っぽの自慢…
嫌われる勇気 No10 劣等感 その3
劣等感と優越性の追求は、自分の成長や向上のために必要である。しかし、劣等感が何かができないことの言い訳になってしまうと、それはもはや、劣等感ではなく、劣等コンプレックスとなる。そして、見かけの因果律にすがって、ライフスタイルを変える勇気を持つことを自ら放棄する。
厳しい言葉の連続ですが、なんとか理解できました。そして、さらに、劣等コンプレックスをこじらせたその先がある、と哲人は言います。
劣等感の補償
劣等感をぽっかり空いた心の穴と理解すると分かり易いでしょう。青年も、「欠けた部分をどう穴埋めするか、ですね」と言っています。哲人も、「そのとおりです。欠如した部分を、どのように保障していくか。もっとも健全な姿は、努力と成長を通じて補償しようとすることです」と、そうそう、哲人はさすが、歩調が合う所では、驚くべきほどに並走します。
しかし…。努力と成長に向かう勇気を持っていない人は、劣等コンプレックスに踏み込み、「学歴が低いから、成功できない」などと見かけの因果律で考える。次第に、「もしも学歴が高ければ、自分は容易に成功できるのだ」と、自らの有能さを暗示し、「ほんとうのわたしは優れているのだ」と思うようになる。そして…
優越コンプレックス
劣等コンプレックスが発展したもうひとつの特殊な心理状態として優越コンプレックスという状態が顕れます。
哲人は言います。「あたかも自分が優れているかのように振る舞い、偽りの優越感に浸るのです」と。身近な例としては、権威づけを挙げています。
例えば…
・自分が権力者と懇意であることを、ことさらにアピールする
・経歴詐称や服飾品における過度なブランド信仰
・自分の手柄を自慢したがる
・過去の栄光にすがり、自分が一番輝いていた時代の思い出話がかりする
「いずれの場合も「わたし」が優れていたり、特別であったりするわけではありません。「わたし」と権威を結びつけることによって、あたかも「わたし」が優れているかのように見せかけている。つまり偽りの優越感です」、すかさず青年「その根底には、強烈な劣等感があるのですね?」、哲人「もちろん」。二人が奏でるハーモニーが不気味に流れ始めます…
でも、実際に成し遂げた過去があったり、自分の努力でお金を稼いで高級な装飾品を身に付けている人もいるのでは?その青年の疑問を哲人は、「違います」とピシャリ。「わざわざ言葉にして自慢している人は、むしろ自分に自信がないのです。~本当に自信を持っていたら、自慢などしません」と。
不幸自慢
劣等コンプレックスと優越コンプレックスは、反対の響きがあれ、明らかに繋がっているとします。それを顕す例として、哲人は、不幸自慢を挙げ、それは、劣等感を先鋭化させ、特異な優越感に至るパターンと評します。
本当に、厳しい例ですが、分かり易いので紹介します。
「生い立ちなど、自らに降りかかった不幸を、まるで自慢するかのように語る人。そして他者が慰めようとしたり、変化を促そうとしても、「あなたにはわたしの気持ちがわからない」と救いの手を払いのこえるような人」
「こうした人たちは、不幸であることによって「特別」であろうとし、不幸であるという一点において人の上にたとうとします」
「自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする」
わたしの場合
心理カウンセラーという職業は、難儀な職業でして…。「中立性」というモーゼの十戒に匹敵するかもしれない掟があります。カウンセリングにおいて、自分を出すということは、ご法度なのです。でもそれは、岸見先生のアドラー心理学を通して、本当に大切な枠組みであると思います。もし、カウンセラーが、優越コンプレックスを使用し始めたら…。それは、カウンセリングを通して、「わたしについてくれば大丈夫」といった偽りの優越感に浸るようになってしまうでしょう。私にも、この点は自覚があるのです。つい、自分のこと、それは、自慢とは取られないまでも、例えば、知識や観念など外付けの装飾品を見せびらかそうとする。
あり得る。あり得ますよ。自戒、自戒。
ですから、心理カウンセラーにはスーパーヴァイズという教育制度があります。これ、なかなか厳しいのですよ…