特別であろうはバカやろう
嫌われる勇気 No41 注目欲求の嘘
今日は、捨てるべき承認欲求を保持し続けるとどうなるか?という話。
青年は、最後の足掻きを見せます。「他の誰でもないわたしであることを証明しないことには、本当の幸福は得られないでしょう」と。
青年の描く、その証明イメージは、
・社会的な成功をする
・特効薬を開発する
・満足のいく作品を残そうとする
つまり、爪痕を残してこそ証明される“わたし”
ゴッホとピカソでいうとピカソでしょうか。宮沢賢治と村上春樹の村上春樹とか?いやいや、そんな高く険しいレベルでなくても注目は引ける…
ここで哲人は、問題行動を起こす子どもの例を出して青年を諭します。
子どもは多く、特別であろうとして“いい子”を演じる、そして、それが叶わなかった場合、一転、特別に悪くあろうとする。
それらは、実は、目的は一緒、「他者の注目を、集め、“普通”から脱し、“特別な存在”になること」。それを「安直な優越性の追求」と呼ぶそうです。
いわゆる、“注意引き”というヤツですよね。好例として非行が出されていました。逆に、過度に反応しないことで注目を集める方法もある。服装や髪形で目立つ。生徒会に入ることで目立つ。他人から注目を集める方法なんて、いくらでも思いついちゃいます…
それは、私が実際にやってきたから…(笑)
特別って気持ち良いですよね。よくわかる。子ども程見えにくくても、大人にもその傾向はかなり浸透していると思います。
私だって、つい、ウィンドウに映る自分を見てしまいます。でも、それは、
安直な優越性の追求
特別である必要はない。では、どうすれば?