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自由のレッドライン ~課題の分離~

嫌われる勇気 No22 承認欲求は不自由を強いる

アドラー心理学の世界を勝手に可視化してみました…。

世界の真ん中に”自由のレッドライン”があると仮定します。そこから右は、他者の承認が必要な世界、左は、他者の承認が必要ない世界。

「いかに生きるべきか」という壁

自由のレッドライン、まさしく、それは、壁。「なにが課題の分離だ、この人でなしめ!」と穏やかでない青年。「他者が自分になにを期待しているのか、自分にはどういう役割が求められているのか、そこを判断するのはさほどむずかしくありません。他方、自分の好きなように生きることはきわめてむずかしい」と青年は実感を込めて言います。

確かに…。私の知り合いで、事あるごとに、「生きる目的は何ですか?」と質問してくる人がいます。かつての私も含め、近くでそう質問されて即座に明確な答えを返した人を私はまだ見たことがありません…。

哲人は言います。「(親の敷いた)レールの上を走っている限りにおいては、道に迷うことはありません。しかし、自分の道を自分で決めようとすれば、当然迷いは出てきます」と。そして、「”いかに生きるべきか”という壁に直面するわけです」。

人生を”道”に例えることはよくありますよね。決められた道なのか、道無き道なのか、はたまた、脇道なのか…。確かに、道無き道を進むことは壁の連続でしょう。その度、その壁に直面し、わたしたちは迷い戸惑うでしょう。

自分に嘘をつき続ける生き方

自由のレッドラインの左側を生きること。青年は、「わざわざ嫌われたいと願い人間など、どこにいますか!」と主張します。哲人は、「たしかに嫌われたいと望む人などいない」と受けつつも、大いなる矛盾を提示します。

例えば、10人の他者がいたなら、その10人全員に忠誠を誓う。当然、ひとまずは誰からも嫌われない。しかし…大きな矛盾が待っているというわけです。それは、自分には取れない責任まで引き受け、結果その嘘が見ぬかれ、信用を失う。つまり、「自分に嘘をつき、周囲の人々に対しても嘘をつき続ける生き方なのです」と哲人は言います。つまりそれは、大いなる不自由。

よく、「今どきの若者は…」論争ありますよね。哲人は言います。「不自由な生き方を選んだ大人は、いまこの瞬間を自由に生きている若者を見”享楽的”だと批判します。もちろんこれは、自らの不自由なる生を納得させるために出てきた、人生の嘘です」

本当の自由とはなにか

では、本当の自由とはなになのか。青年はこころの底から尋ねます。「いったい先生の考える自由とはなんなのですか?われわれはどうすれば自由になれるのです?」と。

まず、哲人は、”嫌われたいと思う人などいない”という点について青年の同意を引き付けます。その上で、傾向性について論じます。簡単に言うと、われわれは、ある普遍的な法則性に沿って生きようとするということです。

そして、承認欲求とは、自然の欲求であり強い傾向性を示す。では、その欲求に従って、石が坂を転げ落ちるがごとく自らを摩耗させ、かたちなきところまで丸みを帯び、できあがった球体は、「ほんとうのわたし」といえるのか?哲人はそう問うのです。

もちろん答えは、”否”です。承認欲求の傾向性に従順に生き、摩耗してツルツルになった球体はほんとうのわたしではない。本当の自由とは、承認欲求坂道に抗い、自分の”角を立て”、登っていくことなのだと。

自由とは、他者から嫌われることである

そう、哲人は言うのです。

「他者の評価を気にかけず、他者から嫌われるおを怖れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり、自由になれないのです」

嫌われる勇気を持ちえたとき、あなたの対人関係は一気に軽いものへと変わるでしょう」

あなたは、どの海を目指しますか?

では、また明日!!

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