喧嘩は買わない
嫌われる勇気 No13 権力争いから復讐へ
ある地方都市で大学受験浪人をしていた頃、駅で、大声で名前を呼ばれたことがあります。要は、喧嘩を売られたわけです。明らかな挑発。中学時代から因縁のある相手でした。私は、一瞬立ち止まりつつその場を立ち去りましたが、この後、大いに後悔しました。「なんであそこで立ち向かわなかったのだろう。自分はなんて弱い人間だろう」と。でも、この文章を読んで心底それで良かったと思います。
挑発には乗らない
哲人は言います、「いかなる挑発にも乗ってはいけません」。青年は即座に言い返します、「いやいや、逃げる必要はありません。売られた喧嘩は買えばいい」
まさしくあの時の私です。もう少しで喧嘩を買う所でしたし、あとでそうしなかったことを悔いていましたし…
哲人「その人の隠し持つ目的を考えるのです。~相手が権力争いを挑んできているのだと考えて下さい。~勝ちたいのです。勝つことによって、自らの力を証明したいのです」。優越コンプレックス…
中学時代からの因縁、それは、その相手が教室の面前でしたある行為対し、私が、「それは酷い」と言ったことが発端でした。今思えば、私は、自分とは全く関係のない校友同士の関係に口を挟みました。それは、私が課題の分離ができていなかったことに他なりませんが、その話は今後に譲り…。とにかく、その発端以来、私は彼から喧嘩を売られるようになり、冒頭に繋がります。
いかなる挑発にも乗ってはいけない。その理由を問うた青年に対し、哲人は言います…
復讐の連鎖
「仮にあなたが言い争いを制したとしましょう。~ところが、権力争いはここで終わらないのです。争いに敗れた相手は、次の段階に突入します。~復讐の段階です。~報復行為に出ます」
確かにそうですね。彼の行為は、彼に理由はあったにしても、倫理的には許されない行為でした。それに対し、私は、正義を振りかざし「それは酷い」と言ったわけです。もちろんそこに論理もひったくれもありません。中学生のちっちゃなちっちゃな正義感です。でも、彼には響き、結果、復讐が始まりました…。
権力争いから降りる
「じゃあ、~ひたすら我慢するのですか?」全うな意見です、青年。対して哲人は、「”我慢する”という発想は、あなたがいまだに権力闘争にとらわれている証拠です。(ドキっ)相手が戦いを挑んできたら、~いち早く争いから降りる。相手のアクションに対してリアクションを返さない。われわれにできるのは、それだけです」
でも、自分が正しいと思ったことについて毅然と相手に言うことはそんなにダメなことでしょうか…
哲人「人は、対人関係の中で”わたしは正しいのだ”と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです」
権力争いから降りることは”負け”ではない
「そもそも主張の正しさは、勝ち負けとは関係がありません。あなたが正しいと思うなら、他の人がどんな意見であれ、そこで完結するべき話です。誤りを認めること、謝罪の言葉を述べること、権力争いから降りること、これらはいずれも”負け”ではありません。優越性の追求とは、他者との競争によっておこなうものではないのです」
中学生のあの時、私は、思うだけで良かった。「あの行為は良くない。俺はそう思う」と。でもそれは言わなくて良かったのです。また、予備校生のあの日、挑発に乗らなかったのは良かった。でも、もし、そこで言うとしたら、「中学生のあの時、君の行為に対し”それは酷い”と言ったことは余計なお世話だったと思う。思っていても言う必要はなかった」とかかな。
でも、言った時点で権力争いに乗っているから、やっぱり何も言わなくて良かったかな(笑)