絶望の先にあるものは?
人が絶望を感じる時。
それは、最愛の人との死別かもしれない。
知床半島の観光船の事故で、妻子が未だに行方不明だという記事が新聞に乗っていた。
「日に日に会えない苦しみが増している。
人生が大きく変わり、生きる気力が無くなった。
物事の捉え方が変わり、自分の人生も終わったと感じる」
夫である男性は、インタビューでそう語っていた。
未だに行方不明ということは、既に生存は絶望的だろう。
病や老衰で最愛の人が亡くなるのも、耐えられないほどの悲しみと苦しみだけど、ずっと行方不明なのも筆舌に尽くし難いほど苦しいだろう。
毎日、何も手につかないだろう。
身内が行方不明になった経験がないから、想像しても想像しきれない。
自宅に残された妻子の洋服、子供のおもちゃ等が
嫌でも目に入る。それもまた、辛いだろう。
以前、東日本大震災でも両親と妻子を亡くした
男性がいた。その方は、被災者へのボランティアを終えたら自ら命を断つ、と言っていた。
そのニュースを見た時、私は酷く心を痛めた。
家族全員が一挙に死別した後、残された人は
いったいどうやって生きていったらいいんだろう?
私ならどうする? と問いかけてみる。
当然、生きる気力は無くなるかもしれない。
自ら命を断つ?
それは、同じ状況になってみないと分からない。
東日本大震災で家族を亡くした男性は、まだ生きているのだろうか? それとも……。
勝手な言い分だけど、生きていてほしい。
家族を失った2人の男性の身を案じてしまう。