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南北朝時代
小学生の頃、近所にできたという本屋へ珍しく父と行った時、たまたま手に取ったのが漫画・日本の歴史の第6巻だった。源義経や織田信長、徳川家康を選ばず、南北朝時代の表紙の足利尊氏に惹かれた。そこには新田義貞、楠木正成などの武士が活躍する時代が描かれ、南朝側の後醍醐天皇に仕えた同じ名前が気になる日野氏も少しだけ登場した。
今日、その気になっていた日野俊基(としもと)のお墓があるという北鎌倉の葛原丘(くずはらおか)神社まで電車で1時間ほどなので散歩がてら、訪れた。
穏やかな北鎌倉駅からdjiポケット2を片手に丘を登る。雨上がりのまだ暖かい11月、緑が多いその景色はあの漫画日本の歴史第6巻で描かれていた鎌倉の世界そのものだった。
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今から692年前の世界で、後醍醐天皇に登用され、日野資朝らと鎌倉幕府の討幕計画に参加したが、六波羅探題に探知されて、捕らえられた。公家と武家が権力を争う当時、同じ名前の大先輩は何を思っていたのだろう‥建武の新政一年前の1332年に亡くなるまでの時代に思いを馳せた。そして今争いが無くなりつつあり個人が自律しようとしている2024年をどの様に見るのだろうかと対話した。
神社の周辺には竹が目立った。この竹の様に、時に吹く強風にも柔軟に、風に対してしなやかに生きていけ、と言われている気がした。
鎌倉駅への帰路に、足利尊氏公ゆかりの寺が目に入ったので立ち寄った。1336年(建武3年)に創建したこの長寿寺の裏山には尊氏のお墓もある。書院の壁に掛かっていた書には
’昼なお暗い深林中にあって、道を人に問うものは又道を人に依って道を失うことがある。
静かに目を閉じて自ら開拓するものには道は永遠に明るい’
という書があった。
国家や、企業、人に依存し過ぎず、自律して生きていこう。裏山にはやはりたくさんの竹が風にたなびいている。冥王星が風のエレメントである水瓶座に入るこの時代には、自分と向き合い心の目を養う事で自律して行けと、繰り返し言われている気がした。
さらに鎌倉駅までの道中に巨大な建長寺や代表的な鶴岡八幡宮から小町通りでは改めて日本文化の豊かさとこれからの可能性を感じながら通過し、帰路へ着く頃には空がやや晴れ、やがて満月が顔をのぞいていた。間違いなく日野俊基氏に案内された鎌倉散歩だった。
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