過去でもない、未来でもない、「いま」を生きる。
★当たり前のようにそこにあるもの?!
これまで何度か引越しをして、そのたびに、荷物の整理をしてきましたが、
捨てずにずっと持っているものがいくつかあります。
そのうちの一つが、留学時代の仲間からいただいた牛グッズ。
自宅にいる時間が長くなり、キッチンに立つ時間も増えました。
そのキッチンの調味料棚に飾ってあるので、
常に目には入っているはずですが、
そのせいなのか、
いつの間にか、そこにあるのが当たり前になってしまっていました。
最初のうちは、見るたびに、留学時代に思い描いていた夢を
思い出す機会だったはずなのですが、
「今年は丑年」と意識して、そこに牛グッズがあることを
久々に思い出す始末。。。
これ以外にも、すっかり当たり前になってしまっていること、
たくさんあるのですよね。
そういうものに限って、失った時に
そのありがたさに気づくのですよね。。。
私が長年、「ありがとう」日記をつけ続けているのは、
そういう“当たり前にあるもの”に敢えて意識を向けるため。
「ありがとう」の言葉を文字に書いたり、
口に出したりすると、
何とも言えない満たされた感覚になります。
その感覚が大好きで。
★「いま」を生きる。
私のコーチングで大切にするのは、「志」。
密度の濃い人生、満たされた人生をもたらすのは、
「志」であると思うからですが、
そこには落とし穴があることも理解しています。
その一つは、「過去」に心を囚われること。
私のセッションでは、自分の人生を振り返る人生グラフ
(&それに類似するもの)を使って、
何度も自分の棚卸をしますが、
その時に、過去を悔いたり、
過去を嘆いたりすると、
人の心は、過去に囚われてしまいます。
あくまでも、そこに見え隠れする本来の自分を見つめなおす、
無意識の中にある自分の価値観を見つけて、
そこから、「志」を導き出そうとしています。
そして、もう一つの落とし穴。
それは、逆に、あまりに「未来」に心を奪われてしまうこと。
「志」は、「心」はあくまでも「いま、ここ」にありつつ、
「ここ」から未来を見つめるということ。
今朝、朝活で有名な池田千絵さんのオンライン・イベントを
視聴しましたが、
そこでも、「Wantだけでは夢想家になる」という主旨の言葉がありました。
未来に心を奪われすぎるのは、「夢想家」の姿であり、
本当の「志」を抱く人物の姿ではないな、と私も思います。
「志」をいただくとき、
持つべき感覚は、
過去はない
未来もない
あるのは、永遠に続く「いま」だけ。
いまを生きる、
いまを生き切る、
そんなことのお手伝いがもっともっとできたら良いな。
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私は、エクササイズ・コーチング研究所を主宰しています。
コーチングの冒頭にエクササイズを入れて、
エクササイズによってもたらされる脳や体への影響を最大限に活用しながら
コーチングを実施し、効果を高めようとしています。
ご関心のある方は、ぜひご覧になってみてくださいね!
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