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歴史とか

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歴史とか、残すべき記憶とか。 タイトルバックは今も三浦油壺に残る、特攻モータボート「震洋」の桟橋の遺構。
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親父の青春を追ってみた

僕の親父は大正15年8月生まれ、終戦当時19歳。 戦争中のことは多くは語らなかった。「松山の航空隊にいた」とだけ聞いていた。軍歴証明書、というのがあり軍務についた人の記録が保存されているときき、佐賀県の福祉課に問い合わせてみた。 軍歴証明書はなかったが記録があったので複写を取り寄せた。 軍歴の記録を手がかりに、親父の青春を追跡してみようと思った。 軍歴 昭和19年4月        龍谷中学4年中途退学 昭和19年4月20日(18歳)  特別幹部候補生として第三航空教育隊

多摩ニュータウンの廃道のなぞについて調べてみた

正確に言うと廃道ではないけれど。 「多摩よこやまの道」というトレッキングルートがある。東は京王線若葉台、西は南大沢の長池公園までのおよそ10kmの尾根道。そのルートを歩いて長池公園の近く、多摩尾根幹線道路の南側まで着いて公園へ道を横断しようとして幹線道路に陸橋がかかっているのでそこを歩くことにした。 幹線道路からの分岐、広い道路なのに入口はポールで塞がれクルマは通れない。しばらく歩いていくと木々が生い茂って廃道のよう。昼間でもちょっと怖い。道の真ん中にはセンターラインの跡、

国立国会図書館のディジタルアーカイブで爺ちゃんを検索してみた

最近サービスが始まった、国立国会図書館のディジタルアーカイブ。 なんと全文検索がかけられるので「先祖や曾祖父さんの名前を検索する」という新しい遊びが生まれている。 なので自分の祖父を検索してみた。佐賀県では割と名のある宮大工の棟梁だったので、もしかしてなにかあるかも。 名前で検索すると、同姓同名の熊本の資産家らしき人が大量にヒットする。それでも丹念に追っていくと、あった。 官報の「帝国実業商工録 昭和9年」登記された会社のリストだろうか。「佐賀市唐人町、土木建築請負業」と

湘南軌道の跡をたどる(2022.10.22)

湘南軌道 かつて、秦野ー二宮間を結ぶ軽便鉄道(軌間762mm、8駅、10.1Km)があった。1937年(昭和12年)に廃止になっているので遺構はほぼないけれど、いまはなき軽便鉄道の線路のルートをたどってみた。 タイトル写真は神奈川県のサイトの観光紹介ページより Webには、このルートをたどった記事がいくつもあるのでそれを参考にしつつ。 神奈川県「秦野駅」からJR二宮駅へ、湘南軽便鉄道の廃線跡を歩く 【廃線】湘南軌道 湘南軌道軽便鉄道跡を歩く 二宮から秦野 湘南軌道を

高座海軍工廠と台湾少年工

GoogleMapをうろうろしていたら、自宅からそう遠くないところに「台湾亭」という史跡があった。写真を見ると何やら中華風の建物。そのちかくに「台湾少年工慰霊碑」とある。 気になったので調べたらいろいろと発見があった。 高座海軍工廠 戦時中、相鉄線さがみ野駅の北に、広大な飛行機工場が建設された。さがみ野駅から現在の国道246号を超えて芹沢公園のあたりまで。大和市のサイトに解説があった。1943年に工事が始まり敷地30万坪、工員3万人、年間6,000機の生産能力を持つ工場と

「大河への道」(2022)

伊能忠敬を描いた映画かとおもったらちょっと違う。中井貴一、松山ケンイチ、北川景子、橋爪功。 千葉県佐原。町おこしで大河ドラマ誘致を狙う総務主任の中井貴一。筆を折って久しい偏屈な老脚本家の橋爪功を口説いて取材を始めるが、調べていくととんでもないことがわかってしまう。 同じキャストで現代と伊能忠敬の時代を描いていきます。楽しい歴史and町おこしコメディ、でもラストはなかなかな感動。北川景子は着物も似合って美しい。

三浦戦跡めぐり

2022年月。三浦半島にいまも残る太平洋戦争の遺構をめぐる小ドライブ。 歴史をたどるドライブの車は、未来のEVにしました。 YOKOSUKA 軍港めぐり遺構の前に、現代の海軍を。「YOKOSUKA軍港めぐり」は解説もわかりやすくて面白い。「もし海に落ちたら山の方に泳いでくださいね、反対側はアメリカですから」は案内の定番ネタ。 アメリカ側に泳ぎ着いても助けてくれるとは思うけどたぶん病院の保険は効かない。 横須賀バーガーとカレーお昼は横須賀カレーとバーガー。炭水化物と炭水化

三陸旅行 〜震災遺構と「あまちゃん」ロケ地〜

2022年3月、三陸へ。 最初新幹線を予約していたのだけど、前の週の地震で東北新幹線が不通になったので急遽クルマで。初日は福島の夜の森と中尊寺を経由して陸前高田まで。 夜ノ森(福島県)常磐線の夜ノ森駅。「よのもり」と読むロマンティックな名前の駅で桜の名所。ここは福島第一原発から数キロ。しばらく立ち入り禁止区域だった地域との境目になる。 このあたりも事故以来放棄された商店や大型店舗が目立つ。 高速のSAには放射線量の表示。いまは全く普通で他の地域と変わらない 中尊寺コドモ

横須賀水道みち探訪

大正時代、海軍横須賀基地の水源を確保するため、はるばる宮ヶ瀬湖のほとり、半原から50Kmに渡って水道が敷かれた。 当初は海軍の所有管理だったが、戦後横須賀市に引き継がれ、なんと2015年まで現役に使用されていたという。 この水道の上は基本的に建物を建てられず、また古い時代ゆえ浅いところに水道管が敷設されているので大きな車が通れる道路にできないので細い道になり、現在は歩道や遊歩道になっているところが多い。また「水道みち」として道の名やバス停などにその名残がある。境界標やマンホ

かつて軍事施設だった神奈川の公園や施設をしらべてみた

「こどもの国」が陸軍弾薬庫だったのは知っていたけど、ほかにも色々ありそうだとわかったので調べてみた。 こどもの国旧日本陸軍の田奈弾薬庫。いまの東急こどもの国線は、旧田奈弾薬庫専用線。米軍接収、返還を経て1959年、当時の皇太子(現上皇)成婚を祝し公園に。いまも園内には弾薬庫の入り口が残る。 ソレイユの丘横須賀の長井にあるこの公園は、海軍第二横須賀航空隊基地として建設がすすんだものの、終戦にまにあわなかったらしい。三崎口のあたりに第三航空基地も建設されていたらしい。 国土

「二十四の瞳」

高峰秀子が時代のヒロインだったことがよくわかります。教室で子どもたちの名前を読み上げるシーンは何度観てもすてき。僕らの世代だと田中裕子でリメイクされたけど、いまなら綾瀬はるかの声と笑顔でこのシーンを観てみたい。 満開の桜の下で子どもたちと遊ぶシーンもすばらしい。モノクロだけど桜の色が見えてきそう。現代の技術で彩色できないかな。 笠智衆!

「日本のいちばん長い日」(1967)

リメイクもされているけれど、岡本喜八監督版を。 鈴木総理は笠智衆、阿南陸相は三船敏郎、米内海相は山村聡。映画史に名を残す名優の重み。 昭和天皇や演じた松本幸四郎(先先代かな)がクレジットに無いのも昭和を感じます ときに単に好戦的な狂人の如く描かれる事もある阿南陸将ですが、この映画では自分の信じたものが失われる事に苦悩するさまが描かれています。 制作されたのが昭和42年という

「月曜日のユカ」

1964年の映画。やっと観れました。 加賀まりこがとびきりキュートでコケティッシュ。川端康成が年甲斐もなくファンになったというのもうなずけます。若い頃の中尾彬が小栗旬みたいでカッコいい。 ユカ、30年まえなら小泉今日子だけど、いま演じるなら誰だろう?

レストラン「武相荘」

チキンカレーを。 ルーとごはん、キャベツを混ぜて食べるのが「白洲次郎流」だとか。