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横須賀水道みち探訪

大正時代、海軍横須賀基地の水源を確保するため、はるばる宮ヶ瀬湖のほとり、半原から50Kmに渡って水道が敷かれた。
当初は海軍の所有管理だったが、戦後横須賀市に引き継がれ、なんと2015年まで現役に使用されていたという。

この水道の上は基本的に建物を建てられず、また古い時代ゆえ浅いところに水道管が敷設されているので大きな車が通れる道路にできないので細い道になり、現在は歩道や遊歩道になっているところが多い。また「水道みち」として道の名やバス停などにその名残がある。境界標やマンホールなどが残っているところもある。

藤沢市善行のバス停

Youtubeでこの水道みちをたどるドライブ動画があった。面白そうだったので自転車で4回にわけて全長およそ50kmのこの横須賀水道みちをたどってみることにした。



1.愛川から海老名まで

起点は半原にある取水場。現在はつかわれなくなって、施設の解体が進んでいる。

半原取水場跡

「水道みち」の名があちこちに残る

水道坂の碑

愛川町の名所、一直線に伸びる坂の名は「水道坂」

海軍の境界標。波に「海」の文字。



戦後の横須賀市の境界標もあった

水道管の上には大型車の通る広い道路や鉄道は通せない。横断する国道は小さな橋で跨いでいる。金網で閉ざされ、人も車も通れないこの小さなトンネルは水道管のためだけにある。

川は水道橋で越える。相模川にかかる巨大な水道橋。横須賀市水道局の看板。

GoogleMapの衛星写真にもはっきり写っている


2.海老名ー善行付近

海老名から藤沢付近まではほぼ一直線になる。区割りや他の道路を無視して水道道は直線に伸びる。海老名付近からは遊歩道になっている。

水道道のうえは大型車通行禁止。新幹線も、車も通れないような小さな橋を作って跨いでいる。水道管のことを知らなければなぜこんな跨線橋をつくったのかはわからないだろう。

水道管は川を渡るときには地表に出てくる。ここにも「横須賀市水道局」


3.善行ー鎌倉

善行から藤沢あたりまではほぼ一直線だが、国道1号線をこえたあたりでたどれなくなり迂回

善行のバス停「水道みち下」

藤沢市内なのに横須賀市のマンホール。上水道なのでメンテナンスに人間が入る必要はないが、空気弁がところどころに必要らしい。

国道1号線の藤沢バイパス。ここも橋になっている。急な下りと上り。横須賀水道はポンプの類がなく、取水場からの落差だけでこの起伏を乗り越えてる。国道には「水道道」の表示があるらしい。

妙に広い歩道、道路のわきに続く謎のコンクリートの築堤。この下に水道管がある

細い車道と同じくらいの広い歩道
警告の看板にはやはり横須賀の文字


藤沢市内で引地川を超えて鎌倉へ。大仏隧道の脇に由緒有りげな建物。体育館跡とあるが調べるとその前は鎌倉市のポンプ場だったらしい。

4.鎌倉〜横須賀



ここまで綺麗に残ってる境界標はめずらしい。鎌倉市内。

逗子駅前には「水道みち」が商店の屋号に。

田浦から横須賀までは国道の下か脇をとおっているらしい。寄り道して田浦の海軍引き込み線跡、有名なダイヤモンドクロス。海沿いのちいさな山のわきには謎のレンガ造り。弾薬庫か何かの遺構だろうか。

謎のレンガ造り、これも戦争遺跡か。


終点横須賀。JR横須賀駅前のスカレーくん。


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