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【エッセイ】私の瞑想の仕方の話
瞑想、「何やらルールが多かったり小難しい考え方が多そうでとっつきにくいな」と思われる方は多いかもしれません。
しかし私の方法に関しては「単なる腹式呼吸」と「数字のカウント」以外に考える事はありません。
よってこの方法が正しいかもわかりませんが、「そもそも『厳としたルール』に従わずともその恩恵を得られる」としたら?
「そういわれるとやってみなくもないかな」と思えてきませんか?
それに「この方法は場所を選ばない」のに加えて、一般に言われる様に「ストレス・脳内の混乱を落ち着け平静を取り戻す事」もできます。
今回はその方法をここに記してみようと思います。
■どうして・どうやって瞑想に遭遇した?
その前に簡単に「瞑想との邂逅とその過程」にまつわる昔話をしたいと思います。
(本筋からは離れるので、お急ぎの方は次項へお進みください)
最早ハッキリとは思い出せませんが「大体7年前の2017年、私がまだ専門学校に入る前の事」だったかと思います。
時の私は「どこに向かいたいのか?何がしたいのか?」が定まっておらず、表情にこそ出ていなかったでしょうが焦っていました。
(あるいは「あまりにも方向性が違い過ぎる『やってみたい事』が山積していた」のであり、今でこそ「当時何も知らなかった私は『現実性や生産性の点で取捨選択できていなかった』から、全てが同列で選択できなかった」のかもしれないと考えることはできます)
そしてその焦りの原因は「行ってみたかった大学進学を辞めて時間と金を無駄にした事」にあったのです。
実は専門学校に行く前、高校を卒業してから私は1年浪人をしており、その間「かつての高校の同期達は既に進学・就職して自ら選んだ道を進んでいるのに…」と強く苛まれていたのです。
もちろんその全員が確固とした目的意識をもって進学している訳ではなくて、むしろそのほとんどが「惰性で進学して青春だけしか見ていない奴」ばかりだったのはわかっていました。
しかし私は浪人して入った予備校でもあろう事かペンが進まず、結果半年と経つ前に予備校を辞め、「『せっかく親が投じてくれた大金』と『捨てるにはもったいない多くの時間』を無駄にした」のでした。
そうして「『そんな奴ら』でも簡単に入れた大学に、予備校にまで入った私が行くこともできないのか」と肩を落とし、自己肯定感が著しく低くなり、学歴がコンプレックスになってしまったのでした。
(今にしてみれば「その原因は『逆風に耐えられる程の強度を持った動機』ではなかったから」だと言えますが、それはいずれ別記しようと思います)
そして予備校を辞めた年の秋口、たまたま立ち寄った本屋で一冊の本と決定的な出会いをしたのでした。
そのタイトルは「The Secret」、引き寄せの法則にまつわる書籍でした。
その本筋は「『人生で必要なものを手繰り寄せる方法論』を綴ったもの」で、それはもちろんの事、その中にあった「瞑想の2文字」に「これを習得すれば学歴や賢さに引け目を感じる事がなくなるのではないか?」と可能性を感じたのでした。
(引き寄せが叶った結果なのか、専門卒業までに自信は100%を超える程回復していて、結果的に「その後の実力とのギャップによる落差」で泣く事になりますが、それもいずれ別記します)
以来「脳機能や成功者の足跡を綴った自己啓発本」を手に取っては吸収を繰り返し、それを契機に「人間本性や世界真理の様な普遍的本質を求める様になった」と同時に「自分がやりやすい瞑想」を探る様になったのでした。
それから今に至るまで自己分析と情報収集を続けて多くの事を知り、今や「『そこから見えてきた数々のもの』を発信して多くの人に知ってもらう事・評価してもらう事」が生きる目的になりました。
かくかくしかじか、一人の落ちこぼれを一人の人間として真っ当に自律させるに至らせたのには「脳機能の拡張」が少なからず関わっているはずだと自己分析したのでした。
そしてこれはひとえに瞑想によるところが大きいと考えが至り、これこそは「世間的な評価である『瞑想がもたらした効果の発現』」とも共通していると思ったのです。
長くなりましたが、以下に世間的に瞑想がどのようなものなのか、そして「私が普段している瞑想」がどのようなものなのかを綴っていきたいと思います。
■そもそも瞑想とは何か?
世間的な認識として、世界の集合知・Wikipediaでは次の様に記述されています。
●心を落ち着けて無心になる事、何も考えずリラックスする事、心を静めて神に祈ったり、何かに心を集中させる事、目を閉じて深く静かに思いを巡らす事など、宗教の伝統や修行の段階、目的などにより内容は様々
●現代では「健康の向上や心理的治療、自己成長、自己向上などの『世俗的な目的』」をもって、様々な瞑想が行われている
●具体的な効果として「感情の制御、集中力の向上、気分の改善などの日常的な事柄」から「瞑想以外では到達不可能な深い自己洞察や対象認知、知恵の発現、更には悟り・解脱の完成」まで広く知られている
私が瞑想を魅力的だと思った最初の理由も「集中力・忍耐力の向上、脳のリフレッシュ」にあり、それは広く知られている認識と一致していました。
加えて瞑想中はガンマ波という脳波が発生していて、「『認知症の原因になる脳内ゴミのアミロイドβ』を減らす効果がある事」が発見されています。
アミロイドβは「健康な人にも存在している物質」で通常短時間で分解・排出されますが、血流の停滞や生活習慣病などによって蓄積し、神経細胞のネットワークが損傷し脳が委縮してしまいます。
瞑想は血流やアミロイドβの分解・排出作用を促進し、結果的に思考を鮮明にさせるという作用をもたらすのです。
(「健康ねっと - アミロイドβを減らす方法とは?認知症の解決の希望になる可能性も」より)
また当時知った「脳の可塑性(頭を使えば使う程磨きが掛かり、その上限はない)」も瞑想を始めた一因になっていて、「頭を使う為に思考のノイズになるものがあっては効率的に使う事は出来まい」と思ったのは今も覚えています。
今では瞑想にまつわる多くの指南書が出ていますが、主要なのは「精神の昂ぶりを鎮めリラックスする為の『腹式呼吸瞑想』」、「創造性とひらめき力を養う為の『フリーシンキング』」、「傷付いた自分を思いやる『セルフ・コンパッション』」の三種類でしょう。
私がしているものは「様々な手法をごちゃ混ぜにした我流」とも言え、強いて言うなら「腹式呼吸を主軸に、一部フリーシンキング・座禅が介在しているタイプの瞑想」になります。
しかしわざわざ難しく考える必要はなくて、せいぜい「頭の中の騒がしさ・胸のどきどきを静める方法」とでも考えてもらって差し支えありません。
ではその方法を以下に説明したいと思います。
■「腹式呼吸→フリーシンキング」の2段階
先に全体像を紹介すると、「『フェーズ➀:25秒サイクルの呼吸×24回(600秒)』→『フェーズ➁:秒針・脈拍900回のカウント(900秒)』の1500秒(25分)」の2段階で構成されています。
▲瞑想を始める準備
最初に断っておくと「必ずしもこの形でする必要はない」です。
何せ「自分の状態を整える行為」ですから、誰かに最適な方法だからと言って自分に最適な保証はありません。
あくまで私の方法は一つの選択肢に過ぎませんから、いろんな方法を試して自分に合うやり方を探っていってもらえばと思います。
また髪が目元にかかったり背中が痒くなっても、直したり掻いたりして問題ありません。
厳密な座禅と違ってみている人はいませんし、強いて言うなら自分との勝負ですから、せいぜい「なるべく動かない」程度に考えてもらえばいいでしょう。
さて姿勢は「10~20分くらい同じでいられる格好」を心掛けると良いかもしれません。
よく言われるのは「頭のてっぺんから糸で釣られた様な背筋」ですが、個人的には「首の筋肉を使わなくても頭が安定する様な『背骨の上に頭を乗せるイメージ』」です。
後は「目を閉じて、少しあごを引いて、視線は1mくらい先を眺める感じ」にします。
ですから胡坐や椅子に座った状態、吊革につかまった状態でも平気ですから、場所はどこでも大丈夫です。
こうする事で「空気の通り道が整い、効果的に呼吸ができる様になる」らしいです。
それから秒針や心臓の拍動、メトロノームの様な「一定のリズムを刻む物」を用意します。
ですがこれがなくても呼吸の回数で把握する事ができるので、できれば用意しましょう。
後は目を瞑るのでアイマスクがあってもいいですし、お好みのお香を焚いてもいいかもしれません。
▲フェーズ➀:腹式呼吸で25秒サイクルの呼吸×24回(600秒)
早速始めていきましょう。
最初の一呼吸目の前に数回深呼吸をし、最後の呼吸では息を吐き切りましょう。
こうする事で息を吸う時に自然と空気が入ってきて、通常よりも多くの空気を取り入れる事ができるそうです。
続いて「息を吸う8秒(5秒:おなかを膨らませる→3秒:肺を膨らませる)」→「息を止める5秒」→「息を吐く12秒(おなかから吐く:7秒→肺から吐く:5秒)」の順で繰り返していきます。
ここでのコツは「息を吐く事に集中する」「おなかと肺で呼吸を分ける」「回数のカウントの仕方」です。
おなかと肺で呼吸を分ける理由は「おなかだけで呼吸を続けると息が続かなくなるから」です。
どうも私のやり方が不自然だったのか「空気は入るけど息を止めているみたいに苦しくなる」ので、それならいっそ分けてしまえばとこの方法に落ち着きました。
それからカウントの仕方なのですが、これは少し独特で、私は「2進法を用いた数え方」をしています。
「親指を1,人差し指を2,中指を4、薬指を8、小指を16」と見立てて、24サイクルまでカウントしています。
この数え方だと片手で31まで数える事ができますが、慣れるまで少し時間が掛かるかもしれません。
なので予めタイマーで10分に設定しておくでもいいでしょうし、時間もこれに限る必要はありません。
24サイクルにしている理由は「10分(600秒)になる様にしているから」なので、5分(300秒)にする場合は12サイクルでいいですし、そこはある程度自由に変えられます。
しかし「8秒→5秒→12秒の構成」は個人的にはバランスがいいと感じているので、息が続かない方はこの比率を維持しつつ、例えば「6秒→4秒→8秒の構成(18秒サイクル)」でもいいのかもしれません。
▲フェーズ➁:座禅の様に15分
フェーズ➀が終わったら少し深呼吸をして息を整え、フェーズ➁に入ります。
これはもっとシンプルに「900秒数えるだけ」です。
この時のコツは「なるべく雑念を入れない事」「目の前に3桁のカウンターがあると思って、『1秒ごと・1拍動ごとにカウントされていく様子』を映像的にイメージする事」「フェーズ➀の呼吸をそのまま維持し、徐々に自然な呼吸に移っていく事」です。
無論これも時間は自由に変えてしまって問題ありません。
フェーズ➁の目的は「フェーズ➀で確立した脳波を持続させる事」にあり、これによって神経のネットワーク間の連絡が円滑にさせる事ができる為、できれば長く続けるのが好ましいです。
ただ既に10分経過している為お尻や足が痺れてくるころかもしれません。
ここは個人差の出る所なので当然強要しませんし、そうなると集中力が切れてくるものです。
集中力の喪失は脳波の乱れを意味するので、そうなるとその日はそれで限界だと思って切り上げてもいいでしょう。
ですが今後の為「後60秒、100秒だけ追加する」のでもいいかもしれません。
脳は可塑的とはいえ一朝一夕で構造が変わるわけもなく、その様子はいずれのスキルの習得とも共通します。
この習慣がいずれ自分を面白い境地に連れて行ってくれると思って、ゆっくり時間をかけて身に付けていくのも一興かと思います。
■「できる時にやってみる」で上等
以上が個人的な瞑想の方法です。
最後に勇気づける様な事を付け加えると、「別に毎日する必要はない」のです。
気が向いた時、例えば「あぁ頭が騒がしいな」とか「ちょっとイライラするな」とか、そういう時に気持ちを落ち着ける為に少し座ってみるのは賢い選択なのかもしれません。
かくいう私も毎日できている訳ではなく、今や習慣化したとはいえ週一だってザラです。
結局自分との勝負ですから、どこまでやるかは自分が決めればいいのです。
そこに他者の目はなく、あるのは「自分はどうなりたいのか」という問いかけだけなのですから。
少なくとも悪い習慣ではないですし、宗教や文化で採用されてきただけの理由を感じられる日が来るかもしれません。
何より「『わざわざ人が他の事に使う様な時間を瞑想に投じている』という優越感」が得られます。
ですからどうか気楽に試してみてください。
きっと何かが変わるはずですよ