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3月の鏡
3月になれば私は解放されて楽になるかと思っていた。
この家の様子をずっと見てきた。
赤ちゃんが産まれ、両親が抱っこしたりオムツ変えたりするところも。
赤ちゃんが歩き出したところも見た。
保育園、小学生、中学生とどんどん進学していき、身体も大きくなっていった。
なにかイベントがある度に私の前に立ち、全身の見栄えを確認していた。
私は私の前にある世界をそのまま映し出す。
この子が悲しい顔をしたら、私を通してこの子に悲しい顔が伝わる。
この子が嬉しい顔をしたら、私を通してこの子に嬉しい顔が伝わる。
そうやって幾千もの月日を重ねて、とうとう私にも感情が芽生え始めた。
この子をずっと見守っていたい。どんな風に成長していくのだろう。
しかしこの子は、高校卒業後は県外の大学に行くらしい。
私は寂しくて、悪戯をした。
この子が笑えば、悲しい顔を反射した。
この子が泣けば、笑顔を反射した。
我慢できなくなったのか、この子は私に向かって石を投げた。
私の身体も心もバラバラに砕かれた。
この子は暫く私の前には現れなかった。
もういっそ早くどこかへ行って欲しかった。
そしてとうとう3月のお別れの日がやってきた。
この子はバラバラになった私のかけらを集め、直してくれた。
あれ。かけらが一つだけはまってない。
そう思っていると、この子は私からギリギリ見えるくらいのところで、鞄の中に私のかけらを入れていた。
私は涙を流そうにも流せなかったが、目の前のこの子が泣いていた。
その子が映る私も泣いていた。
また大きくなって帰っておいで。
いってらっしゃい。