愛すべき孤独と幸せと
私は自分に嫌気がさす。だって涙もろいから。自他ともに認めるほどに、本当に涙もろいから。
誰かを困らせるつもりなんてない。泣くとのちに頭が痛くなって頭痛薬を飲む羽目になることもわかっているのに、涙をこらえることができない。
どんな時によく泣くのかという質問は私にとってはナンセンスで、四六時中その可能性があるとしか答えられない。
コップいっぱいに水をくんで、それが溢れずに耐えてるあの構図と、私が涙を堪えて世界を見渡してる時の感情は、非常によく似ている。
音のない深夜二時、街に溶ける無数の明かりを指でなぞってみると、私の指で描かれた光が、夜の東京で踊っていた。
それはそれは本当に美しくて、ずっと見ていたいと思う景色だった。だけどその分、だからこそなのかもしれないけど、その景色は強烈な寂しさを私に植え付けた。私は涙した。
美しいものは残酷だから美しいのであって、そこに理屈は必要ない。
終わりあるものと知りながら愛を与えてしまう自分は愚かで、救いようがない。
頭ではわかっていても、心が言うことを聞かないことはあって、ふと思い返してみてもそういうことはけっこうあって、こうなったら本当にどうしようもなく、涙があふれて止まらなくなる。
私は、普通の人よりきっと、絶対、幸せのハードルが低い。
あらゆることに幸せを感じて、感じてはその度に勝手に感動し、涙してしまう。
普通の人がなんてことないことにも私は、自分だけの喜びを見出してしまう。
ここであえて「しまう」で語尾を打っていたのは、幸せのハードルが低いことが必ずしもいいことばかりではないと思っているから。
幸せのハードルが低いことは時に羨ましがられ、時に嘲笑われる可能性を大いに含んでいるから。
こんなことだって頭ではわかってる。でも、相変わらず心が言うことを聞くことなんかあるわけもない。聞いてくれたことなんて一度もなかった。
だから私は今日もまたこうして、目の前に広がる東京の夜景にも、道端に咲く見慣れない色をした小さな一輪の花にも、聴いたことなどないはずなのに懐かしさを感じるメロディにも、優しく微笑む恋人にも、勝手に幸せを感じて、泣いている。
私の幸せはいつだって、自分勝手に独り歩きばかりする。
けれども、どうしたってその幸せを、愛さずにはいられない。