学生時代の小論が出てきたよ?その5-夏目漱石小論『吾輩は猫である』
『吾輩は猫である』―「FARCEに就いて」と『変身』をめぐって
一
作家夏目漱石の代表作として、最初にあげられるものは何なのだろうか。教科書に必ずといって良いほど取り上げられる『坊ちゃん』(一九○六年)や、『心』(一九一四年)なのだろうか。以上の二つは、一般的にもよく知られ、広く愛読されてきた作品である。しかし、有名な作品の中でも、最も論じられ、研究されてきたのは、おそらく『吾輩は猫である』(一九○五年)なのだろう。その作品を読んでいない者でさえ、題名を見れば、最初の一文を空で言えるほどである。
『吾輩は猫である』(以下、「猫」と略す)は、漱石の門下生の一人、高浜虚子に勧められ、執筆したものである。ロンドン留学からの帰朝後、ひどい神経衰弱に悩まされていた漱石は、「猫」を書いたことによって回復していったと考えられている。その際、明治三十八年一月に「ホトトギス」誌上にて、第一回が掲載され、大反響を呼び、以後五月まで連載された長編小説の一つである。
あの有名な「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」という一文から、空地に捨てられていた一匹の猫が、苦沙弥の家に上がりこみ、居候をするところから物語ははじまる。その家の主人、妻、下女、子供たち、近所の人間たち(金田家)、主人の友人(迷停、独仙)、主人の弟子(多々良、寒月、東風)などの関係性を、猫の視点から観察および批評を行ってゆくという、非常にユニークな方法を取っており、当時でも類を見ないものであった。
石山徹郎の「夏目漱石氏の芸術」(大正五年)や、相馬庸郎の「漱石と写生文」(昭和四十九年)などは、従来の写生文の方法という観点や、漱石が自ら考察した「文学論」の構造から作品を作りだしていったと、考えている。石山は、初期の「文学論」において考察していた数々の方法を、『吾輩は猫である』『漾虚集』『鶉籠』において、表出していったものとして考えている。一方相馬は、高浜虚子などの従来の写生文の方法を例に、漱石の写生方法はまた違ったものとして、論じている。猫の視点は、「人間の内外面の徹底的な相対化」という構造を通して、自他に対する風刺、批評、屈折、自嘲など「きわめて複雑なおのれの精神の世界を解放しようとした。」としている。それと言うのも、明治三十年から四十年にかけて、写生文は「客観的描写の技法として役に立つと考えられていた」からだ。
しかし、そのような漱石の初期の文学観から、作品を読み解いていたのは、昭和五十年代までの議論に過ぎない、という反論もあるだろう。実際、現在の漱石の「猫」研究において、英米文学との比較は当時よりもさらに進んでいる。ローレンス。スターンの『トリストラム・シャンディー』(「の生涯と意見」一七五九年)から影響を受けているとも考えられていた。
しかし、最近になってスウィフトの『ガリバー旅行記』(一七二六年)からの影響も取り上げられるようになった。猫が人間の言葉を理解し、黒や三毛子などと関わることによって、動物も人と同じように、社会的な空間を持っている。このような部分にのみ特化するものではないが、宮崎かすみもスウィフトからの影響を指摘している。『百年後に漱石を読む』(二○○九年)の「Ⅳ 作家の誕生」においては、「フウイヌム」と「ヤフー」の関係性に着目している。人を家畜として描き、馬を理性的な動物の最たるものとして描くことによって、「人間の愚かさを万人に示してゆく」と、いうスウィフトの批評精神を「猫」の中にも見出している。
その中でも、多々良などが「山の芋」を問題にしないことや、科学の最先端である寒月が、芋を盗んで行く場面がある。近代化してゆく日本のかじ取りを西洋文化、大量生産の実業社会に奪われてゆくことの象徴として、以上の二人が機能している部分があるかもしれない。宮崎もそのことには触れており、女学生と吉原の花活との関係などにも、「文明開化の日本」と「喪失する江戸の文化」の象徴を見出している。ラカンの「ファルス」(男根)を用いて、登場人物それぞれが獲得できない「父性」としての「権力」や「法」、個々人に課せられた「社会的な地位」というものの確立の強要性を指して、近代化してゆく日本国への諷刺や批評精神があったことを、指摘している。
以上のことは、江藤淳の「漱石と現代と私」(一九六六年)の中でも、問題にされている漱石文学の根幹と言っても、過言ではないだろう。江藤がいうように、漱石は生涯の追及すべき問題を、「文学」や、「芸術」を中心に考えていた訳ではなかったようだ。そのような意味で、「ある意味、健康な作家」であり、「終始、胃病と神経衰弱に思い悩んでいた」だけである。しかし、その生活者としての態度が、作品の中で生きていたからこそ、「不思議と漱石の作品は読者を孤独にしない」と、いう江藤の考察の論拠にもなっている。
さらに言うと、「なぜ漱石は孤独だったのか」という問題と、漱石により添われる孤独を持っている我々現代人との関係が、重要なのである。江藤のこの論旨は、漱石が大作家だったとか、天才だったなどという、床屋文学論ではない。漱石が晩年に描いていた市井の人々の生活というのは、「自己本位」にならざるを得ない、「個人主義」の思想を推進していった先に現れる、社会の「象」の一つに過ぎない、ということを示している。つまり、一方で「自己本位」という思想に論拠を置くと同時に、「自己を追及していった先には狂気か、死しかない」という、文学と生活の実際的な問題点を、見据えていたからかもしれないのだ。それなら、『行人』『心』『道草』『明暗』における自我の衝突が、さらに肉感的に描き出されていったことの意味が、わかるようでもある。
どういうつもりで、作品を書いているのかは作者にしかわからないものだろうが、江藤のいう「自己本位にならざるを得ない、個人の描出」というのは、痛切なものである。漱石が現代に届けば届くほど、明治以降の日本社会の流れ、「功利主義」と「資本主義」の中で生きている「個人」の実質が、表出されていることの証明であるのかもしれない。
二
さて、一見すると滑稽劇でしかなく、なんの秩序性もない「猫」の世界観の中も、紙数が増してゆくに従って、暗部が露出されてくる。喜劇の膜に覆われていた裏側は、後半部の独仙と苦沙弥との会話の中にも見出される。「こんなに自覚心が強くって、どうしておだやかになれるものか。なるほどちょっと見るとごくしずかで無事なようだが、御互いの間は非常に苦しいのさ。」(「『吾輩は猫である』十一」)などは、確かに近代を憂う一言であるようだが、まだ穏やかなものだ。議論がさらに白熱化してゆき、読者を置いてけぼりにする瞬間が、このあとの苦沙弥の苦悩と、迷亭の予言にはある。
苦沙弥は、「このまま文明が進んで行ったら嫌だから死にたい。智慧の足りない者はいじめ殺されるから良いが、一癖ある者は世間にいじめ殺されることに満足できない。だから、独創的な自殺をしようとする」と言う。それに対して、迷亭は「その時分は国民は生きてるのが苦痛だから、巡査が慈悲のために打ち殺してくれるのさ。それで殺されたい人間は門口へ張札を出しておくのだね。」(同)という未来社会の廃頽にまで妄想はおよび、しかしそれを独仙は「予言」として肯定している。しかし、苦沙弥の苦悩や、迷停の予言というものは、あくまでも個人的な、根拠のない愁訴に過ぎない。その前後に見られる独仙の「自我の肥大化してゆく個人の苦しみ」に対する批評や、「芸術とは、芸術家と享受者の一致の有無によって成立しているのであって、読むものが無ければ詩など存在しない」(同)などに対しては、鋭いながらも、冷静で客観的な視点が残されている。もちろん、独仙の性格がそうだと言えばそうだが、この理性的な見解の裏側で、苦沙弥や迷亭などが理論的とも言えない私的な「自殺論」を展開している部分は妙に滑稽である。つまり、漱石個人の焦燥感が先走って、表出されている箇所であるかもしれないのだ。
それゆえ、読者は多少とも同意しかね、まごついて考えている間に置いてけぼりを喰らう。この共感することをはねつけている部分というのは、漱石が物語の中でさえも、自己の裏側に隠れて、非常に繊細な暗部について話しているからなのかもしれない。このような、知識人たちの会合のそばで、酔っ払った猫が甕の水に落っこちて死に、物語は終わる。
「滑稽」の中に悲劇を隠し、乱痴気騒ぎをやる横で、「道化」が物語を終わらせる。このような喜劇、笑劇について論じたものに、坂口安吾の「FARCEに就いて」(一九三三年)という批評がある。「ファルスとは、感覚的な世界へ、最も微妙に人間の観念の世界の中に躍り出る妖精であり、もう一歩を踏み外せば本当に意味なし(ナンセンス)へ堕落してしまうが、ファルスとはあらゆるものを肯定しようとするものである。」と、している。
猫は本来この「道化」としての役割を担っていたが、話しが進むに従って「道化」を降りる。それは、最後の死に至る場面だけではなく、苦沙弥たちの観察や批評を離れ、虚勢された車屋の黒に同情的な視線を向けた時や、三毛子との逢瀬に、多少の憐憫を抒情的に描出した時や、ねずみを取ろうと苦心している際に、猫は社会の中の一部として立ち返っている。その瞬間、猫は「異邦人」、「妖精」、「道化」、「観察者」としての視点から離れている。しかし、一方で三毛子の死にも、自己の死にも無関心であり、生死そのものに対して頓着を持っていないよう描出されている。この「死」に対する軽やかな姿勢、自他の生死を問題にしていない視点におよぶとき、猫はまた「道化」の運動へと帰る。
この「日常」の中で、猫の意味と無意味の交互運動が加わることによって、さらに物語は複雑化し、物語が永遠に円環しているかのような錯覚さえ抱かせる。「日常風景」の裏に隠されたこの「狂気」こそ、「猫」の乱痴気騒ぎの背理である。しかし、一貫して独仙などのような理性的な視線が、介入してくることによって「ファルス」という形式にまで、落ち込まない。「ファルス」と言うには真面目であり、「悲劇」と言うにはあまりに無秩序で物語がない、「猫」とはその作品そのものがどこにも属さない「無頼性」を有しているのかもしれない。
また宮崎や相馬の指摘にある通り、苦沙弥や迷亭が漱石の分身であり、猫の視点で客観的に自己を描き出している、という部分は確かにある。しかし、猫の視点さえも漱石のものである時、そこにはじめてスウィフトに似た、風刺、諧謔的な批評精神が現われてくる。おそらく、この猫も漱石の視点を有している。過去の視点から、現在の自己を批評するかのような、「道化」による現在の観察である。そのとき、ほんの少し猫の足が横にずれた時、現れてくるのはフランツ・カフカの『変身』(一九一三年)の世界であるのかもしれない。もちろん、カフカは漱石よりも少し後の作家だが、彼の『変身』の中で見出していた「死」への憧憬が、「猫」の暗部にもある。『変身』の主人公グレーゴルは、虫に変身したあと、両親から忌み嫌われ、唯一世話をしてくれていた妹にも見放され、最後は父親の投擲した石に当たって死んでしまう。
「母という連絡通路を失った時、その子供は世界を論理対象化することによってしか、世界との関係を保つことはできない」(江藤淳)としている。漱石には、「母」との「連絡通路」というものは、ほぼ無かったと言えるだろう。だからといって、一口に猫が漱石だったとは言えない。しかし、それでも「名称性」の消失した猫は、漱石の視点を有していることは確かである。
「猫」に「変身」の過程はない。そのため、猫は「どこで生まれたのかとんと見当もつかぬ」が、「薄暗いところでニャーニャー」と鳴いていたところを、書生に拾われる。しかし、書生は消え、たくさんいた兄弟も消え、母親の姿も隠れてしまう。
「吾輩は藁の上から急に笹原の中へ棄てられ」てしまうのだ。そうして、ようやくたどり着いた苦沙弥家において、猫は一時の安住を得たが、最後には水甕に落ちて死ななければならない。グレーゴルは誰にも愛されずに薄暗いところで死ぬが、猫は死を明るく肯定する「道化」となっている。しかし、両者は態度こそ違えど、抱えている現実は同じものではないだろうか。もし、安吾の指摘するような「無意味」から「意味」に一歩足を踏み出した時、猫は果たしてグレーゴルのようにならないといえるのか。その「滑稽」の裏に隠された、一種の乾いた孤独というものを透かして見たとき、『道草』よりも痛切な「生」への苦悩を見ずにはいられない。
「道化」は仮面をつけて踊る。作品の中で、滑稽化しなければ観察できなかった「現実」を、おそらく漱石は持っていたのだろう。それに思い及んだ時、漱石を代表する作品を上げるとしたら、わたしは迷わず「猫」を上げるだろう。なぜなら、「猫」より乾いた悲しさのある作品など、晩年の中でさえも見たことがないからだ。『道草』や、『明暗』は確かに重く、何十にも仕掛けの構築された世界観は、近代文学を代表するものといえる。しかし、その重い世界の中では、しっとりと湿った暗い関係性や、ある種の「親」への憧憬を見ることはあっても、「乾燥した孤独」はない。「猫」のように、読んでいて愉快になる一方で、胸に迫ってくる焦燥感や、恐怖というものが同居している奇妙な「狂気」は、漱石ならではの「ファルス」の視点といえるのではないだろうか。
参考文献・引用資料
『夏目漱石全集』一から十巻 ちくま文庫 夏目漱石
『決定版 夏目漱石』新潮文庫 江藤淳
『文学と私・戦後と私』新潮文庫 江藤淳
『変身』新潮文庫 フランツ・カフカ
『堕落論・日本文化私観』岩波文庫 坂口安吾
『ガリヴァー旅行記』岩波文庫 スウィフト
『百年後に漱石を読む』株式会社トランスビュー 宮崎かすみ