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市民ケーン 詩5篇

  市街地にて

マスクの中にいる
この世から自分を守ろうとして
マスクの外にある
この世を自分から守ろうとして
(ピル、ハンバーガー、襟付きTシャツ、忘れられたポラロイドカメラ……)
どれをどれだけ憎めば
科学的に正しい自分になれるのだろう
少なくとも
マスクの
中は外
外は中
傷めることに
ほんとうに疲れたよ
(タイプライター、VHS、中国骨董、ねじの無い時計……)
傷めることに
この世も
自分も

   2020.12.9


  夕焼けの中で

馬が走る
これ以上の
あるいは以下の
構文が見つからなくて
団地周辺をさまよった
僕の足取りは重く
ふらふらとして
夕焼けの中で
自分が歩いてきた道さえ
赤いひかりの中に見失う
僕が歩く
馬が走る
——かなしみの共有
   あるいはその幻想

  2020.12.10


  幻影城崩壊

イメージを見たことがないままここまで生きてきてしまった
密室をひたす紫の水に浮かぶ生卵
割れば液状化のロックフェラーがあふれ出す
それはイメージ
じゃない
想像力を駆使しないままやっと今日が終わろうとしている
試験官の家に
三角形の雪だるま
それは想像力
じゃない
あああああああああああああああああ
と叫ぶことの
こと を考えると
そのことをばねにして
今日の夕食を作った
そぼろ肉と大根の煮物
しょう油味がうすくて
それでも僕がここまで生きてきてしまったことの
通奏低音
だと思うから
ああああああああああああああああああ
にも
音程の色がきちんとあるのだった

   2020.12.15


  軟体

ナマコを考えたことがない
瞬間から
ナマコ自体がたちあらわれる
十二月の街がどんな具合なのか
今日は、少なくとも今日は部屋から出なかったから
街の空気を皮膚に感じない
やはり 冷たい空気が密閉されているのだろうか
ふたしかな考えを
たしかなものにするために
今からナマコを考えたい
瞬間から
運河ベリの看板を思い出すけれど
今ここに無いナマコについて
生涯たどり着けない海辺の村について
考えるのは
やはり僕だ
時間は流れない
ただ あらゆる方向から突き刺さってくる
ナマコを刺して
やはり ぶしゅうとした抵抗力が返ってくるのだろうか
十二月を歩かなかった
ナマコがどこにもいない部屋にいて

   2020.12.27


  ランニング・マン

とてもかなしい薬缶がある
そこから
百メートル離れた白樺の根元に
何も埋まっていないから
(例外として、泥土、石、みみず、空缶……)
きびすを返し
百メートルを全力疾走で戻ってきなさい
あなたが見つけたかったもの
あなたが目をそらしたかったもの
宇宙と言ってもいい
庭の涸れた池へ
袖にこびりついた泥濘を
少しこそげ落としてもいいだろう
ここは僕の家だ
疾走に喉が乾いたかい?
薬缶が
とてもかなしい薬缶がここにある
何が入っていないとしても——

  2021.3.5 

#詩 #文芸 #創作 #冬から春へ #論理学

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