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超次元的実戦川柳講座 その5「遠くのあなたからとこちらからの衝撃」
(いつものように緒言。以下の文章は2022年3月19日に行われた伊那市芸術文化講座「現代川柳を学ぼう」の講座を基にしたものになります)
(一部有料記事ですが、単体より定額マガジンのご購入がおとくです。といういつもの宣伝をしたところで、講座、いきます)
こんにちはー。今日は受講者ひとりさまと言うことで、まあリラックスして、雑談がてらいろんな句を見ていきましょうか。
今日は句に用いられる「技法」をいくつか紹介しようと思います。これ、ちゃんと定説になっているのもあれば、私が勝手にそう呼んでいるのもあります(笑)。まあ、覚えおいて損はない技法なんで、また使ってみてください。
①二物衝撃(二物衝迫)
②暗喩
③「ない」
④「〜は〜」(問答体)
⑤「る」で終わる是非
このうち①から。二物衝撃です。読んで字のごとく、二つの、全く位相の異なる「物」を挙げて、それを一句のなかでぶつける。その時に発生するスパークが、この手法のもたらす効果です。もともとは俳句の「季語」に全然関係ない言葉をぶつける手法だったのらしいですが、川柳でも使うようになって、でも川柳には季語、ないから「二物衝迫だ」って言ってるかたもいます。
ちょっと見ていきましょうか。
ふるい帆布 停電の夜の眠り 八上桐子
閣下だったか山葵漬けだったか 石田柊馬
朝方の渚あるいは父の部屋 畑美樹
噛んだ唇たとえば鉱物標本 清水かおり
泣くもんか第三埠頭倉庫前 なかはられいこ
まあ、もっとありますし、これが代表句というわけではないんですが、とりあえず目についたところから。ここでひとつひとつ説明してもいいのだけれど……うーん、時間がないと言うより、これ、説明できないんですね。
説明というか、「何でこの語が選ばれたのか」というアナライズができない。というのも、二物衝撃とは「分析」という秩序を転覆させる手法であるからです。
通常の文章(あるいは詩句)のルールを、破壊するためにあるような技法ですから、法則性で読むことが最初から拒まれているのですよ。
ただ言えることは、「ルール」を破壊するとして、じゃあどう破壊するか? そしてどう創造するか? という問題が出てくるわけです。
まず確認しておきたいのが、二つの「異なる物」をぶつけるからと言って、単なる羅列では詩として成立しない。
そして、二つは離れれば離れただけ効果的です。逆を言うと、「近い」言葉を並べると、それはかえって「羅列」になってしまうんですよ。衝撃がなくなってしまうから。
どう離れるか。これについては、「次元」のずらしがある効果をもたらすと思います。
「ふるい帆布」と「停電の夜の眠り」では、帆布というモノと、眠りというコト——あるいは状態とは、同じ次元の上に立っていないわけです。言葉の遠さですね。
何をもって「遠さ」と呼ぶかということですが、まあ以前この講座で言ったと思うんだけれど、正反対のもの、っていうのは、実は物凄く近いものになってしまうわけです。たとえば猫、はネズミ、をたやすく想起させてしまいますね。これを並べると、羅列になってしまいます。もちろん、それを目指した句なら良いんです。ただ、「二物衝撃」を行うには、「衝撃」を起こすくらいセンセーショナルに離れていたほうがよい。
そこでたとえば「閣下」と「山葵漬け」みたいな立ち位置のずれが要求されるわけです。
おそらくなんだけれど、「二物衝撃」の何が衝撃になるかと言って、「作中主体」のベクトルが衝突するんじゃないかと思っています。
「閣下」と呼ぶ主体は、「相手を閣下と呼ぶ行為を行う主体」であり、それに対して「山葵漬け」と言ってしまう主体は、「これは山葵漬けであると認識する主体」です。だから、句を発話している主体が全く別の位置に立っていて、それがひとつの句の中に同居しているから、読み手はある意味で目眩を起こすことになります。
このあたりの二物の離し方は、最近やってないですが(笑)「二つの言葉を考える」トレーニングでだいぶ養えるんじゃないかと思います。そして、そのトレーニングで「どう離れているか」アナライズしてください、みたいなこともやったと思うんですが、この「どう離れているか」の分析は、たぶん「どう違う次元の上に置いたのか」という分析になると思われます。
そしてですね。この二物を、どのように一句のなかに収めるかです。
ふるい帆布 停電の夜の眠り
みたいに、一字空け(これについても技法のひとつです)で並列させてしまう手がまずあります。これは本当に、ごろん、と転がした感触があるので、上手くやらないと、単なる物を並べただけになってしまう危険性があります。
この「ふるい〜」の句において何が成功しているかと言うと、「ふるい帆布」「停電の夜の眠り」というように、二物に対して情報を加算しているところです。「ふるい」ということで、言葉にベクトルが強化されているのですね。「停電の夜の」についてもそれは同じです。加えられた情報によって、言葉のベクトルが、より目に見えるものとなっているわけです。で、このベクトルの衝突、つまり主体の衝突が、句を句として成り立たせていることになります。
「ふるい」と「停電の夜の」は、ある意味でノスタルジーにおいて通底しているところもあります。だからこそ一句として成立しているところもあるし、「帆布」と「眠り」の次元の立ち方が違うから、「二物衝撃」として成立しているとも言えます。「二物」自体は次元が違う。でもそこに付与された情報によって、ふたつは統合させることもできる。という補完関係を読み取ることもできます。これが二物衝撃のひとつのありかたです。
閣下だったか山葵漬けだったか
朝方の渚あるいは父の部屋
噛んだ唇たとえば鉱物標本
泣くもんか第三埠頭倉庫前
などのように、ブリッジとしての言葉を使う手法ももちろんあります。
「だったか」によって「AだったかBだったか」という探索をする主体の位置が定まっているわけです。(ここで、さっき「主体が衝突している」と言ったことも思い出してください。主体×主体を、さらにメタな主体によって統御しているとも言えます)。
「あるいは」についても、この構造はよく似ています。「あるいは」のほうが、やや主体の位置が後景にある印象は受けますね。「たとえば」になると「たとえている主体」がくっきりとしていますが、句の世界を表現するフィルターとして、クリアに機能しています。
このあたりの選択は、「自分が何を表現したいのか」というそもそもの位置に立ち返ると、わかりやすくなると思います。自分はこの句で何を表現したかったか? という問いかけ。
ちょっと脱線しますが、「自分はこの句で何を表現したかったか」っていう問い、実はすごく難しいと思うんですよ。人間って作るとき、「何でこんなのができたのかわからない」っていう場面のほうが多いと思いますから。特に現代川柳っていうジャンルでは。
そんな時でも、まずその句をつくりはじめた契機ってありますよね。この発想から、あるいはこの単語から広げて行った、みたいな。ですから、その「契機」になるモノ/コトをいかに強力に表現できるか? そのためには何ができるか? というところでいろいろな選択をしてゆくのが良いと思います。そのためには、ポイントを留意しつつ書いて読むのがいちばん効果的かと思います。いやまあ、あんまり気にしないで書く/読むなかでわかってくることでもあるんですが。
話を次の段階に移します。二物衝撃——あ、この言葉は公式の用語なので、堂々と使ってみるとステップアップ感がありますよ——ということで見てきました。
このなかに
泣くもんか第三埠頭倉庫前
がありましたね。これも二物衝撃と言えば言えるんだけれど、やや手触りが違うと思いません?
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