松下幸之助と『経営の技法』#182
8/15 株主と経営者
~株主が会社の主人公なら、経営者は会社の番頭である。~
株主は、自ら会社の主人公であるということを正しく自覚、認識していなければならない。そして経営者に対して言うべきは言い、要望すべきは要望するという、主人公としての態度を毅然として保つことが大事ではないかと思う。たとえ少数株しかもっていない株主であっても、単に株をもって配当を受け取るというだけでなく、会社の主人公たる株主としての権威、見識をもって会社の番頭である経営者を叱咤激励する、ということも大いに望ましいと思うのである。そのようにすれば、経営者としても経営により一層真剣に取り組み、業績をあげ、利益をあげて、それを株主に十分還元しようという気持ちが強くなってくるのではないだろうか。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編刊]/2018年9月)
1.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
ここでは、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
投資家である株主と経営者の関係で見た場合、この両者間の緊張関係を、松下幸之助氏は求めています。
確かに、何も口出ししない株主であれば、経営者は楽です。
けれども、松下幸之助氏は、オーナーが意見を言うことをむしろ推奨しています。
これは、オーナーのために「適切に儲ける」ことをミッションとする経営者として、オーナーの意向を折に触れて把握し、理解し、確認する機会になります。何も言われず、何を求めているのかもわからない状況で、これで良かれと思っていたことが、あとでその基礎から否定されてしまうと、両者に不満が残り、両者の対立が深刻になります。
ところが、厳しい言葉かもしれないが、オーナーの意向を常に把握できていれば、事態が深刻になることを防げます。
このように、オーナーと経営者という、異なる立場の者(「儲ける」という目的は一緒だが、利害は相反する関係)の間で、良好な関係を維持するためには、適切なコミュニケーションが不可欠なのです。
ところで、松下幸之助氏は、株主が主人、経営者を番頭、と例えています。そのうえで、株主自身が経営判断をすべきであるかのようにも、見えます。
もしそうであれば、「所有と経営の分離」しない形態となります。所有者自身が経営することになるからです。
けれども、株主は経営者ではありません。株主は、経営に対して責任を負いませんから、経営者は経営そのものに口を出すべきではありません。もし株主が経営に口出しすれば、株主が経営者の経営判断を評価し、ときに非難することができなくなるからです。
他方、株主は経営者の仕事ぶりを「監督」「監査」「audit」します。
これは、事後的に経営判断の状況や、その遂行状況をチェックすることで、その良し悪しや、改良すべき点を明らかにすることを目的とします。あくまでも事後的なチェックですので、事前の判断や遂行に関与しません。もし、事前の判断や遂行に関与してしまうと、責任を追及できなくなってしまうからです。
したがって、ここで松下幸之助氏が株主に求める関与は、「経営者」としての関与ではなく、「株主」としての関与であり、「経営判断」を一緒にするような関与ではなく、「事後監査」をするような関与です。会社の規模が大きくなり、株主と経営者の役割が分化してくれば、このように「株主」の関与の在り方も慎重に整理する必要があるのです。
2.内部統制(下の正三角形)の問題
次に、社長が率いる会社の内部の問題を考えましょう。
松下幸之助氏は、経営者を「番頭」に例えていますが、私は、経営者の右腕となる役割りの人を「番頭」と位置付けるべきであると考えています(例えば、『経営の技法』の「参謀、番頭、ジェネラルカウンセル」参照)。
これは、経営責任を負う経営者が、その責任を果たしつつ経営判断を行うべき状況から導かれるものです。
すなわち、経営者が会社の活動を通して果たすべきミッションは、「適切に儲ける」ことです。「儲ける」ためには、リスクを避けるのではなく、リスクを取ってチャレンジすることが必要です。しかも、ビジネスとして「適切に」リスクを取るためには、デュープロセスを尽くし、充分に調査や検討を行うことが必要であり、人事を尽くして天命を待つ状態にすることが必要です。
このように、デュープロセスを尽くして決断できる状態に持っていくことを、会社自身が自律的に行われなければなりません。規模が小さい会社であれば、そのような段取りやお膳立ても、経営者自らが指揮し、その後に経営者自ら決断することができるでしょう。
しかし、会社の規模が大きくなってくれば、配慮すべき事項が多くなり、関与する部門や従業員の数も大きくなってしまいますので、段取りやお膳立てだけで時間や手間を取られてしまいます。他方、経営者がじっくりと腹を据えて決断すべき事項も大きくなっていきます。このような状況で、経営者が段取りやお膳立てを自ら行っていては、肝心の決断ができず、あるいは決断を誤ってしまう危険すらあります。
そこで、そのようなお膳立ての役割を「番頭」が担ってくれれば、経営者は重要な事項の「決断」に専念できるのです。
このように、「番頭」は、内部統制上の機能として位置付けるべきであって、松下幸之助氏のようにガバナンス上の機能としないほうが良い、と考えるのです。
2.おわりに
学生時代、気前よく金を出すけれども、応援だけして運営に口を出さないOBが、部活動やサークル活動にとって一番喜ばれるOBで、他方、金は出さないけれども、コーチでもないのにやたらと口を出してくるOBは、煙たがられていました。このことを例えに、株主は口出しをしないのが良い、と力説する経営者がいました。
けれども、学校の部活動やサークル活動は、会社とその存在目的が異なります。
学校の部活動やサークル活動は、参加する学生たちの「福利厚生」を目的にするようなものですが、会社は、株主のために「適切に儲ける」ことを目的にします。つまり、自分たちの為に存在するのではなく、他人の為に存在するのです。
会社を、学校の部活動やサークル活動に例えるのは、一面で、従業員のことを最優先に考えているようにも見えますが、他面で、経営者が自分の会社や自分自身の置かれた立場や責任を理解していない、非常に無責任なことのように思われます。
どう思いますか?
※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。