松下幸之助と『経営の技法』#129
6/23 言うべきを言う
~私的な人情でなすべきことを怠ることなく、信念をもって言うべきを言い叱るべきをを叱る。~
人を使って仕事をしていれば、時には叱ったり、注意したりしなくてはならないこともある。そういうことは、人情としては、されるほうもいやだけれども、するほうだってあまり気持ちのいいものではない。だからついつい面倒だとか、いやなことはしないでおこうということになりかねない。しかし、企業は社会の公器であり、人を使うことも公事であるとなれば、そうした私的な人情でなすべきことを怠るのは許されないということになるだろう。だから、信念をもって言うべきことを言い、叱るべき時には叱るというようになると思う。そこに非常な力強さが生まれてくる。
そのことは同時に、単に私的な感情や利害で人を叱ったり、処遇したりしてはならないということにもなる。もちろん、人間である以上そういうものを絶無にすることは不可能かもしれない。しかしそれだけに一層、常にそうした私の感情にとらわれることのないように心することが大切だと思う。あくまで社会の公器としての企業の使命というものに照らして、何が正しいかということを考えつつ、人を使うように心がけなくてはならない。
(出展:『運命を生かす』~[改訂新版]松下幸之助 成功の金言365~/松下幸之助[著]/PHP研究所[編・刊]/2018年9月)
1.内部統制(下の正三角形)の問題
まず、社長が率いる会社の内部の問題から考えましょう。
ここでは、より一層問題となっているハラスメントです。
注意し、叱り、処遇することが、ハラスメントに該当すると争われる機会が、かつてよりも多くなっています。けれども、パワハラの定義を明らかにした改正法にあるように、「教育指導」の必要性と相当性が無い場合はハラスメントですが、これが認められる場合には、(他の条件も問題になりますが)ハラスメントに該当しません。また、この必要性と相当性の判断は、誤解があるところですが、被害者がハラスメントと思えばハラスメントとなってしまう「主観説」ではなく、一般的な常識に基づいて判断される「客観説」です。
ところが、例えば一部の大学で、教員が学生に対して「ハラスメント」を恐れて強く指導できず、授業が成り立たない「学級崩壊」が発生していることが指摘されています。そして、同じことが会社経営の現場でも起こっているのではないか、そうではなく、必要な教育指導を行えるように「ハラスメント」の定義を明確にすべきではないか、と指摘されています。
これは、ハラスメントの判断基準を現場が誤解している(「客観説」ではなく「主観説」)ことに大きな原因がある、と言われています。普通に注意した程度で、ハラスメントが成立わけではなく、授業を正常にするためにためらわずに必要な注意をすべきなのです。
これが、会社の中で発生すると、管理職者が部下を注意せず、日常の業務の中でやりたい放題にさせておきながら、業務評価や人事考課の中で、その業務態度などに非常識な問題があると厳しい評価をすることが生じます。これでは、従業員も評価を納得できませんから、評価に対する不満が高まりますが、かといって管理職者としても、不満が講じて「ハラスメント」と言われることを恐れ、なおさら普段のコミュニケーションが無くなっていきます。表面的なコミュニケーションしか取れなくなるため、とりあえず業務をこなすことしか行われず、そこから何かを学ぶとか、自分のキャリアをイメージする等の「深み」が出ず、従業員の会社に対する期待値が下がり、ロイヤリティや熱意も下がり、業務効率はギリギリのレベルにとどまってしまいます。
このような悪循環を断ち切るためには、逆に好循環を正しくイメージすることが重要です。
すなわち、ここで松下幸之助氏が言うのは、注意し、叱ることは、嫌なことだがやらねばならない、社会的な使命があってのこと、ということです。そうであれば、「必要性」と「相当性」のうちの「必要性」が認められることは明らかでしょうから(勘違いしていない限り)、その方法が「相当」な範囲にとどまることの判断だけがポイントとなります。
そして、その従業員のためを思って指導するのであれば、いずれ自分のスキルやキャリアのために役に立つと理解し、指導してくれる管理職者への信頼が増します。そうなると、注意や叱責の効果も高まりますので、信頼がさらに深まります。随分と単純化しましたが、好循環はきっとこのようなものになるでしょう。
この両者を見比べた場合、ハラスメントを恐れずにコミュニケーションが取られ、そのうえで指導教育がなされれば、指導教育の効果も期待されるのです。そして、単に業務効率が上がるだけでなく、従業員の能力やロイヤリティが高まっていくことまで期待されるのです。
ハラスメントと非難されることが怖くなった現代こそ、適切な教育指導の行われることが、より重要なのです。
2.ガバナンス(上の逆三角形)の問題
次に、ガバナンス上の問題を検討しましょう。
投資家である株主と経営者の関係で見た場合、管理職者に対して、このように注意や叱責を含む適切な指導教育をさせられることが、重要な資質となります。これは、短期的な業務成績に直ちにはつながらないことばかりですが、従業員の能力向上、ロイヤリティやモチベーションのアップ、職場のコミュニケーション向上による職場環境の向上、など、会社組織の健全性を高めるものです。そして、このような体質改善と体力向上が、会社の業績を中長期的に維持し、高めることに繋がります。
人材管理や人材教育、現場での「指導教育」の在り方などについて、経営者自身の考え方を確認する必要があるでしょう。
3.おわりに
部下を育てることは、とても面倒くさいことですし、例えば自己責任がはっきりしているアメリカなどでは、わざわざ部下を育てたりしないようなイメージがあります。
けれども、実際にアメリカの会社で、新任管理職者向けの研修を傍聴する機会がありましたが、そこでは新任管理職者に対し、部下を指導教育し、自分と同じレベルの後継者をたくさん作って欲しい、ということが様々な切り口から繰り返し強調されていました。
会社を転々としてキャリアをあげることが全てではなく、自分たちの中で育てた後継者こそ、大事な戦力であるという発想は、意外にも、アメリカでも同じなのです。
どう思いますか?
※ 『経営の技法』の観点から、一日一言、日めくりカレンダーのように松下幸之助氏の言葉を読み解きながら、『法と経営学』を学びます。
冒頭の松下幸之助氏の言葉の引用は、①『運命を生かす』から忠実に引用して出展を明示すること、②引用以外の部分が質量共にこの記事の主要な要素であること、③芦原一郎が一切の文責を負うこと、を条件に了解いただきました。