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小林秀雄もすべてを言った④ー『様々なる意匠』にみる「小林秀雄的色彩」ー
小林秀雄は、もともと小説家を目指していたようであり、文芸批評家として出発したあとも小説執筆の試みを続けていたようである。
しかし、『様々なる意匠』のなかで、
「文学の世界に詩人が棲み、小説家が棲んでいる様に、文芸批評家というものが棲んでいる。
詩人にとっては詩を創る事が希いであり、小説家にとっては、小説を創る事が希いである。
では、文芸批評家にとっては文芸批評を書く事が希いであるか?
恐らくこの事実は多くの逆説を孕んでいる」
と冒頭近くにこのように「文芸批評家」であるとは何か、という問いかけを発しており、「小説を創る事が希い」であったはずの自分が、世に出ようとして「批評」を書いていることに、小林秀雄は、自覚を持ち、そうした自覚自体が、「批評的な姿勢」となって表出したのだろう。
それは、「批評家」小林秀雄の目覚めだったのであろう。
小林秀雄自身、『様々なる意匠』のなかで、
「人は様々な可能性を抱いてこの世に生まれて来る。
彼は科学者にもなれたろう、軍人にもなれたろう、小説家にもなれたろう、然し彼は彼以外のものにはなれなかった。
これは驚く可き事実である」
と言ったのだが、このことは、小林秀雄のなかに見出され、作品のなかにも探られる。
小林秀雄は、小説家になりたいという希望を抱えつつも、自己の根底に抜き難い「批評的な姿勢」が在ることを受け入れようとしながら、マルクス主義や他流派、芸術至上主義、写実主義、象徴主義、新感覚派、さらには大衆文芸などさまざまな立場を、身につけられた「意匠」にすぎないものとし、文学をあらためてことばという記号による本質的な表現として本質的に捉え直そうとした論である『様々なる意匠』を「文芸批評家小林秀雄」として書いたように、私には、思われる。
さて、マルクスの唯物史観における「物」が、いわゆる物質としての「物」ではないという小林秀雄のマルクス理解は、1929年という時代背景を考えるならば極めてするどい唯物論的理解であったのではないだろうか。
昭和1929年は、雑誌「改造」の懸賞文芸批評の二席入選作『様々なる意匠』で小林秀雄が文壇デビューしたとしであるが、その時の第一席入選作は後に共産党幹部となる宮本顕治の芥川龍之介論『敗北の美学』であることからも、小林秀雄の周囲の文壇の状況、あるいは、社会状況がどのようであったか推察できるのだろう。
小林秀雄の『様々なる意匠』の中心的なテーマは、当時隆盛を極めていたマルクス主義、あるいはプロレタリア文学への批判であり、小林秀雄が『様々なる意匠』に続けて、「文藝春秋」に連載した『アシルと亀の子』で問題にしていたのも、多くはマルクス主義であり、プロレタリア文学であった。
小林は、それを批判し、否定しようとしたのであるが、小林が絶えずマルクス主義の動向に鋭敏に反応し続けねばならず、マルクス主義との批判、対決を通じて「文芸批評」 を確立していったようである。
小林秀雄の批判は原理論的であるが、小林秀雄の批評が原理論的でなければならなかったのは、マルクス主義という原理的、体系的、実践的な思想と対決するために、小林秀雄自身も、原理的で実践的な思考を展開せざるを得なかったのではないだろうか。
そして、小林秀雄は、単なる「芸術派」ではなく、マルクス主義という思想と対決するために「芸術派」の仮面を必要としただけではないだろうか。
小林秀雄により、「文芸批評」が確立され、「文芸評論家」という新しい文学集団が誕生したのは、マルクス主義という、かつて経験したことのない原理的、体系的、実践的な思想体系に対するひとつの対抗手段としてであったのだろう。
小林秀雄は、「様々なる意匠」のなかで、
「脳細胞から意識を引き出す唯物論も、精神から存在を引き出す観念論も等しく否定したマルクスの唯物史観に於ける『物』とは、飄々たる精神でないことは勿論だが、又固定した物質でもない」
マルクスの唯物史観における「物」とは物質としての物であると思い込んでいる人も少なくなかったようで、例えば、唯物論に対して「唯幻論」を唱えた心理学者の岸田秀は、唯物論の「物」を近代物理学的な意味での物質と理解した上で、そのような意味の唯物論に反対する立場として「唯幻論」を主張したのだ、と『フェティシズムについて』という柄谷行人との対話で言っているようである。
もし、マルクス的唯物論が、小林秀雄的に理解されたような意味での唯物論であったならは、「唯幻論」ということばを用いずとも、唯物論ということばで十分であったはずなのだが、岸田秀は、「唯物論」の物は、いわゆる近代物理学的な意味での「物」であることを疑わなかったようである。
小林秀雄が、そのような誤解をまぬがれ得た理由は、
「物」的な物理学から「場」的な物理学への転換
を知っていたから、ではないだろうか。
そして、小林秀雄の独自のマルクス解釈はそこから始まっているのではないだろうか。
小林秀雄、吉本隆明、柄谷行人といった文芸評論家たちによって理解されたマルクスは、いわゆるマルクス主義者やマルクス研究家たちによって理解されたマルクスとは違い、小林秀雄という文芸評論家の手によるマルクス理解から始まるのだろう。
吉本隆明も柄谷行人も、小林秀雄的に理解されたマルクスを前提にしてそのマルクス論を展開したのである。
柄谷行人はこのことについて『マルクスその可能性の中心』のあとがきのなかで、
「明らかに、小林秀雄は、マルクスのいう商品が、物でも観念でもなく、いわば言葉であること、しかもそれらの『魔力』をとってしまえば、物や観念すなわち『影』しかみあたらないことを語っている。
この省察は今日においても光っている」
と書いている。
このようなマルクス理解が小林秀雄のみに可能であり、この小林秀雄のマルクス解釈を受け継いだのが吉本隆明であり、柄谷行人であるのはなせだろうか。
大正末期から昭和初期にかけて襲ってきた「マルクス主義」 という台風の影響無くして、小林秀雄のマルクス解釈の優位性を語ることは出来ないだろう。
小林秀雄は、マルクス主義と対決する過程で、マルクスを理論家として読むのではなくて、思想家として詠むことにより、マルクス主義の思想的核心に触れることが出来たようである。
小林秀雄は、マルクス主義と全面的に対決せざるを得ない奇妙なめぐりあわせにより、もっとも深い部分でマルクスの影響を受けていたと言ってよいのかもしれない。
無論、その影響とは、小林秀雄の批評文のなかに明示的に読み取れることができるような影響ではなく、決して言語化出来ないような次元での影響であり、文芸評論家小林秀雄を「思想家」たらしめたような次元での影響であっただろう。
単なる哲学家でも、政治学者でも、経済学者でもなく、ひとりの思想家であったマルクスが、ひとりの文芸評論家であった小林秀雄を思想家に鍛え上げたのではないだろうか。
吉本隆明や柄谷行人が、いかに小林秀雄を批判しようと、彼らの思考そのものが、小林秀雄とマルクスの接触によって作り出された小林秀雄的なパラダイムのなかでなされており、彼らの思考もまた、マスクスと小林秀雄の影に覆われているように、私には、思われる。
吉本隆明は、小林秀雄のマルクス解釈について『小林秀雄-その方法』のなかで、
「初期の小林秀雄は、本多秋五も指摘しているように、マルクスもエンゲルスもレーニンもよく詠んでいて、極めて適切に引用していることがわかる。
たとえば『マルクスの悟達』や『文芸評論家の科学性に関する論争』などの批評文は、現在読んでみても、ただ否応なく小林秀雄的な色彩でエンゲルスやレーニンの言葉がよまれているということを除いては、けっしておかしなものではない」
と、ある種のためらいを持ちながらも、小林秀雄のマルクス解釈の正当性を認めているようである。
つまり、吉本隆明は、小林秀雄のマルクス解釈が
「いやおうなく小林秀雄的色彩で」染められていると言っているところに、小林秀雄批判の根拠があるとしているようであるが、私には、小林秀雄のマルクス解釈の正当性の根拠は、むしろそこにたあり、それを取り除いたならば、小林秀雄のマルクス解釈は初めからあり得なかったのではないだろうか。
小林秀雄の小林秀雄たるゆえんは、「小林秀雄的色彩」のなかにあるのであり、私たちは、小林秀雄的色彩とはなにか、を問題にしなければならないのではないだろうか。
吉本隆明は、小林秀雄の方法それ自体に欠陥が在ったというが、私はそう思わないし、むしろ、なぜ小林秀雄の認識が今もなお有効であり続けているのかが、問題であり、私たちが問うべきなのは、その問題ではないだろうか、と思われる。
吉本隆明の小林秀雄批判には、なぜ小林秀雄のマルクス解釈が正確であったのかという問題追及が欠けているようにも、思われる。
小林秀雄のマルクス解釈が正確であり得た理由と、吉本隆明や柄谷行人に影響を与えるような独自のマルクス解釈を達成できた理由は、小林秀雄が批評家であったからであろう。
小林秀雄は、マルクスが直面したであろう思想的な危機を共有できるような思想的極限を生きた批評家であったのではないだろうか。
小林秀雄は、マルクスのテキストのなかに、自分自身の問題を発見し、それを解釈したに過ぎず、小林秀雄にとって、マルクスもまた優れた批評家のひとりだったのかもしれない。
そうであるならば、マルクスを読むことは、小林秀雄には、容易なことであったのかもしれない。
小林秀雄は、ただ、「批評家」であるという自分の感受性に忠実であれば、それでよかったのだから。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。