大岡昇平が『野火』のなかでベルクソンに言及した理由から-大岡昇平と小林秀雄①-
大岡昇平が『野火』のなかで、ベルクソンに言及したのは、「十字架」を通じて、少年期のキリスト教体験を想い起こす場面のすぐあとである。
大岡昇平は、ベルクソンの哲学の記憶理論に拠れば、大岡が戦場で思い起こした少年期の感情も「贋の追想」のひとつになってしまうことを知っており、もし、戦場での想起を肯定するのであれば、まずベルクソンの記憶理論を否定しておかなくてはならないことも知っていた。
それこそが、突然、大岡昇平がベルクソンを持ち出した根本理由であったのだろう。
そして、大岡昇平は、ベルクソンの背後に小林秀雄の存在を想い描いていたように、私には、思われる。
大岡昇平にとってベルクソンを論破することは、「小林秀雄的なもの」を論破することであったはずだからである。
ベルクソンの「贋の追想」については、小林秀雄も「感想」のなかで論じているが、ベルクソンの主張を全面的に受け入れ、それを自分自身の思想として血肉化し、その批評の原理としているようである。
勿論、大岡昇平もまた、長いあいだベルクソン哲学の影響下にあったのだが、ベルクソンの明快な哲学に反感を持ち、言ってしまえば、それを通じて、小林秀雄に対して反感を持っていたようである。
大岡昇平にとって、小林秀雄とは何だったのだろうか。
また、小林秀雄にとって大岡昇平とは何だったのだろうか。
私は、小林秀雄のベルクソン論である『感想』を読んで、『感想』は一種の大岡昇平批判ではないか、と思うことがある。
小林秀雄の未完のベルクソン論である『感想』は、ベルクソンの遺書に関する分析から始まっているが、『感想』は批評家小林秀雄の死への準備をかねた遺書のような作品手間はないだろうか。
大岡昇平の存在は、小林秀雄という孤独な魂にとって、ひとつの慰めであったのかもしれない。
私たちが、小林秀雄のそばに、大岡昇平以外のそのような存在を探すとき、富永太郎と中原中也がそうであったように見えるのだが、彼らはいずれも夭折し、小林秀雄に生涯ついてまわるような存在とはなり得ることはできなかったようである。
後年、大岡昇平が富永太郎と中原中也の研究に全力を費やした理由もまた、そのようなところにも在ったのかもしれない。
大岡昇平の生涯それ自体がそうであったように、大岡昇平の富永太郎や中原中也研究それ自体も、小林秀雄という孤独な魂に対する共感と批判を内包していたといえよう。
これは、河上徹太郎や中村光夫といった小林秀雄周辺の批評家と大岡昇平との違う点でもあろう。
大岡昇平と小林秀雄に共通する問題意識は、思考の原理性、言い換えるならば、理論的な徹底性にあるのだろう。
しかし、同時に、大岡昇平ほど、小林秀雄の批評の弱点を知り抜いていた人もおらず、大岡昇平は、小林秀雄の最もよき理解者であると同時に、最もこわい小林秀雄批判者でもあったのだろう。
しかも、大岡昇平の小林秀雄批判は徹底しており、それは最も根底的な地平でなされたといってよいのかもしれない。
例えば、大岡昇平は、小林秀雄がベルクソン論である『感想』を連載するとすぐに、『小林秀雄の世代』と題する、小林秀雄の『感想』に対する論考を発表しているのだが、小林秀雄のベルクソン論による『感想』に対して、真っ向から論評を加えたのは大岡昇平だけだったように、私には、思われる。
小林秀雄について語る人は多いが、大岡昇平ほど、小林秀雄が『感想』で提出したような問題を真っ向から受け止めた人はいないのではないだろうか。
そして、それはおそらく、小林秀雄の持っている原理的な思考に対する関心が、大岡昇平以外の人には欠如しているからであろう。
大岡昇平のなかに、哲学的、原理論的な志向性が、既に在ったからこそ、小林秀雄のなかの哲学的、原理論的な志向性に目を向けることができたのであろう。
大岡昇平の『小林秀雄の世代』を読むと、大岡の哲学的、原理論的な志向性は、従兄弟の大岡洋吉によって育まれたことが解る。
大岡昇平は、大岡洋吉から多くのものを教わったようである。
大岡洋吉は大岡昇平に、大正7年創刊の童話雑誌『赤い鳥』に童謡を投稿するように薦め、詩作を「手に取るようにして教えてくれた」ようである。
府立一中の5年生の大岡洋吉は、小学校5年生の大岡昇平少年にいわせれば「神様みたいなものだった」ようであり、以後、昇平はこの7歳年上の従兄弟の後を突いて歩いていたようである。
大岡昇平は、
「僕の文学的青春は、昭和三年の二月、小林秀雄に会った時から始まる」と言っているが、大岡昇平は、小林秀雄と出会う前に大岡洋吉の手助けによって、ある程度の文学的、思想的な主体性を確立しており、小林秀雄との出会によって、突然、文学的に開眼したわけではないだろう。
大岡昇平が、小林秀雄と多くの問題を共有しながらも、微妙な対立を示したのは、このようなところにも原因のひとつがあるのだろう。
大岡昇平は、
「洋吉さんの教養は広かったが、音楽はなかった」と大岡洋吉の影響下から、小林秀雄の影響下へ転じたとき、何ものかを失い、そして何ものかを得たようである。
素朴実在論的な大岡洋吉の下を離れ、認識批判を武器に、あらゆる形而上学の批判を目指していた小林秀雄の下へ行ったのだが、大岡昇平はこの転換を本当に突き詰めて考えたのは、のちのフィリピンの戦場においてであったようである。
戦争という極限の体験によって、大岡昇平は、「小林秀雄的なもの」、つまり「批評」に本当に直面したのである。
そのとき、大岡昇平の前に現れたのは、小林秀雄と出会う前の大岡昇平の姿であった。
冒頭でも触れたが、大岡昇平は『野火』のなかで、小さな村の会堂に「十字架」を発見したときのことについて、
「しかし私はその十字架から目を離すことが出来なかった。(中略)
十字架は、私に馴染みのないものではなかった。
私は生まれた時、日本の津々浦々は既にこの異国の宗教の象徴を持っていた。
私はまず好奇心からそれに近づき、次いでそのロマンチックな教義に心酔したが、その後私の積んだ教養はどんな宗教も否定するものであり、私の青年期は『方法』によって、その少年期の迷蒙を排除することに費やされた」
と書いている。
大岡昇平は、小林秀雄と出会う以前、キリスト教を信仰していた時期が在るが、大岡が、
「私の青年期は、『方法』によって、その少年期の迷蒙を排除することに費やされた」という部分は、大岡昇平のなかの小林秀雄的体験を指しているのだろう。
大岡昇平は、小林秀雄を知ることにより、大岡洋吉を捨て、キリスト教を捨てた。
それは、徹底した実体論の批判であり、宗教批判でもあったようである。
大岡洋吉とキリスト教は必ずしも共通しているわけではないが、大岡昇平の裡に在っては、「小林秀雄的なもの」に対立するものとして共通の価値を持っており、『野火』のなかの「十字架」は、「小林秀雄的なもの」に対立するものの象徴だといってよいだろう。
すでに批判し尽くし、捨ててしまったはずの「十字架」から目を離せなかったのは、大岡昇平が、小林秀雄的な批評の本質に、観念的にではなく、現実的、具体的な次元で直面したからではないだろうか。
そして、大岡昇平は、
「少年期の思想が果たして迷蒙であったかどうか、改めて反省して見た」のであり、もしそれが、すべて未熟な混乱の結果に過ぎなかったとすれば、今更、戦場のなかで、少年期の迷蒙に心を動かされることはないはすであっただろう。
しかし、遠くに見える「十字架」から目を離せな現実は、否定できないのである。
大岡昇平の小説は、『俘虜記』も、『野火』も徹底して考える小説であるが、その考える対象は、「小林秀雄的なもの」、つまり「批評」であったようにも見える。
大岡昇平は、戦場という極限の状況のなかで、批評を具体的に検証し、その本質を解明し続けたのではないだろうか。
小林秀雄と大岡昇平との微妙な差異は、ふたりのベルクソンに対する態度のなかにも、表れている。
小林秀雄が、ベルクソン哲学を全面的に受け入れ、それを思考の原点に据えているのに対して、大岡昇平は、ベルクソン哲学に多大の関心を示しながらも、それを全面的に受け入れているわけではなく、むしろ、最終的には、ベルクソン哲学と根本的に対立しているようである。
『野火』のなかで、大岡昇平は、ベルクソンの「贋の追想」に言及し、「私はかねてベルクソンの明快な哲学に反感を持っていた」と述べている。
大岡昇平が『野火』のなかで語るベルクソンによる「贋の追想」とは
「絶えず現在を記憶の中へ追い込みながら進む生命が、疲労、あるいは虚脱によって、不意に前進を止める時、記憶だけ自動的に意識により先に出るために起こる現象」であるようである。
大岡昇平は、このベルクソンの考え方に反対する。
もし、ベルクソンの記憶理論を受け入れるならば、大岡が、今、戦場で、敗残兵として、思考する内容は、すべて、疲労と虚脱による幻想ということになってしまうからである。
だからこそ、大岡昇平は、現在の感覚の内部に原因を探した。
つまり、今、そこに生きているという現実の肯定からこの問題を解釈したのである。
その結果、大岡昇平は、
「未来に繰り返す希望のない常態におかれた」とき、今行っていることをもういちど行いたいという繰り返しの願望が生命のなかに生まれるからではないか、と考え、「今生きていることを肯定」したのであろう。
言い換えるならば、今、戦場で考えていることは、疲労と虚脱による異常な思考ではない、ということであったのだろう。
ここまで、読んで下さり、ありがとうございます。
次回も、続きで描いていきたいと思います😊
今日も、頑張り過ぎず、頑張りたいですね。
では、また、次回。
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