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夕方の長い5分【掌編小説】

雨を聴く時間。
毎日、決まった時間に雨が降る。夕方の4時から5時の1時間。

街の雑踏は、3時59分には、第一楽章が終わり息を潜めながら次の指示を待つオーケストラのように、静かで礼儀正しい。

誰もが手を止め、建物に入り、窓越しに雨の音を聴く。それが安全だからだ。

雨は、亡くなった人の声を、雨音のしらべにのせて大切な人たちに届ける役割を担っている。
それにより、人は死を迎えたとき、雨の一部となって大切な人たちに別れを告げることができるのだ。

一方で、その声が届けられたとき、愛する人を求めて、雨の中へと飛び出してしまう人たちもいる。
雨に濡れてしまうその行為は、灼熱の中で為す術もなく溶けるアイスクリームのように、心や体が雨と混ざり合うことに無抵抗になる。つまり、心や体、命までもが奪われることを意味する。
雨が降る時間に外出することを禁じているのは、そのためである。


3時55分。
私は1階の傘屋をクローズさせ、螺旋階段を上り、2階の工房へと向かった。
2階では手作業で傘作りをしている。私は傘屋の店主兼傘職人。傘屋といっても、雨傘はもう作っていない。日傘専門である。

工房の南側の窓辺には、すでに車椅子を寄せて座る妹がいた。
「今日はどんな音かしらね」
声をひそめながらも、ゆっくりと美しいアクセントで発音する妹。深く同情するような、憂いを帯びた顔を私に向ける。
あの日以来、妹の美しさは完璧になった。姉の私でも見惚れてしまうことがあるくらいに。
少し気の強いところもあるが、周りを思いやる心根の優しい妹だ。


4時00分。
雨が降り出した。
今日の雨は、トライアングルのミュート音のような、鈍く、曇った音だった。何度鳴らしても本来の美しい響きが再現できない、そんなもどかしさまでも伝わってくるような、切なく美しい音色だった。

私は夫のことを想う。
戦場にいる夫。
無事に帰ってきてほしい。
今朝も連絡があったのだから大丈夫、雨の中に彼の声が聴こえるはずがない、と自分に言い聞かせるが、不安は拭えない。
私にできるのは、祈ることだけ。
無力である。

妹の婚約者は、2年前に戦死した。
その日の夕方の雨で、妹は彼の死を知った。あの人の声だ、と悲鳴に近い叫び声をあげ、窓を開け、そのあと外へ出ようとした。
引き止める私の腕を振り切って、傘をさしていれば大丈夫。少しだけでいいの! と言い放って出て行った。

婚約者の声を含んだ雨は、たちまち妹の周りに水たまりを作り、妹を足元から濡らしていった。妹は涙を流し、恍惚とした表情を浮かべていたのを覚えている。
しかし、私が雨具を身につけ外に出たときには、すでに彼女の足は機能を失いつつあった。


4時50分。
雨の音に妹の声が混じった。
一瞬、雨の中から妹の声が聴こえたのかと錯覚し、息が詰まった。

「お義兄様はご無事そうね。良かった。でも、もしお義兄様が雨となっていらしたら、あの傘とレインブーツを使うといいわね。そうしたら足を失うことはないもの」と、妹は独り言のようにつぶやき、折れて修理をしていない雨傘と、子どもの頃に履いていた古いレインブーツを指差した。

妹らしくない言動だったので、私は困惑した。
もしかして妹の心は、あの日からあの傘のように折れたままなのかもしれない、と思い至る。
私は妹の肩に手を置き、一緒に窓の外を眺めた。


4時55分。
あと5分で、雨は上がる。
私は祈りを捧げる。
夫のため。
妹のために。
そして、理不尽な死が一つでも減ることを願って。


5時00分。
雨上がりの空は、街を温かい夕焼け色に染めようとし始め、人々はオーケストラのように、一斉に生命の音を奏で始めた。

「雨、上がったね。この雨は、恵みの雨なんだよね、お姉ちゃん」
「そうね」

私は折れたままにしていた傘を、修復しようと決めた。







〈了〉

©️2024 ume15

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