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2つの世界を2倍速で生きる【初めての短編小説】

子どもができなかった私は、その年、保険適用となった「卵」を育てることにした。

サリは卵から生まれてきたが、れっきとした人間の子。
けれども、たった1つだけ、私たちと異なる点がある。それは、老化のスピード。

卵の子は倍の速度で成長し、老化する。


***


病院で卵を受け取ったとき、空っぽと知らず大きな箱を持ち上げたときみたいに、拍子抜けするくらいあなたは軽くて、この中に私たちの赤ちゃんが本当にいるの? と不安だった。
それにね、もし落としたら、と考えると手が震えてしまって、連れて帰るためのポータブル孵卵器へと移し替える作業に手間取ったのを覚えている。パパも珍しいほど緊張していたのよ。
実際は頑丈な殻で覆われているから、平気なんだけれどね。

『まさか、落としたりはしなかったよね?』

大丈夫よ。大切に扱ったもの。
でもそれは、1カ月もすると、両手のひらにずっしりと「命の重み」のようなものが伴ってきたの。この頃かな、母親になれるんだ、と実感できたのは。

『なるほどねぇ』

外出するときは、専用の抱っこひもにあなたとポータブル孵卵器をセットして、その上から洋服を着るの。そうすると、妊婦さんみたいになれるのよ。うれしかった。憧れだったから。

『初めて聞く話。そのときのママを見てみたいなぁ』

ふふ。見たい? じゃあ、それはまた明日。
で、家にいるときはね、孵卵器の前でパパといつも陣取り合戦になっていたの。サリに早く会いたい、サリと話がしたい、ただそれだけだったなぁ。

そうそう、あなたを受け取りに行った日にね、病院で「卵と4カ月間の過ごし方」「孵化について」「孵卵器の使い方」という取扱説明書を渡され、みっちりレクチャーを受けさせられたのね。
前にも話したけれど、卵の期間は5カ月間で、そのうち安定期に入るまでの1カ月間は病院に預けたままだから、実質、卵のサリと私たちとが一緒に過ごしたのは4カ月間。
でね、その説明書の中に「卵から生まれる子は、孵化後に初めて見た者を親と認識する」というのがあって、まるで鳥のヒナみたいでしょう。可愛らしいけれど、これが一番不安だった。もしパパとママのどちらかしか認識できなかったり、体調が急変して処置をしてくださるドクターやナースを親だと思ったり、どちらも可能性はゼロではない、と聞いていたから。

『それは最悪の展開よね』

そうなのよ。
そして、いよいよ予定日がきた。
晩夏だというのに、真夏のような太陽が照りつけて、私たち3人の影をアスファルトに転写するような強い日差しの日だった。

あなたを病院に連れて行き、ドクターらが別室で見守るなか、私たちは孵卵器の前に座り、あなたが出てくる兆候を見逃すまいと息を止めてその時を待った。孵化が近づくと、殻は薄くなって溶け出すの。
サリの体の一部が見えた瞬間、私たちは急いで、目や口や耳に溶け出した殻が入らないよう体をきれいに拭き取り、あなたをそっと抱えてベッドに寝かせた。
するとあなたは、まるで元気よく自己紹介するかのような産声をあげたのよ。

『サリでーす、って感じ?』

もう! サリったら。
私たちはひとまず産声を聞いて安堵した。
そして呼吸を整え、次なる任務、そう、あなたの顔のそばに自分たちの顔を近づけて、私たちが親であることを知らせた。
あなたが誕生したうれしさや感動で、私たちは泣きながら、厳密に言うと涙だけでなく、鼻水や汗などの液体にまみれながら、あなたと向き合った。なんとも情けなくて頼りない親の姿だったと思うわ。
でも、無事、親認定はしてもらえたみたいね。

『そのつもりですよぉ』

まったく。まぁ、いいわ。
成長が速いあなたは、生後1カ月くらいで声を出して笑ったのよ。数カ月後にはハイハイをして、言葉を話すのも早かった。
最初の一言は「ママ」だった。絶対にね。けれど、パパに言わせると「ンパッパ、ンパッパ」は「パパ」のことだから僕の方が先だ、と今でも絶対に譲らない。
この話になると必ずケンカになるのは知っているでしょう? あなたへの愛情を競い合う幸せなバトルだけどね。

『同時だったのでは? パマパマとか?』

それ、面白いけど却下。絶対に「ママ」です。
そういえば、学校に通い始める前、あなたは昔流行っていたランドセルが欲しいと駄々をこねたのを覚えている?

『そんなこともあったね』

あの時代、学校にはセキュリティがしっかりとしたロッカーがあったし、そもそも持って行くものなんてほとんどなかったのよ。
あなたは空っぽのランドセルに夢をたくさん詰め込んで、代わりにたくさんの思い出を持ち帰っていたのかもしれないね。

サリは小さい頃から、とにかく好奇心が旺盛で、何にでも挑戦したがる子だった。それがまた、失敗しても、なぜだろうって顔をして、周りの評価をまったく気にしないの。
頼もしいというか、目が離せないというか、いずれにしても、私たちの遺伝子から生まれたとは思えないくらい、聡明で利発な子だった。
今も昔も自慢の娘よ。

『そうこなくっちゃ。ありがと』

就職した時のことは覚えてる?

『ん? 何の話?』

AIプログラマの職に就いたサリは、好きな場所からバーチャルオフィスへ、アバターを使って出勤するのが一般的だったでしょう?
それなのに、あなたは祖父母の頃の通勤を体験したいと言って、休みの日に鉄道博物館まで行き、満員電車を体験していたのよ。
サリはいつも「これは何のためだったの?」と不思議そうにしていた。「一種のエンターテイメントかな。でも、これが日常なら、異様な感じがする」と言いながらも、毎週通うほどのお気に入りだった。

『バーチャルでは今も、列車の旅によく出かけるわよ』

そう。相変わらずなのね。
あの頃サリは「私はこの世界で誕生して、この世界で呼吸をして生きているのだから、リアルはとても大事」と口癖のように言っていた。
あの時代はまだ、リアルとバーチャルは別もので、その言葉のあいだには境界線が引かれていた印象よね。

『そうだったね。世の中、変化してるんだなぁ』

働き出してからは、アバターのおかげで年齢のことを気にせず生きられるのではないか、とママたちは内心ホッとしていた。
卵から生まれた子どもは少数派だったし、人よりも速く成長する体を持つという点では、やっぱり偏見の目もあったと思う。あなたは何も言わなかったけれど。
不自由をかけてごめんね。

『いつも言っているでしょう。私は全然気にしていない』

ありがとう。
忘れてた! このあいだ還暦パーティーの動画を見つけたの。そのダイジェスト版を作ってみました。見る? 10年前よ。サリも私も60歳。
サリとじゃなければできなかった貴重な体験。年齢差のない親子。不思議な感覚だったなぁ。60歳になるのが楽しみでしかたなかった。
あ、動画、共有するね。

『はーい』

覚えてる?  当日、お互いのアバター用に、赤いものをプレゼントしあうという約束で、これこれ、サリは赤いマキシ丈のボリュームのあるスカートをママに、ママはリネン風のノースリーブワンピースをサリに贈ったのよ。
この、大粒で中まで真っ赤な苺を使ったケーキは、パパが実際に焼いてくれたもの。パティシエのパパが作るケーキは、やっぱり見た目も味も絶品よねぇ。
この日は家中どこへ行っても、苺の甘酸っぱい香りが漂っていた。美味しそうな香りがたまらなくて、2人でこっそりつまみ食いをしていたら、「お嬢様方、そのくらいにしてもらえませんか?」って、パパが背後で仁王立ちしていたのよね。本当にびっくりして、苺を丸呑みしちゃったの。私が涙目になったのを見て、パパが大笑いしていた。楽しかったな。

『あのケーキは美味しかったなぁ。パパは誕生日に必ずケーキを焼いてくれてた』

そうよね。
本日の誕生日ケーキは、ママが焼いてみました。じゃーん。
あらためて、80歳の誕生日おめでとう。ハッピーバースデー!

『ありがとう。ずいぶん、なんというか、素朴なケーキ?』

あらら、失礼ね。最近の料理は誰が作っても失敗知らずだから、味は問題ないわよ。見た目に個性は出るけれど。
これはね、マスカットクリームで描いた数字の8で、その内側には苺の……。

『サリちゃん、おめでとう! 愛してるよ』

『あ、パパ!』

『こっちでもプレゼントを用意して待っているからね』

『ありがとう。楽しみにしてる』

『ママも一緒に来てね』

はい、あとで行きます。

サリの80歳の誕生日を一緒に迎えられて、ママは幸せ。あ、これはうれし涙よ。

『ママ……、大好きだよ』


***


私は今日も、カプセルの中で横たわるサリに声をかけ続けていた。
数カ月前からサリは、卵から生まれた者特有の、老化のスピードが突然加速するという病に罹患したため、カプセルに入って酸素濃度など適正に保つよう管理されていた。

サリは人生の最期は、リアルの世界で過ごしたいと主張した。今の時代、バーチャルの世界で息を引き取るのが一般的であるにもかかわらず。

最近では技術が進み、リアルとバーチャルの区別がつかないことが多くなってきている。
専用のカプセルの中で体調をコントロールし、希望すれば栄養補給と排泄の管理も任せられる。そうして完全にバーチャルの世界だけで余生を過ごせるのだ。
その方が死の恐怖や不自由さを感じることなく、たとえ寝たきりになっても、意志さえあれば自分のアバターを操作することもできるため、これまでと変わらない日常が送れる。
最期はまるで眠るように、生と死の境界すら意識せずに、息を引き取ることも可能だ。
今では病気でなくとも、自らが望む方法の尊厳死を選べる。寿命のある人間に平等に与えられた権利だ。

でもサリは、昔ながらのリアル、いわゆる「レトロリアル」にこだわった。
カプセルの中で体調は管理されているものの、リアルの世界で生きている。点滴やチューブが増えるたびに、生きていることが実感できる、と笑った。
しかしここ数日は、直接、声を発しての会話ができなくなっていた。

私は当時、夫と私の遺伝子情報を書き込んだiES細胞と、特殊なタンパク質などを培養して作り出した組織を、胎盤の代わりとなる特別な卵に着床させる、という新しい技術によって、サリを授かることができた。
生まれてくる子の性別は選べないし、もし誕生前に卵を放棄すれば殺人罪に問われる。
また、死後は研究のため解剖に協力するよう求められるなど、制約が多い。
一番悩んだのが、老化のスピードが速いという体質をあなたに課してまで誕生させて良いのか、という問題だった。

今日では、その技術が画期的な進歩を遂げ、不妊は過去のものになりつつある。卵を使わなくても自然に妊娠できるようになったのだ。
一方、卵の技術は、パートナーが同性同士のカップルなどを対象に継承されている。

近頃は、「リアル」という言葉の使われ方も変わってきているらしい。
バーチャル世界のリアル化が進み、パラダイムシフトが起きているのだ。バーチャルの世界の方が「本物」という解釈が多数を占めつつある。
それに対し、以前の現実世界のことは「レトロリアル」と呼ばれ、区別されるようになった。


***


ピピー、ピピー。

カプセルからの警報音が私の耳に響く。AIホームドクターによる状況説明とともに鳴り響いた。
私はすぐに、サリのカプセルのロックを解除した。
サリ。
大丈夫よ。
ママはここよ。
ほら、手を握ってみて。

ピーーー。

サリ!
サリ!
お願い、目を開けて……。

耳元でサリの落ち着きのある声が聞こえてきた。

サリ?
ママの声が聞こえるの?

『パパとママへ。これを聞いているということは、私は寿命をまっとうしたのね。寂しいだろうけれど、悲しまないで。私は幸せだったのだから。死は現実のもの。それは、私がこの世界で生きていた、という証。つまり、パパとママの子どもに生まれてきた、ということ。私の体の中にある時計は、世の中の時計と進む速度が違う、そう初めて聞かされた時はショックだったけれど、その分、子どもの頃から時間は有限だということを意識して生きてこられた。このことは私の人生を、パパやママが想像できないくらい豊かにしたのよ。ありがとう。だから、悲しまないで。心から愛してるよ』

サリの声。年を重ねるごとに美しさが増していったサリの笑顔。
心肺が停止し、AIホームドクターが死亡を確認すると再生するよう指示されていた、動画メッセージだった。
私はサリの、まだ温かい手を握りながら、何度も再生した。


***


さまざまな記憶と感情が、速度を上げて、何の秩序もなく脳裏を駆け巡り、私は少しのあいだ茫然としていたに違いない。
が、ふと、私はサリの一生を見届けることができたのだ、とごちゃごちゃになった思考を押しのけて、その事実に気づく。
今は悲しい。きっと明日もあさっても、ずっと。けれど、サリを見送ることができた。これは、私が望んでいたことではないか。

私にはうしろめたさがあった。娘の寿命が普通の人間より短いことに。
だからこそ、サリの「生と死」の両方をこの目で見届けたいと強く望んでいた。それを思い出した私は、少しだけ落ち着きを取り戻し、夫に知らせなくては、と思い立つ。
私は腕に貼ったパッチ型デバイスをタップし、パパにサリのメッセージを送信した。

私はサリの隣にある、もう1つのカプセルに目をやった。入っているのは愛する夫だ。
夫は私よりずっと年上で、難病を患っていたため、半年前にカプセルの中で過ごすことを決めた。体以外はもうこの世界にいない。
夫に抱きしめてもらいたいなら、悲しみを一緒に分かち合いたいなら、バーチャル空間まで会いに行くしかない。

これが現実。
リアルの世界の出来事。
本当?
あなたはその世界で生きている、と言い切れる?
ここは「リアルな」バーチャルなのでは?
現実と仮想、本物と偽物、その融合と乖離。見分けられないのに、それらに意味が? 

リアルとバーチャルの狭間の世代である私は、どちらの世界も知っている。そのせいか、ちょっとした融合のズレみたいなものに、どうしても神経質になる。
しかし若い世代は、リアルとバーチャルの違いとか、私たちが感じるような疑問や垣根もないのだろう。
そもそも、そんなことを気にしない方が生きやすいし、またそうしないと、きっとこの矛盾や違和感に耐えられない人間が出てくる。だから、みな順応する。いや、順応するように作られているのだ。そして、順応したものだけが生き残るのか。

もし、映像を直接網膜に映し出すコンタクトレンズや、耳の一部のように見えるイヤホンなど、これらのデバイスを外したらどうなるのだろう、とときどき考える。
私の場合、すべて後付けなので簡単に外すことはできる。とはいえ、不便になるのは間違いない。目や耳の衰えを補い、使い勝手も良くなるようカスタマイズしているからだ。
人は便利さ、快適さを手に入れると、もう元には戻りたくない。そしてさらに、その先にあるものを貪欲に求め続ける。
自分を取り巻く環境の変化に、初めは多少の抵抗はするものの、知らず知らずのうちに馴染んでいき、最終的には享受しながら生きている。
でも、私にとって最も大事なのは家族との時間。パパと出会い、サリが生まれた。これは奇跡といってもよい。だから、プライベートにおいて、更なる便利さ、快適さの追求は二の次だった。

サリが生まれてきたのは紛れもない事実。
予定日のあの日、病院へ向かう途中に感じた、外気の湿り気と熱風、卵を抱えた私の体温が上昇する感覚、流れる汗、脈拍の強さ、緊張感と同時に覚える高揚感、今でも鮮明に思い出せる。
サリが誕生したとき、私たちはこの手であなたを抱き上げた。温かくて不安なほどに柔らかだった。あなたのことを守るべき対象だと本能が判断した瞬間だった。

あの記憶は絶対に本物。
だって、あの時代はみな、リアルの世界で生きていたのだから。

サリは80歳まで生きた。
私たちには、40年間分のサリとの思い出がある。

そして今日、愛するサリが死んだ。
これも事実だ……。


***


私はサリを授かってから亡くなるまでの40年間、「日記」を欠かさずつけていた。コンタクトレンズの録画機能を利用して撮った動画を、AIに編集させ、数十分程度にまとめる。そこに、その日の出来事や私が感じたことを音声や文章で記録するタイプの日記だ。

サリが死んだあの年、パパもあとを追うように亡くなり、私は寂しさや喪失感を埋めるため、その40年間分の日記を、自分の寿命も考えて、1日に2日分のペースで見ることを決めた。

見るときは、右目のコンタクトレンズはデフォルトモードにして、左目のコンタクトレンズのみを使って日記を再生する。そうすると、まるで家の中にパパとサリが一緒にいるみたいに感じられるのだ。

気がつけば、40年間分の日記の再生も、今日で終わり。最後に日記をつけたのは、サリが亡くなった日。あれから20年が経った。

私はときどき、パパが残してくれたレシピを参考にして、還暦パーティーで食べたあの苺のケーキを作っている。
今日もそのケーキを焼き、テーブルにセットしてから、最後の日の日記を再生した。そして、2人に話しかけた。

「サリ。パパ。今ではママも上手に焼けるようになったのよ。味も見た目もパパ並みに美味しいケーキ。これはバーチャルではなく、本物よ。ほら、家中に苺の甘酸っぱい香りが広がっているでしょう? もう『素朴なケーキ』とは言わせませんよ」

私は医療や技術の進歩により、90歳になっても、心身ともに健康である。
後付けしていたデバイスも利便性を考え、体内に埋め込み、機能が低下した臓器は定期的にリフレッシュしている。また、人工の筋肉シートも愛用中だ。
おかげで、リアルでもバーチャルでも自由に街中を闊歩している。

長く生きてきて、やっとわかったことがある。
私たちが生きてきた2つの世界は、どちらも「本物」だった。
そして、私は実在していた。








〈完〉

©️2024 ume15

お読みくださりありがとうございます。

こちらの作品は、2022年に書いたものです。
初めて挑戦した短編小説は、自分の記憶力と集中力の無さに絶望しながら、何度も読み直して書き上げていったのを覚えています。

久しぶりに読み返すと、私はいったい何を言いたかったのか、という疑問を抱かずにはいられない箇所が多分にありますが、昨年より「ま、どうにかなるかぁ」を口癖の上位3位に格上げしましたので、当拙作を公開することにしました。

貴重な時間をありがとうございました ♪


口癖の格上げについては、こちらの記事の「言い訳」をご参照ください。

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