ひまわりみたいな恋愛だった

今日の0時頃失恋した。

どうしても付き合っていた時の記憶を一つでも多く覚えておきたかったからまだ記憶が新しいうちにこの文を書こうと思う。

彼は(以後i君と呼ぶ)初恋の相手だった。これまでも好きな人はいたし、付き合っていた人もいた。でもこんなにもひとりの人間のことを愛し、向き合って、いいところも悪いところも全部ひっくるめて好きになったのは初めてだった。だからこんなにも完全なる失恋をしたのも初めてだった。

i君に一昨日電話して、すでに別れる前触れのような話をしていた。ちょうど一か月前から「正直気持ちも離れた」と言われていてその延長線上の話。その時からもどんどん私から遠くなっていっているような気がしていて、私から聞いた。もしかしたら、気持ちが離れているわけない、そんなことないと言ってくれるのではないかという希望(願望)があって聞いた。ここ一か月、私から離れていっている気がして不安で悲しかったけれど、でも本当にそうであってほしくなくて自分に言い聞かせてた。一回離れてしまったものはなかなか戻すことはできないと思っていたものの、どうにかまたあの楽しかった時のようにi君が私のことを好きにでいてくれるという希望があって頑張った。最近頑張らんrを見て気持ちが離れていってしまったと言われたから、勉強をひたすら頑張った。i君と釣り合うひとになる顔つきになろうと頑張った。

一昨日の電話では気持ちが離れたとは言われたのに、別れようとは言ってこず、なぜかドライブに行こうと言われた。電話の口調はいつもより明るく、暗い雰囲気にしないようにしようという気持ちが伝わってきた。どういうテンションでいけばいいんって聞いたら、「いつも通りで!」って言われた。「別れ話の体で?」って直球に聞いたら、つっかえた後「いや、うん」と小声で言ってきた。あっちの意思は固まっていないと気づいた。当日のラインも、珍しく仲が良かった時みたいに、レア猫を見つけるアプリのスクショなどくだらない文を送ってきた。相手の意思が固まりきれていないことと、ラインが以前のように楽しかったから、また淡い期待を抱きながらドライブに行った。

ドライブコースは、私がおすすめの星空が見れる海と地元で定番の夜景を見に行った。いつもと変りなく車内に入っておしゃべりしてふざけた。最初、常に金欠のi君が珍しく「スシローか浜ぶらせん?」ってご飯食べに行こうって言ってきた。それと、いつものくだらない写真を撮りたいというときに、「撮ってもらいたいんよね」って第三者に対していっていた。やっぱり最後だからかなとはふと思った。

星空はプラネタリウムみたいで綺麗だった。二人とも感激して付き合ってすぐの時みたいだった。二人で北極星はあれであってほしいとかテキトーに何座か言ってた。オリオン座の三つの線のうち、真ん中のものはすでに消滅していて、70年後には見えなくなるって教えてくれた。やっぱり物知りだなーと感心して、やっぱり好きだなとも思った。それで、この後地元の定番の夜景に行こうっていう話になった。後輩二人つれて、四人で言ったこともあった。その時に事を言われて、私は意外にも「そんなこともあったなー」といった。自分でも意外だった。夏の終わりの感じがするねっていう話と私の口から出たさいごを匂わせる言葉が別れを近くに感じさせた。お腹すいたってずっと言っていたから、「泳いでコンビニ行ってくるわ、バシャバシャ」、「しかも帰ってくるとき塩もついてくるけん」と言っていつものようにふざけていた。私も「もしかしたら帰ってくるとき海苔がついてきとるかもね」って言ったら、「もしかしたら、たらこもついてくるかも」って返してきた。「いや、解剖せなむりやろ。鮭ならついてくるかもしれんけど」って言ってくだらないことが嬉しかった。すぐ近くの車まで戻るのにも、カニと戯れたり、車を先にタッチした方が勝ちのゲームをしたりして、全然別れる雰囲気を感じさせないバカップルだったと思う。

その後、夜景を見に行った。道中、レンタル自転車をしているらしき民宿があったので「今の何、ちょっと調べてくれん?」「ごめん好奇心旺盛すぎて」と言われたがそれが彼の長所すぎる長所だと思っていた。途中コンビニでおにぎりを買って展望台に向かった。コンビニでも、トイレに行くと言ったら鞄もっていようかと言われたので、強がって断った。その道でも色んな知識を教えてくれた。長崎のバスの運転手は世界で一番運転がうまいとも言われている。世界三大夜景を持つ長崎は世界一が多いなっていった。他にも、展望台から浦上天主堂に降りていく道の夜景は特にきれいで、「浦上銀河散歩」というコースを作っている人がいて、その降りたところではバーで銀河のようなカクテルを飲めるらしい。しゃれすぎてかっこよすぎだろ。行きたいと思った。私が少し乗り物酔いしたので乗り物酔いの話になった。i君は5回ぐらい言ったと思っているがお母さんから聞いた話によると10回ぐらい韓国に連れて行ってもらったことがあるらしい。船で日本に帰るのに、いつも何故かお母さんがメニューの分からない幼いi君にココアを注文してきて、毎回船で吐いていたという。

そんなこんなで、展望台についた。知り合いるかなとか言いながら登った。夜景を見る二人の距離はやっぱりいつもより隙間があった。ほとんど大学を卒業していって、知り合いが減ったという話をした。「またいい出会いがあるよ」と言われた。私に言っている気がした。船があって、何してるのかや、稲佐山が前回よりピカピカしていないだとか、こっちのほうが綺麗だとか普通のたわいのない話をした。景色をボーっと見るだけで彼の顔を今日ほとんど見ていないなともふと思った。タオルでちょっかいかけてきたけど、いつもと違って何もできなかった。海でも、なつなつなつなツナとかいつものくだらないボケをしてきたけど私は応えられなかったから、「ねえー」と言いながら、二回肩を揺さぶってきた。i君が景色を見るのに飽きたようにキョロキョロし始めたから、帰ることにした。「なんでもばれとるなー」って言ってきた。それはやっぱりこれまでの気持ちが離れていってしまったことに私が気づいてしまっていることに対して言っているようだった。頭がいいから、含みを持たせて言うのがうまい。

これまで何も別れ話は出てこなかったから、しないで今日は終えるのかと一瞬思った。でも、いつもの「それ~!」っていってカーブするような戯れから、一か月前ほどの電話の話を謝られた。あの時は言いすぎてしまってごめんと言われた。むしろあの時の言葉は、人生のターニングポイントになったから、むしろありがたかった。高校受験の時も大学受験の時も、なぜか私の尻を叩いてくれる人がいた。今回の受験勉強ではi君がその人だった。もしかしたら、わたしがi君の就活を支えて、i君が私の受験勉強の喝を入れるために出会ったのかもしれないと思った。その役目がお互い終わって、お互いに進むべき日がきたから、こうやって神様が離れるように仕向けたのかもしれない。神様スゲーな。毎回の岐路で私の尻を叩いてくれる人がなぜかおると言った。いや、「それは運命よ」と、また「私の人間性のおかげ」というようなことを言ってくれた。i君もそんなことを私と同じように考えていてくれた。その後やはり、「尻叩く機械作るけん」というふざけも入れてくる。「尊敬してる」や「こんなにも一つのことに対して、信念をもってしている人は他にいない」などと何度もほめてくれた。嬉しくて何も返さなかった。尊敬してると付き合った当初はよく言われていたけれど、最近は全く言ってくれなくて、私の抜け具合に幻滅して、気持ちが遠のいたと思っていたから。いつもの見慣れた街に近づいてきたとき、本題に入った。やっぱり来るかと思った。電話ではあまり私の気持ちを考えていない言葉を選ばない冷酷な振り方だった。でも、今回は頭を抱えながら、言葉を節々に選びながらしゃべってくれていた。最近自分の周りの環境が著しく変化していて、レッスンも週二回も増えて、勉強もしたいことがたくさんあって、「さすがにrにかまってあげられなくなった」と言われた。ただでさえ多趣味な男なのに、レッスンも増えて、バイトも週三・四して、たくさん吸収したいことを就活のわだかまりなしに羽を伸ばしてすることが出来るような身になったということだから、納得できた。単純計算で、週の中で、私の割いる時間はないなとも単純に思った。予想していた通り涙が出た。私が電話で聞いていた通り、勉強を頑張らない私が嫌いになったのか気になったから、私の嫌いな所があったから嫌いになったのかと聞いた。「直してほしいことは何もない、嫌いではない、好き」と言われた。いつからと聞いたら、「徐々に」と言われた。確かにそうだ。最後のちゃんとしたデートの7/1以降ぐらいから、「次ぎ合うのは来週超えてからにしよう」などと言ってくるようになった。その後も、私が彼の家に行くといったときも断ったり、ラインが二日帰ってこない初めてのことも起こったりした。そのすぐ後に電話で気持ちが離れたと言われ、家に来るのはそれ以降週一回のめったにない行事みたいになっていた。本当に分かりやすいぐらい徐々に離れていっていた。それから、「この前電話がかかってきたときはびっくりした」とも言われた。どこで気が付いたのかと聞かれたから、「楽しくなさそうだった」、「あまり笑ってなかった」と答えた。一か月前から、家に来る頻度も減って、来たとしても深夜に来ることが多くなって、嫌な顔をすることが多くなって、あまり自分の話をしなくなってきて、深い話もしなくなって、寝るときも逆のほうを向いて寝ていた。一緒にいた後バイバイするときの適当さが何よりも一番悲しかった。最後にi君のお母さんかのプレゼントを持ってきてくれた日は、それらのオンパレードで最悪だった。バイバイするときに、靴紐を結んであげようとしたら反射的いいと言われて、先に行っててと私の顔も見らずに言ってきたときは、寂しすぎて、私も顔を見てバイバイを言うことが出来なかった。でもそれは彼もこちらを見ていなかったから、たぶん気づいていなかった。

そこからはお互い無言で、いつもの家の近くのセブンイレブンの駐車場に行った。「これまでのように続けても、rにかまってあげられる自信がない」といわれて、涙があふれた。「だから別れてほしい」と続けた。その言い方は、告白してくれた時に「付き合ってほしい」と言われたのと同じ言い方だった。伏線回収された。何も言葉が出なくて何度も頷くことしかできなかった。悲しくてしょうがなかったけれど、これまでの幸せな毎日をくれたことにはありがとうをちゃんと伝えておきたかった。「i君といたときは楽しすぎた、ありがとう」、「短い間やったけど、こんなにもたくさんのものに触れさせてくれて楽しすぎた」、「楽しすぎたのは本当」と思っていることを端的に全部伝えられたと思う。「こんな俺でもよかったと思ってくれたならありがたいと」言って、最後のほうは二人して泣いていて、相変わらず変な空間だった。そして、「指輪はもらうね」と言われた。別れたら売られると思っていたから、その言葉が嬉しかった。「物には何の悪気もないから大事にしてほしい」と私は言った。我ながらいいことを言ったと思う。返そうと思っていたi君を体現したかのような本ももらった。帽子も練習の時の使わせてもらうと言った。寂しいけれど、意外とスッキリした別れだった。たくさん泣くかと思って持ってきた三つのティッシュも一つも使わなかった。バイバイするときは、少しだけ頑張って微笑んだ。

別れたのは悲しくて、寂しくて、今でも踏ん張ることをやめたら泣きそうになるけれど、それよりも感謝の気持ちのほうが大きい。あんなに毎日が楽しい四か月はこの先訪れるのか、あんなに格好いい男にこの先出会えるのかとも思えるくらい、毎日がひまわりみたいだった。

付き合う前の初デートはピザを夕方に食べて、観葉植物を見て、水辺の森で語りながら地球呑みをした。二回目のデートは県立美術館の金魚の展覧会を見に行った後、観葉植物探しに行って、スケボーの公園に行って、海に行った。横顔が恥ずかしくて見れなかったな。三回目のデートは雨が降っていて、しょうがなく学食集合からのマックに行った。いつもより話がうまくできなくて楽しくなさそうだったから、付き合うのはないのかなとこの時ふと思ってしまった。でも帆船祭りに行きたいと話して、「誰と行くん」って聞かれたから、「i君と行く」って返したら照れてるのが見えた。その後、「彼氏おらんとよね」と聞いた後、伏線を張った「付き合ってほしい」という言葉を言った。その時恥ずかしすぎて赤面しているのもわかったし、「何に?」って無駄に聞き返してしまった。顔を見られないまま「はい。お願いします。」とパタパタ手で仰ぎながらいった。

付き合ってからの初デートは、彼の実家だった。お父さんのカレーを食べられると聞いて、ワクワクしながら化粧も入念にして、安パイなロンTとスラックスで言ったかな。電車に乗っているときも、大村湾がジブリに出てきそうでステキで、着いたときはi君がその時に初めて知ったBMXに乗って迎えに来てくれた。まだ距離感が分からずに少し距離を空けて歩いた気がする。家についてからは、カレーではなく、結局チャーハンを作ってくれた。街中華にその時はまっていた彼が忠実に再現してくれて感激にもほどがあった。初めて家でキスをして、雑誌や本や自慢の雑貨を紹介してくれて、帽子までもらった。BMXに交代で乗りながら、図書館まで遊びに行った。家で少し距離が近づいた気がしたから、自転車に乗っているi君の腕や肩をもって歩いたかな。図書館周辺の海で、ほろ酔いを飲んだ。これ以上ないくらい天気が良くて、風もなく温度もちょうどよすぎた。椅子に座ってただただずっと手を繋いでた。ずっとこうしていたいっていいわれて私も本当にそう思っていた。誰かと一緒にいて時間のもったいなさなど何も気にしないでそんなことを誰かに思うのは初めてだった。図書館はまた行きたいと思うぐらいステキな場所で、図書館なのに何度もキスをしてくれた。初2ショットの写真も撮ってくれた。写真のi君はお酒で顔が真っ赤だった。帰りも、電車のホームの椅子でずっと手を繋いでた。誰の目も気にせずに、むしろそんなことどうでもいいくらい手を繋いで痛かった。キャップをもらってそこからかぶって帰った。この一回目のデートが特に印象が強くて、鮮明で、全部がひまわりのようなオーラをまとって思い出せる。

i君の家にも二日続けて泊りに行ったことも二回あって全部で5日ぐらい実家に泊まった。幸せすぎてずっと続くことを祈ってた。だいたい起きるのはいつも昼前で、8時に起きて朝から行動しようと言いながら、いつも2時頃から家を出ていた。夕方から図書館に行くことが多かった。アイスを完全にこぼしてべったりチョコをつけて帰った時もあった。家系ラーメン、ピラフ、オムライス、ペッパーライス、サラダは絶対。いっつもかっこつけて作ってくれた。バケットサンドを作ってくれて、車の中で食べるのはもうセンス抜群だった。その後花屋さんと金魚屋さんが一緒になっている一押しの場所にも連れて行ってくれた。この日は一日雨だったな。雨の中ただ雲仙に行って帰ってきた。家具を見に行っていろんなものを買わせられそうになって、結局ごみ箱は折れて買ったこともある。朝一で、バイト前に急いでデポに狙っていたTシャツを買いに行ったこともあった。学校の課題で歴史建造物の写真を撮ってくるという課題があった。その課題のために三件くらいはしごして車で連れて行ってもらった。彼の得意分野だったから途中途中でそうなんだ話をしてくれて、一瞬たりとも退屈な時間がなかった。ついでに協会のほうで軽く観光みたいなことしてから、バイオパークに向かった。その日のデートが、人前で初めて彼氏と彼女みたいな気分を味わった日だった。周りから見たらカップルだなんて考えていた。ヒツジと触れ合って、なぜか真面目に「糞踏まんでね」とか言ってきた。湖をわたって、机に座った時、溶ける~って言って幸せそうにしていた時の表情が思い出せてしまう。それから、サークルで一回行った景色を二人で見に行った。途中の道で歴史博物館のようなものがあるというから、行きたいだの、今度一人で行くだのビービー言っていた。二人で空と一緒に撮った写真がとても気に入ったらしく、待ち受けにしてくれたのもすっごく嬉しかった。インスタに私も乗っけたかったな。いやだっていうのを大体わかっていて、でも載っけていいか聞いたら嫌がっていたから、結局は載せなかった。最後に、女神大橋に行った。往復して一時間ぐらい歩いた。上に登ったらどうだの、どうやって登るだの、目に入ってくることについてどうでもいいことをひたすら言い合った。一時間ぐらい歩いて、もうひと往復しよっかなどと言って、本気で行こうと考えてしまった。折り返しの道ではi君の人間関係の悩み相談をしていたことを覚えている。あの時は確実に今よりもネガティブ思考だった気がする。人の感情を深読みして、いい人悪い人で振り分けていた。サークルの人も、仲の良い友達も、一番お世話になっている人に対しても、全員に気を遣っているようで、人間関係に疲れていた昔の自分のように感じた。だから、人の感情を敢えて読まないようにした私の考え方をどうしても伝えたかった。あれから、人の感情を深読みするななどと普段から言っていたからか、そのほかの事からかは分からないが、随分人との関わり方や捉え方が変わったように見える。一歩前に進んだように感じた。どんどんステキな人になっていった。私がいつか置いて行かれそうにも感じていた。慣れていない手を繋いだり、腕を組んだりしながら聞いていた。車について、けん玉の技を最後に何度も挑戦して、見せてくれた。成功して満足そうに喜ぶ姿を見るのがとても幸せだった。そう考えると、人の幸せをいちいち自分の事のように嬉しくて幸せに感じられるのはこの人が初めてだったのかもしれない。本当に1日にすべてすることかと思うくらいいろんなところに連れて行ってもらった。車で家まで送ってもらって、余韻に浸りながら家に帰っていっていたような気がする。家に着いても母にのろけ話というよりは、本当に楽しかったことを多分本当に幸せな表情で話していたと思う。

その後の、6月ぐらいは就活で彼はすごく悩んでいるようだった。その時のメンタルと弱腰になってしまった考え方が、いつもの彼自身と錯覚してしまうぐらい病んでいた。ダンス終わりの夜0時過ぎに突然呼び出されて、病んでいることを話す会のドライブをした。何をしていても、誰解いても楽しくないと言っていた。自分では気が付いていないだけで、彼はとてもとてもすごい人。でも、特に何も秀でていることがないことに悩んでいたのだ。けれど、私が彼を好きになった一番の理由は、彼は誰よりも好奇心が旺盛で毎日目を輝かせて忙しそうに真っすぐ、好きなことにのめり込んでいるところだった。それを無意識にやってのけるくらいに。だから、無意識だから、自分ではそのすごさに気づくことが出来ていなかった。どうにかして気づかせてあげたかったけれど、自分の表現力不足で伝えられなかったということもあり、ずっとそのような行動をしているからか、全く聞く耳を持ってくれなかった。無意識に自分の一貫した大きな夢に向かって、ひとつひとつこなしていっているところは本当にすごくて尊敬していた。趣味を極めている人はそれはそれですごい。周りのそういう人にあこがれているようだった。でも、私の場合、趣味というのは自分の好きなことであって自分のための息抜きをするものだと思っている。確かにすごいけれど、趣味を極めている人に対しては、格好いいとは思わない。趣味であっても、何でもいいが、自分以外の誰かのために極めようとして学んで進歩していこうとする人が格好いいと思っている。そして、彼は後者だった。後々、何年かしたら、自分が進んできた道を振り返って自分のことを誇れる日はいつか必ず来ると思っている。だって、こんなに生きざまが格好いい人は身近な人で見たことないから。また、

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