人参は大きめで
母が人参嫌いだということを知ったのは、中学時代だった。
中学2年の春、夏のキャンプ練習のために、木曽川の河原まで歩き、飯盒炊飯とカレー作りをする活動があった。往復15キロを歩く遠足。足が痛くなったが、勉強よりは楽しい。
男子は火起こしと飯盒炊飯を担当、女子はカレー担当と決まっていて、わたしは人参を切る係だった。男女合わせて8人の班。
日頃、お手伝いをしないわたしは、念のため母の指導のもと、予行練習をしていった。自信満々で、人参を細かな「いちょう切り」にしていく。
隣の友達がそれを見て、何か言おうとしたが、結局何も言わなかった。ちょっと、不思議に思ったが、時間がない。バタバタとカレーを作る。
カレーライスはなんなく出来上がって、時刻はお昼。よい天気の中、朝からずっと動き通しで、お腹もぺこぺこだ。ようやく、お昼ご飯。
みんなで輪になり、カレーライスを食べ始めた。
「ご飯に芯がある!何これ、男子ぃー!」
「中蓋、外すの忘れたんだわ。ごめーん。」
男子班、飯盒炊飯を失敗した。初歩的なミス、中蓋を入れたまま、火にかけてしまったのだ。ご飯は柔らかいのに、芯があるという、なんとも言い難い食べ応え。
「人参、なんでこんなにちっちゃいの?」
「えっ、こんなもんじゃない?うちはいつもこうだよ。」とわたし。
「違うよ。もっと大きいよ。」
「うん。おれんちもそう。これじゃ、食べ応えないじゃん。」
男子から、かわるがわるそう言われて、何も言えなくなる。
キャンプ本番は、飯盒の中蓋を取ること、人参は大きめに切ることになった。
カレーライスの話は続く。カレーに何を乗せるか。この日はお楽しみで、ひとり一品、トッピングを持ってきてもよかった。
ツナ缶、コーン缶、らっきょう、粉チーズ…
友達たちからいろいろともらう。各家庭で、こんなに違うものなんだなと興味深く、恐る恐る食べる。どれもカレーに合う。大発見した気分。
これ以上、恥をかきたくない気持ちから、わたしは言葉少なになった。カレーライスはそこそこ美味しく、みんなのトッピングは面白かったが、気まずい気持ちは拭えない。どうして、我が家の人参は小さいのか…ぐるぐると考えてしまう。
結局、リュックの中のウスターソースを出せないままで終わってしまった…
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