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傷は、なくなるのではなく、抱え続け、そして温かさでずっと癒やし続けるべきもの

以前私は勘違いをしていたと思う。心の傷が、転んだ時のすり傷のように、いずれかさぶたが剥がれたら忘れることができるものだと。勘違いというか、望んでいたのだと思う。ショックを乗り越え、生まれ変わった自分として生きるようなイメージ。

最近、家事や仕事の雑務がスムーズに進んだり、書類を読んで理解するスピードが劇的に上がったりしている。ある意味で、傷の回復だと思う。

数年前までは、朝目覚めるのが怖かったり、逆に眠れなかったり、あるいは「だめな自分」という設定に合わせてトンチンカンな行動をしたり、衝動性満載なキャラクターで生きてて、何かと躓いたり他人に笑われたりしていた。とにかく外に出るのが怖いというか、いつ自分が何をしでかすか制御できないというか、そういう日々だった。

最近はいろいろスムーズで、もっと早い時期から今みたいに生きていられたら、まったく違う人生を歩んでいただろうなと思うことがある。
実際の今の自分は、これまでいろいろあった自分の気持ちや、自分の特性を自分でカバーしながら生きてて、その過程で得たスキルを時々他人にシェアしながら働いている感じ。時々、自分のアイディアが他人を助けることがあると、まあこういう自分でも役に立てるのなら「もっと違う人生」という、よくわからないものを求める必要もなく、今の自分ができることを「私、やるじゃん」って言ってやれればいいかなって思う。他人があれこれ言ってきたって関係ない。あれこれ好きなことを言う人は 往々にして人の心の傷に無頓着で、自分の気に入っているものや、自分の事のほうが優先されるべきだって思い込んでいる人だからだ。

傷を受けた人が明るい笑顔で生きていこうとするとき、その人の内面では相当過酷な闘いが既に繰り広げられていたはずである。その闘いの中で時に消えたくなったときもあろうし、潰れそうになったこともあろう。自身の心身にできた傷口を見て苦しんだことも数しれずあったはずだ。その人が今笑っているとしたら それは傷が消えたのではない、と私自身は思っている。傷が時にしくしくと痛むときにあてる包帯やマフラーや腹巻きをたくさん準備できた、あるいは準備中ということなのだと思う。

私自身、以前より強くなったけど、やはり潰れそうになったり、突然訪れる心身の不調にやはりうろたえる。でも、自分の言葉を取り戻し、少しずつ自分の心を守る術を会得し、本や音楽、藤井風やMISIAの音楽、吉本ばななの本に支えられ、なんとかここまで来た。傷を自覚してから何十年も経った。その間、よくなったり悪くなったりを繰り返している。今元気に見える人も、そうじゃない時期があったり、あるいは表には見えないようにしているものだ。

傷はなくならない。傷を負った人はずっとそれと付き合い続ける。そうして、少しずつ生き返っていくのである。そう思えて、やっと私は「これまで傷を忘れて笑える自分になりたいと思っていたが、そうではない。いろんな出来事自体が傷を抱え続ける強さを育てることにもなっていて、そうして次第に傷も自分の一部だと思えることで、自分をまるごと肯定できるのかもしれない」というところまで至った。

どうか、大きな傷を負った人が癒やされ、そして癒やす力を持って生きていけるようにと祈る思いの今日この頃である。


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